基本読書

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水道橋博士『藝人春秋』

僕は長いことテレビ無しの生活をおくっていて、著者である水道橋博士なる人物が浅草キッドなるお笑いコンビ? の、つまるところお笑い芸人であるとか、ビートたけしの弟子筋にあたるとか、そうしたことを一切知らないで読み始めたのだった。しかも本書は「芸」の世界で生きる多様な人間たちの「評伝」のようなエッセイをまとめあげたものであって、テレビに疎い僕は聞いたこともない人が幾人もいる。。

そのまんま東(東国原英夫)、甲本ヒロト石倉三郎草野仁古舘伊知郎、三又又三、堀江貴文湯浅卓苫米地英人テリー伊藤ポール牧甲本ヒロト(再び)、爆笑“いじめ”問題、北野武松本人志を巡る30年、稲川淳二 半分ぐらいしか知らない、見たことがない上にはなから興味が無い。そうした「本書とまったく接点が無さそうな」人間の視点からみても、本書はおもしろかった。なぜだろうか?

そもそも水道橋博士という人はいったい何者なんだろう? 2000年前後に様々な媒体に書かれた人物伝を15ページほどまとめたものが連なるのだが、その15ページで書かれるのは文字がぎっしりつまった「経歴」などではない。たとえばそのまんま東が何をしゃべって、何をやって、どんな顔をしていたのかという「人生の一時期における行動」が切り取られてこの15ページには収められている。

そしてその切り取られた一瞬の中に、その人の「芸」の本質とでもいえそうな、行動の軸を描き出してみせる。それも本人の言動、行動を中心にしてだ。本書の特徴は収録されている「会話」のうまさだろう。自らも芸人、番組を持つものとして実際に接し話してきた経験も勿論あるだろうけれど、本書には会話、行動の描写がやけに多い。

ここに描かれている人たちは、例外なく「半端ない」人たちだ。それも至極真っ当に、社会的に真っ当に評価されるような「半端のなさ」ではない。女にだらしなかったり、テンションが常におかしく視点がぶっ壊れていたり、ホラ吹きここに極まれりとでもいえそうな過剰な自分を演出する人間が居たり。

その破滅的な性格を抱える一方で芸として自己のキャラクタ、業績を確立させてきた人たちでもある。堀江貴文はいわずもがな、そのまんま東テリー伊藤も破滅的な人格と同時にその「行動」には爆発力がある。問題が起こる、トラブルが起こるのはなぜかといえば何らかの結果を引き起こす行動をしたということであって、彼らはみな「行動者」であった。

あるいはその赤信号が存在しないかのように振る舞う所行こそが「芸」の道に生きる人間たちの「業」なのかもしれない。破滅と隣合わせというか。芸の世界は特に勝ち組と負け組の差が激しいものであり、本書に載っている成功者のように今では思われている人たちも、ほぼ例外なくどん底の時期があった。

でもその両面性がまた魅力なんだよなあ。そのことを本書の会話、行動の描写の多くは物語っているように思える。で、読んでいて思ったのがここに描かれている人たちってたしかに普通の人が絶対にしないような破滅的な面があるんだけど、その一方で「過剰な」一貫性、特異点があるのだよね。行動とはまた別の意味でね。

いわゆる一流の芸人というやつは(この場合はロックスターだろうが司会者だろうが全部含んでいる)、その特異点……まあ芸か、これを持っているものなんだなあ。水道橋博士がわずか15ページながらもその人の本質と狂気と理性の両面を書けているように思えるのも、その根っこにある「芸」を見つける目を持っているからなのだと思うのだ。

圧巻であった。

藝人春秋

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