『クロックワーク・プラネット』ライトノベルのシリーズ一作目で、著者は『ノーゲーム・ノーライフ』でライトノベル作家デビューした(その前は漫画家、イラストレーター)榎宮祐さん。もう一人は暇奈椿さん。キャラクタが美少女だったり、その会話の内容、テンポなどは、オーソドックスなライトノベルスタイルを想像してもらえれば足りるだろう(人によって想像するものが全く異なる怖い言葉だ)。
一方で特異なのが、崩壊しかかった地球をすべて歯車で再構成することでエネルギーをすべてまかなうという突飛な、しかし想像力を刺激される世界設定と、その「時計仕掛けの惑星」の設計者である「Y」が作成したとされる。人間の主人につき従う超高度AIおよび身体能力を有した自動人形が世界に何体か存在しているという設定。
――唐突だが。世界はとっくに滅亡している。
死んだ地球のすべてが、時計仕掛けで再現・再構築された世界――
“時計仕掛けの惑星”。落ちこぼれの高校生・見浦ナオトの家に、
ある日突然黒い箱が墜落する。中にいたのは――自動人形の少女。
「あんな故障一つで二百年も機能停止を強いられるとは。人類の
知能は未だノミの水準さえ超えられずにいるのでしょうか――?」
榎宮祐×暇奈椿×茨乃が共に紡ぐオーバーホール・ファンタジー!
一代の天才とその天才によって創られた超アイテムという設定は、割とありがちだと思うが(ぱっとおもいつくところだと刀語とか、BEATLESSもかな)なんでかな。ほんの少ししか超アイテムがないこと、これ以上増えないことへの理由付けとしてはちょうどいいし、何よりわくわくする。
珍しい合作ということで、どういう分担で割っているのかよくわからないが、一方の著者である(世界設定・構成?)榎宮祐さんが著者のノーゲーム・ノーライフもまたよくできた作品で、SFファンならば読んでおくべき傑作なのだが、彼の設定はどれも非常に映像としてはえるんだよね。
歯車の魅力
今回の歯車によってすべてが構成されている世界とか、かつてカリオストロの城でルパン時計塔の歯車の中をえっちらほっちらと追いかけっこしたり戦ったりする場面で感動した人間としては、絵を想像するだけで愉快な気持ちになる。
きゅらきゅらきゅらきゅらとまわる歯車、常に動き続け止まることがない歯車、乗ったら運ばれ堕ちてもひっかかりあやうく挟まったりする歯車はなんて素晴らしいんだろうか(この本にはそんな場面ないが)。
いったい歯車の何が、こんなに人の気持ちを駆り立てるんだろうなあ。源泉のひとつは間違いなく「多数の単純な動きを繰り返す部品が、最終的に組み合わさった結果出力としてエネルギー(情報)を生み出す」っていう奇跡的な工程にあると思う。たとえば一つ一つの部品はただガリガリと回っているだけなのに、最終的に時を刻む機械時計。それを考えた人間もすごいが、そんなことが可能になる構造もすごい。
中でも歯車の動きってのは目に見えるからね。ぐるんぐるんとまわって、ひとつひとつが連結していくそのダイナミクスに興奮する。そして歯車といえば重なり合い、まわりあったときの音も僕にとっては重要なイメージなのだが……、本作でも重要な役割を果たす。
主人公の異能
主人公が「他の誰も持っていないすっげー能力を持っている」というのは定番パターンと化しているが、本作ではそれは「異常聴覚」として表現されている。
ようはすげー耳がよくて何千メートルも離れた場所で起こった音がすべて聞き取れる程度の能力なのだが、それで歯車同士の異常をチェックすることができる。この演出として、「200年間誰にも直せなかったオートマタをわずか3時間で直してしまう」という場面がある。また「誰も総パーツ数など把握できない巨大建設物」をただ耳を澄ますだけで故障原因及びそのパーツ数までぴたりと言い当てることで、「天才」演出として成り立っている。
これを読んだ人間は誰もが「耳が良いから故障がわかるのはまあいいとして、パーツ数がわかるのはなんでだ??」と疑問が出るだろう。ただの演出上のご都合主義なのか、はたまたこの後何か彼について新しく設定が浮かび上がるのか? 映画レインマンには自閉症として描かれる男が、床に散らばったマッチ棒の数を見もしないで何本だったかを当てる場面があるが、あるいはそうした共感覚やサヴァン、アスペルガー的な能力ゆえかもしれない。
ロボット(機械)とのパートナーシップ
からくりサーカスやBEATLESSのように、美女人形(ロボット)と男主人公という組み合わせは何度も繰り返されてきたのだから、普遍的なものがあるんだろう。デリケートなところだし詳しいわけでもないので男女の性差を訳知り顔で挙げるのもあれなんだけど、男性が機械いじりがすき(あるいは機械式のものが好きな傾向がある)なのと、女性はあまりそうした趣味を理解しないことからいっそのこと「女性を機械式にしちゃいました」という流れを想像してしまう。歯車で動く美少女自動人形とか素晴らしい存在ではないか?
超高度AIと人類のゆくえ
人間の能力を超えた演算能力と身体能力をもった自動人形なんてものが存在したら人間の仕事なんてなくなってしまいそうなものだが(むしろ置いてきぼりにされるだけだろう。)本作ではオートマタは人間に付き従うものとして定義されている。
作中で超高度AIとみなせる自意識をもった自動人形はまだ主人公が所有する一体しか出てきていないが、今後いくつか出てくるだろう。
問題は人間より遥かに早い演算能力を持つAIならば、人間にそれと知らせずに行動を誘導し未来を都合よく作り変えていくことができる可能性があるところで、「人間の為です」といわれてしまうとどうしようもない。そしてこれまた厄介なことに、人間より遥かに演算能力が高い相手にむかって、人間は自分の行動が誘導されているか、いないかといったことを知覚することが実質不可能になる。
反発さえもがこの超高度AIの計算なのだとしたら──という堂々巡りの問いから逃れることはできなくなるのだ。超高度AIと人間のバディものは根源的のこの不安を抱えている。これを『BEATLESS』という長谷敏司による小説では「主人公はちょろい男だからAIを根っこから信じる」とする設定で突破する。
歯車で出来た世界だからこそ、そうした「決まっていること」への問題は自覚的に取り扱っている。今後この作品はどのようなルートでこの問題を突破するのかたいへん見ものである。
- 作者: 榎宮祐,暇奈椿,茨乃
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/04/02
- メディア: 文庫
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