あまり比較するものがなくてどのように形容したらいいのか、難しい。異星人の描写や、そもそも宇宙の構造自体を現実から乖離させた形として書いているのだが、その根底からつくりかえちゃった世界観がたいへん素晴らしく、興奮する。いやほんとすごいんだよね。なにしろ普通、宇宙の構造を変えようなんて思わないじゃないですか。しかもそれが超緻密。著者は何者やねん、と調べてみるとアメリカ合衆国の数学者なのだという。
大学を調べてみたらサンディエゴ大学みたいですね。あまり名前は聞かないが、名門なのかな。で、まあ数学者で設定が緻密なんていうとこてこての設定ばかり凝ったなんだか物語としては微妙だな〜ってのが出てくるのを想像してしまうんだけど、この『遠き神々の炎』の物語演出はかなり読者にやさしい(メインプロットが3本走るのでそういう意味ではまったくやさしくないが)。まあそのあたりは後述(するかもしれないし、しないかもしれない)
様々なエイリアン種族が構成する、遠未来の情報ネットワーク銀河。その片隅の星で人類は50億年前のアーカイヴを発見、喜びにわきたつが……そこから目覚めたのは、人知を超えた強大な邪悪意識だった。解き放たれたそれは恐怖と混乱を呼び起こしつつ、恐るべき規模で銀河中枢を蝕んでゆく。一方この悪魔の星から、最後の希望となる手掛りを積んで脱出した船があった。どうにか緑の星に不時着し命拾いしたかと思いきや、彼らは原住の奇妙な犬形集合知性体が繰りひろげる抗争に巻きこまれてしまう。生き延びたのは子供二人だけ。これを察知した銀河世界は、彼らを救出せんと一隻の人類エイリアン共同船を送るが? 刻々と迫る最後の時。絶賛を博したヒューゴー賞受賞巨篇!
本作の銀河系の空間の性質をちょっと解説しておこう。銀河系は中心部と周縁部とで物理的性質が異なる。銀河系中心部では思考速度がきわめて低速になり、事実上の思考停止状態に。コンピュータも処理速度が落ちる。その外側が「低速圏」になり、地球がここに相当。光速以下の移動も通信もできないため、お互いは孤立した状態にある。
さらにその外側になるとこの物語の主な部隊である「際涯圏」になる。超高速飛行、超高速通信が可能な空間で、知的生物の思考速度だけは同じだがコンピュータの処理速度がかなり早くなる。この「際涯圏」の中でも上位と下位にわかれていて、上位にいけばいくほど早くなるし下位にいけばいくほど低くなる。
さらにその外側は「超越界」と呼ばれていて「際涯圏」の人間には不可知の超高速世界、そして超高速な思考能力を持つ「神仙」が住んでいるという、まあなんともファンタジックかつ「どこからその発想を得たんだ!?」とびっくりしてしまうような奇想だがとんでもなく面白い。あっちこっちへ移動が入る場面では常にこの「自分がどの階層にいるのか」が重要になってきてドラマに貢献している。
あとこれ出たのはだいぶ前なのでAmazonにも在庫がないのだが 遠き神々の炎 / ヴァーナー・ヴィンジ - 誰が得するんだよこの書評 のだえんさんにオススメだというのでもらって読んだ。だえんさんはこの銀河の場所によって物理法則が異なることについての考察として、『「人間原理を相対化しよう」ということなのかなあと推察しました。』といっている。
これだけだとなんのことだかさっぱりわからないのでその後に続く説明を簡単に要約すると人間原理(人間にこの宇宙調子よすぎるから、むしろ人間に合わせて宇宙を観測しているだけなんじゃねーの理論)を下敷きにして、本作の宇宙は下記のようになっているんじゃないかといっている。
銀河の中心部:生命が存在しないため、生命の存在を許す物理定数を持つ必然性が無い
銀河の外縁部:生命が存在するため、生命の存在を許す物理定数を持つ
銀河の周辺部:さらに高度の存在を許す物理定数を持つ?
『つまり観測者による多数決、人間原理版の民主主義というわけです。』という。なかなかおもしろいじゃないかふふん(なんて上から目線だ)。ただそれならば中心部から人間が無茶をしてえいやといちどきに大量に移動したら銀河の中心部は外縁部と同じような世界観になってしまうのだろうか。また本作では外縁部の人間は最終的に神仙となることを目指しているようだが観測者によって世界が認識されるのであれば上位階層への移動は可能なのかちょっと微妙だ。
僕はまた別の説を唱えよう。著者のヴァーナー・シュテファン・ヴィンジは技術的特異点についての論文を書いている。
Within thirty years, we will have the technological means to create superhuman intelligence. Shortly after, the human era will be ended.
