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抽象的に考えること『人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか (新潮新書)』森博嗣

森博嗣先生の著作の中ではもっとも抽象的な内容を扱っている一冊。

内容はタイトルのままだ。人間はいろいろな問題についてどう考えていけばいいのか。いろいろな問題ってなんだよ、と思ったりするけれど、人間生きていればいろいろ問題が沸き起こってくるものだ。ようはそうした諸々の、千差万別の、ありとあらゆる問題についていかようにして人間は立ち向かっていくべきかやといった内容なのだ。

僕は実を言えば森博嗣という作家が、その名前を使って出した本はほぼすべて読んでいる(ほぼ、と書いたのはその小説家としてのキャリアがスタートする前に書かれている幾つかのプログラミング関係の本は読んでいないからである)。そしてノンフィクションともなれば、毎回専門的な内容を扱っているわけでもないのでかぶっている内容も多い。

しかし、それでも毎度震えるような発想と出会うのだからとても不思議だった。それはもう、ああ、その発想はなかったな、それはすごいな、と素直に感動して背筋がぴーんと伸びるような感覚を持つ発想が、かならずあるのだ。なぜそんなことが可能なのだろう、という種明かしみたいなことが、本書には書かれているのだと思う。

簡単に内容について触れていく。
抽象的に考えるとはどういうことか、というのが本書の主題からくるひとつの問いであるといっていい。抽象とは一言でいってしまえばある事物の側面を切り取ることであるといえる。たとえば車が1台といったとき、車がBMWであるとか、トラックであるとか、ぼこぼこに凹んでいるなどの情報はすべて消えて、1という数字に還元される。

情報は削ぎ落とされてしまうけれど、そのおかげで複雑な事象や事物を比較的簡単に処理できるようになる。他には抽象化することで、広く普遍的に考えを活用できるようになったりする。たとえば落語家が話をするのをきいて、「人が笑うのはどういうときか」という側面を抽象化しうまく抜き出すことが出来れば、落語以外の分野でもそれを活かすことが出来るだろう。

自分の部屋に本棚をつくりたいとして、友人にホームセンタで必要な物を細かくリストアップして買ってきてもらうようにすれば確実に買ってきてくれるだろう。しかしもしなかった場合は、何も達成できないかもしれない。だから「この部屋のここに本棚っぽいものが創りたいから必要な物を買ってきて」といえばちゃんとしたものを考えて買ってきてくれるかもしれない。

抽象化の視点とはだから、こうした「問題を解決してくれそうなものをぼんやりと捉える」ことだといってもいいかもしれない。具体的なことばかりが頭にあると、抽象的に考えていれば見逃さなかったはずの発想や考えを逃してしまいかねない。しかしどうやったらそのように物事を抽象的に考えられるようになるのだろう?

本書で僕が心底しびれたのは第5章の『考える「庭」をつくる』という部分である。頭のなかに考える庭をつくるべし、ということを言っているわけだけど、それがなぜ「庭」なのだろうか。たとえばドーム球場でも良ければ、家でもいいし、シェルターだってなんでもいい。なぜこの比喩は「庭」でなければいけないのか。

それはドーム球場もシェルターも、すべては「人間」がつくったものであり「人工物」であるけれど、人間の脳は間違いなく自然のものであって、必ずしもすべてが自分の思い通りになるものではないということだ。自分の中にあって、かつそこには自然が介入していて、それでいて自分の思惑もある程度介入し整えることが出来る。そうした意味で「庭」という比喩を使っている。

すごいのは、人間の脳が自然のものであるという発想なのだと思う。たしかにそうだ。だからこそ、たとえば僕らは自分の「発想」を自由自在にコントロールすることができない。それは準備したり、まったり、散歩したりしている時に突然現れたり、現れなかったりする。考え方の飛躍は、システム的には出てくることがない。

そして発想力といったものを養うには、日々落ち葉が溜まり雑草が生え、花や植物のコンディションがうつろっていく状況を、こまめにメンテナンスしていかなければならない。つまり自分の頭のなかに、ととのえられた庭、発想が降ってくる庭を作ろうと思ったら、地道な労力が必要なのだ。

僕は「なぜ森先生はいつもこんなにたくさんのことを本質的に考えることができるのだろう」と前から考えていた。それは言葉にできるものではないが、自分なりにつかめてきていたところだった。できるかぎりぼんやりと考えること、何も決めつけないこと、できるかぎり信じないこと、言葉にできないことを言葉にできるようにがんばること。僕は知らず知らずのうちに自分の庭をつくりはじめていた。

森先生は常に「こうであろう」とする僕の想定を常に逸脱していく。僕がまだ観ていなかった方角を向いている。そしてたいていの場合「あっちに何かあるよ」と方角を示してくれるだけで、あとはこちらに任せてくれるのである。そうすると、僕はその方角へ歩いていく。そうすることで、森博嗣という作家の考え方をそのままコピーする、「逸脱ができないマニュアル人間」ではなく、自分で自分の庭を作り始めることができるようになったのだと思う。

人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか (新潮新書)

人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか (新潮新書)