基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

インプットとアウトプットについて

メモ書き程度。ブログを書くようになって時間をそこにとられるようになる。だから本を読む時間がその分減っていくかといえばそんなことはなかったという経験がある。むしろ僕の場合は、ブログを書くようになってから本を読む量が増えた。それもたくさん書けば書くほどインプット出来る量も上がっていったのである。時間が有限であることを考えると不可思議かもしれないが別の比喩でたとえると納得がいく。

ようはあまりインプットしすぎると消化不良になるのである。もちろん容易くそうはならない。普通にご飯を食べている分には「おなかいっぱいになった〜」で終わりだろう。いくら美味しいラーメンだからといって、5杯も6杯も食べれるわけではない。しかし1杯なら食べれる。2杯もなんとかなるかもしれない。しかし3杯目以降を食べようと思ったら、いったん消化のプロセスを挟まなければ食べられるものではない。

消化にあたるのがまあ書くことであるというわけだ。たくさん仕入れた情報を自分の中で整理し、関連づけ、自分の中の本棚にきちんと格納するために書くのである。実際傑作だと思う作品を読み終えた時なんか(最近だとBEATLESSや天冥の標、獣の奏者)あたまのなかがそれでいっぱいになってぐるぐるしてそれ以外何も考えられない状態になる。しかも頭がいいわけじゃないから同じ事を何度も何度も考えて無限ループのような状態になる。

書くことですっきりするんだ。その為に書く。読んで、書くことではじめて次にいける、というわけだ。ブログをはじめた頃の僕は何かを吐き出すかのように大量に書き続けたが、それは汚いたとえだが便が詰まっていたようなものだったんだろう。それからかつての倍以上の速度で僕は読み始めるのである。インプットとアウトプットはだから両輪のようなものだ。どちらかだけでは成り立たない。

書くことの面白いところのひとつは書くたびにどんどん自分が変化していくことである。このブログにはだいたい6年分の膨大な量のログが残っている。過去の記事はそれはもうひどい出来だ。ときどきそうした過去の記事に「ふざけんな!」というコメントがつくこともある。しかし僕に言わせれば6年前の文章なんてまるで他人の書いたものと同じぐらい離れているものであり、悔しいなどといった感情は何一つ感じない。

書くことで自分の言っていることを検証し、それを土台にしてあっているかなあ間違っているかなあと考えるので、自分の書いた内容は書き終えた自分から過去の意見であって、遠い。書き終えた後に自分の文章を読んで、「アホなこと言っているな」と思うこともある。2日前の記事でさえ他人の書いた文章のような気がするから、褒められても他人が褒められているようで嬉しくないのである。

ただブログで言えば、書き終えた後3時間以内ぐらいに反応があると若干嬉しい。まだそこまで自分の意見と離れていないと感じる。まあ、褒められてもあんまり嬉しくないのは問題だが、けなされてもどうでもいいのであるいみ幸せといえよう。