基本読書

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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

言わずと知れた村上春樹最新作。売れに売れて売り切れも頻出しているらしい。僕も発売日に昼休み抜けだして買っていなかったら危なかったかもしれない。あんなに山と積まれていたのになくなってしまうとは……。出せば売れる札束みたいな存在で関係者はほくほくでしょうね。普段はラノベにだってカバーをかけたりしないのだけど、これは発売日に読むのが恥ずかしくてカバーをかけてしまいました。弱い……。

肝心の内容はどうだったのかというと、たいへん面白く読みました。なんていうのかな。当然ながら同じ作家なので、今までの作品と地続きの部分があり、今までと異なった部分があり、そうしたところの差が面白かったです。短めの長編であることも手伝って、プロットはかなりわかりやすい。本当にタイトルそのままなのだよね。色彩を持たない多崎つくるくんが、巡礼をするっていうだけの話。

簡単にあらすじを書くと、主人公の多崎つくるくんは30代なのだが、高校生の頃の超仲良し五人組からハブられた経験によって心に深い傷をおっている。とはいっても30代のおっさんなのでもうあまり傷がどうとかいう必要も無さそうなのだけど、30代になっていろいろあってかれは過去に何があったのかを調べる巡礼の旅に出るのだ。

謎を追求していくタイプの作品でもあるので、あまり多くのことは書かないでおく。今までとかなり異なっているところとして、日本の社会を書くところに描写をさいていることに驚いた。今までの村上春樹さんの作品って、どこか舞台が日本でも日本ぽくない、場所をニュージーランドやニューヨークに変えても大差がない感覚があった。

あるいは舞台が日本で事件も日本の歴史上起こったことを掘り下げていても、それはあくまで過去の歴史に接続しているのであって現代の日本を描写していたわけではなかった。それが今回は日本で極々当たり前に有能な人間として働く人たちが出てくる。多崎つくるくんはそうした「日本に住んでいる、有能だが当たり前の人々」の間をめぐっていく。

思い出したのは村上春樹さんが出版した、アンダーグラウンド。1995年のオウム真理教の毒ガス攻撃に関するノンフィクション本だが、徹底して自分の意見を排除して被害者の言葉を伝えようとした姿勢が、この多崎つくるくんの巡礼の旅には出ているように思う。くしくも主人公の職が、電車に関連したものであることもあって。

まあ、そんな感じで「現代の日本社会」の「有能ではあるものの、普通に社会規範にそった生活を送っている人々」に焦点をあてている点が既に新しいというか、未だかつて無い村上春樹っぽくなさであると感じた。正直言ってすごく違和感があった。その辺にいそうな人達が、村上春樹節で言葉を交わしているのだから。

村上春樹節というのは、単純にいえばリズムの為に内容を改変させられた会話だという意味で使っている。通常絶対使わないような言い回し、タイミング、会話の応酬はすべてやりとりのリズムにそって行われている。たとえばある人間ががーっと喋り続ければ相手は一言でそれを要約してみせる。そしてその要約を受けて話は前に進む。この反復と止めと再スタートの会話リズムは作品中何度も繰り返し現れる。

そんな会話でもいつも村上春樹の登場人物たちは、どこか非現実的だったので成り立っていた。アウトサイダーたちで、個人主義者たちで、なにより孤独をそれほど嫌ってはいない、ある種の超人のように見えた。僕のような普通の俗人はそうした超越的な春樹世界の住人にある程度自己を入れて、憧れのような目でそれを読んでいたと思うし、それはひとつの目的だった。

今回の主人公である多崎つくるくんは30代であるのは他主人公たちと共通しているとしても、かれが「普通に傷ついている」というのがけっこうびっくりした。しかもなんというか、仲の良かった5人組からわけもわからず絶縁をつきつけられて、死にたくなるぐらい悲しんでいるというのにびっくりした。本書はこの一文で始まる。『大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きていた』

弱い。弱すぎる。いや、わからんでもない。自分も同じ立場だったらそうなるだろう。しかし、お前は村上春樹の小説の、しかも主人公なんだぞ。最初の一文がそんなだったからいきなり面食らってしまった。でも新しい。超越的な自我がとりはらわれ、普通に傷ついてしまい、死と接しながら生活している多崎つくるくん。

それでも孤独を極端に恐れ淋しいと感じるような人間ではないのだから、いつもどおりの、主人公であるという言い方もできるのだけど。年代も30代であるし。余談だけど30代というのは絶妙な年代でもある。20代はまだまだ自由で、やり直しがきくと思っていて、失敗を恐れない。30代になると自分の人生を線上に並べて、自分のこれまで送ってきた人生と、これから送っていく人生を慎重に考えなくてはならないだろう。

多崎つくるくんも人生の重要な岐路にたっている。もはや何度でもチャレンジできるものでもない。コレまでダメだったことは、同じやり方ではこれからもダメだろう。かれの悩み、かれが受けた傷、かれが聞き取った傷、そして幸福だった5人組の学生時代、そうしたものがかれを形作っていて、かれの今後の行末を固めて、暗示していく。

いろいろな評価があるようだけど、僕自身は楽しく読みました。これが翻訳された時に、世界でどのような評価を受けるのかによって、村上小説のいったいどこに普遍性があったのかのひとつのものさしになるのではないかとおもっております。今までとは明らかにことなった小説なので。楽しかった。良い読書でした。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年