—"The Coming Technological Singularity" by Vernor Vinge, 1993
技術的特異点はここ最近カーツワイルで有名になった感があるが、ヴィンジも技術的特異点のアイディアの普及に大きな力になっているようだ(なにしろ1993年の時点で論文を書いているぐらいだから)。Wikipediaの記述を信用するのならば『この概念は、数学者ヴァーナー・ヴィンジと発明者でフューチャリストのレイ・カーツワイルにより初めて提示された』とある。
で、たぶんヴィンジの考えている宇宙ってのはこの技術的特異点的な発想からでた、指数関数的な技術の進歩を得てきた人類史を宇宙の構造に置き換えているんだと思うんだよね。ようは最初の何万年かを人間は棍棒とかで生きて、長い長い停滞の時間を得たのちに数学や科学の概念がうまれ、機械がうまれ、ある時コンピュータが生まれて、そこからあっという間に技術的な革命が起こってきた。
今ぼくらの時代の技術的進化、10年での変化は2000年前の10年の変化とは比べ物にならないわけで、ヴィンジの世界観ってのはこうした「時代ごとによる技術革新スピード、情報処理速度が全く異なる」状況を表現しているのではないか。そうすると当然ながら神仙たちがすむ超越界は、特異点後の世界ということになる。
この設定のすごいところは、この世界観だと「特異点後」の世界も書くことができるし、「特異点以前」の世界も書くことが出来るところなんだよね。それらが人類史のように一方向にしかいけないのではなく、シームレスに場所として繋がっているおかげでそうした表現が可能になる。犬型の低文化群体精神体異星人が出てくるのだが、物語のプロットとして、異星人への「技術提供」で「最短経路で文化を発展させる」とかシヴィライゼーションをみているみたいな展開もあっておもしろいのだ。
そう、犬型の群体知性体といったものが出てくる。必ず複数体で構成されていて、思考音でそれぞれの個体を結びつけて行動することが出来る。ある程度離れていても大丈夫だが、他群体と近くにいると思考音が混ざってまともに思考できなくなる。これがネックとなってこいつらの文化は一定のところまでで頭打ちになってしまう。
この異星人の設定がまたすごくいいんだよね。複数個体での知性となるとまっさきに集合知が思いつくが、群体は個体を入れ替えても一貫性を保てるがその性質はかわっていくという設定もあって、ソフトウェアアップデートみたいなイメージだろうか。群体知性体は常に自分をアップデートできるし複数で思考できるが協力ができない。
人間は一人で考えなくてはいけないが協力ができる。さまざまなメタファーで読み取れる設定で、魅力的だ。また犬なのもいいよね。犬型の異星人ってなんかおそろしげなやつしかみたことないのだけど、本作ではたとえば群体知性体の子どもが出てくる。ようするにこれって「いっぱいの子犬」だから想像しただけで頬が緩んでしまうかわいさではなかろうか。
設定だけでかなりお腹いっぱいになる本だがドラマ部分も相当こっていて一から十まで解説したいのだけど、もうつかれたからやめておこう。最初にいった3つのプロットとは、異星人に捉えられた2人の子どもが、対抗する2つの犬型異星人のグループにわかれてシヴィライゼーションをする2プロットと、その子どもたちを救い、船に残された宇宙を救う秘密をなんとかして手に入れようとする銀河世界側の救出船の1プロットになる。
そのそれぞれで「人間と群体知性体の協同は可能か? 可能としたらどのような形があるのか?」といったプロットや、「技術的に遥かに劣っている側が、技術を奪えるのか?」といったプロット、さらには銀河系を巻き込んだ邪悪意識とそれに踊らされる異星人たちといったプロットやラブまでが進行するわけでめちゃくちゃ複雑。だがよく練られている。
少なくともこの宇宙空間の設定は延々とSF史に残り続ける名アイディアだと思うなあ。いま読んでも全然古くないのでオススメですよ。タッチすると翻訳された意味が出てくる今のiPadみたいなテクノロジーも出てくるし、めちゃくちゃ未来的な話だ。インターネット掲示板みたいなイメージで銀河系の危機について各自が語り合っているところはあまり未来感はないしデータの転送量で誰もが資金繰りにひいひいいっているところなどは当時の状況を物語っているけど。
- 作者: ヴァーナーヴィンジ,Vernor Vinge,中原尚哉
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