基本読書

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ハンヌ・ライアニエミ『量子怪盗 (新★ハヤカワ・SF・シリーズ)』

気をつけろ。ちょっと分厚いSFでも読むか〜と軽い気分で本書を読み始めるとすぐに霧の中に放り出された時のような気分を味わうことになる。説明もろくにされずに意味不明な新語が乱立し、聞いたこともなければ想像も難しい概念が幾度となく飛び出し、自分が何を読んでいて、何がわかっていて、何がわからないのかすらよくわからない状況が続くのだから。

遠未来、小惑星群にある“監獄”には、ひとりの男の精神が幽閉されていた。男の名は、量子怪盗ジャン・ル・フランブール。かつて太陽系にその名を轟かせた彼も、今は永遠の囚われの身となっていた。そんな彼の監獄にひとりの美少女が現れる。高度な戦闘力を備えた少女ミエリは、脱獄させる見返りとして火星であるものを盗んで欲しい、と告げた。その頃、火星では千年紀長者ウンルー主催のパーティーの準備が進んでいた。怪盗から届いた予告状に対し、気鋭の青年探偵イジドールが呼び出された!超ハイテク世界の火星で展開されるポストヒューマン時代の怪盗対名探偵の対決。

たとえば冒頭。一文目はこうはじまる。『例によって、戦闘マインドと撃ち合うのに先立ち、おれは世間話をしようとした』。戦闘マインドってなんだ?? 撃ち合う?? さっぱりわからない。説明もされない。「おれ」は監獄の中にいて囚人のジレンマそのままの協調もしくは攻撃のジレンマゲームを延々と続けながら監獄内の陣取りゲームを行なっている。

両者が強調することが最善の選択肢であるこの囚人のジレンマを延々と続けさせることに依って協調的な行動が芽生え、ボーイスカウトのような模範生のようになれるというのがこの監獄の趣向のようだ。ゲームは毎日違うこともここで明かされる。そしてわずか数ページの間に「偽神」「精神共同体」「瞬接」「ゴーゴリ」といった見慣れない単語が乱立する。

なぜそんな監獄があるのか、なぜ「おれ」はこの監獄に入れられているのか、どんな世界観なのか、まるでわからない。それどころかその後「おれ」はこの監獄から戦闘美少女と口の悪い戦艦に脱出させられ、あるものを盗んでもらいたいと依頼を受ける。それが何なのかもわからない上に、「おれ=ジャン・ル・フランブール」の記憶はない。

何もかもがわからないこの状況はずっと続くことになるが、今簡単に紹介したこの囚人のジレンマを利用した模範生を最終的に生み出す監獄のような「人間がその存在を自由に電子化できるようになった以後」を描いたSFとしてのディティールが、この作品には至る所に顔を見せ、これに惹きつけられて読み進めるのだ。

この異常なまでの説明の少なさ、不親切感は間違いなくわざとだと考えていい、手探りで進んでいくことも読書なのだ。実際読み進めていくと少しずつ、今まではわからなかった単語、概念が把握できるようになってくる。ははあ、あれはそういうことだったのかという繋がりが明らかになり、緻密に組まれた世界観が朧気ながらに把握できるようになってくる。

物語は後半に行くほど構図としてシンプルさを増し、途中途中で仕入れた情報で僕らは最初より遥かにこの世界を読みやすくなっていることに気がつく。実際半分を過ぎたら、後はあっという間だ。読めなかったものが読めるようになり、理解できなかった描写が頭に描けるようになる。

アリストテレスは『詩学』の中でプロットを展開させる手法として困難からの解放、いわゆるカタルシスをあげた。『量子怪盗』における最初の説明のなさはいわば困難であり、その過程で綿密に計算され配置された情報の断片を繋ぎあわせて自分なりに『量子怪盗』世界を構築していく過程は解放にあたる。

面白さがわからない、不親切、といった感想は当然出てくるだろうけれど、そこで止めてしまわないで読み進めてもらいたい作品だ。最初はディティールの奔流に身を任せ(監獄のゲームもそうだけど、火星に長年暮らした人の癖の描写みたいなこまか〜〜いとこがすっごくいい味だしてるんだ)、霧の中をさまよってみるのもたまには悪くないんじゃないかとおすすめしてみる次第です。

量子怪盗 (新★ハヤカワ・SF・シリーズ)

量子怪盗 (新★ハヤカワ・SF・シリーズ)