鉄条網に視点をしぼった一冊ということで、なかなかマニアックな内容だとは思う。だが米国では鉄条網を収集するマニアが多いのだという。多いって、どれぐらいだよとは疑問に思うものの、まあ数万人単位では存在しているのではなかろうか。鉄条網を収集するって、なんのためにだよ、と思うが多かれ少なかれ収集癖などというものは同好の士以外には理解されにくいものだろう。
さて──本書は、意外なほどおもしろかった。鉄条網という超ローテクな資材が持っているシンプルな機能──「短時間に、広大な面積を、安価に、厳重に囲い込む」はそのシンプルさゆえに様々な利用シーンで役に立ち、人の生活や戦闘を一変させてきたのだ。
鉄条網の当初の目的は農牧場を覆うことだった。家畜を逃がさないようにし、境界を明確にする。しかもすぐに設置できるから、コストもほとんどかからない。そのおかげでカウボーイが牛を追っていく姿はあっという間にきえ、鉄条網で覆われた牧場が残った。これもまた鉄条網が変えた景色のひとつだ。
その後人類は兵器として鉄条網がとてつもなく使い勝手が良いことに気がついた。基地や陣地を守る防衛戦になり、簡単に設置できる割に乗り越えることが難しいので、鉄条網でつくられたバリケードの前で多くの人間が銃に撃たれて死んだ。日露戦争の際の、鉄条網に苦しめれた体験の記述はけっこう衝撃的だ。日本兵の屍が築かれ、鉄条網ごしにかかる橋のようになったときに後続部隊は屍を乗り越えて肉弾攻撃をかけたのだという。
軽い上に巻けるので持ち運びが容易で、しかもコンクリートのように一面を覆っているわけではなくすかすかなので敵から見えにくく、見通しが良いので戦闘ではそのどんな点も役に立ったようだ。恐ろしい話だが、これに対抗する策もいくつも生まれてくる。鉄条網乗り越え毛布とか、鉄条網爆破用の爆薬鉄パイプとか。
だがその超凄いバージョンが戦車であり、戦車の登場によって鉄条網の威力は低下することになる。もっとも、完全に消えるわけではなく局地戦や戦車の入れない箇所では相変わらず有効なことに変わりはない。戦車用の、キャタピラに巻き込ませて動きを止めるタイプの鉄条網戦術も出てきたりして人間の創意工夫というのは乗り越え乗り越えられだなあと思わず感心してしまう。
「短時間に、広大な面積を、安価に、厳重に囲い込む」効力が発揮されるのは戦闘だけではなく、強制収容所でもその威力を見せつける。ベルリンを分断したのも、コンクリートと鉄条網の合わせ技だった。そして現在では、原発事故などで人が立ち入れなくなった地域を隔離するためにも使われる。とにかく鉄条網はうまれてこのかた「空間を遮断し、区別する」必要性があるときには、その姿を常に見せてきたといっていいだろう。
普段あまり目にすることのない鉄条網だが、世界の重要なシーンでこうも鉄条網がつかわれてきていると、すごいなあ、物に歴史ありだなあと感慨深くなる。鉄条網収集をはじめようとは思わないが。また、負の大発明とはいうものの、そして実際ネガティブな状況しか鉄条網で引き起こされていないとしても、物としての魅力が鉄条網にはある。ときには人を囲い込む枠になり、時には人を寄せ付けずその空間内に「人間の介在しない自然」が復活したりもする。
けっきょく、道具だからね。道具ならば、何事も使い方次第である。
- 作者: 石弘之,石紀美子
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2013/02/23
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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