基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

自由と尊厳を超えて

山形浩生さんが訳しておられたので読んでみた。1971年の古典といっていいのかどうかわからない微妙な時代に出されたものの、再訳となるらしい。著者のB・F・スキナーは行動心理学の開祖ということで、そうした前提情報を何も知らずに読み始めたのがこれがなかなかの快著だ。考え方の根底が原理的で、さまざまな問題に応用することができる発想を中にためこんでいる。

スキナーが本書で繰り返し語るのは、行動の原因を自律的な内なる人──心に求めるのをやめて、実際に起こっていること、つまり行動と環境との関係を直接見るべきであるといったことだ。性的行為への処罰は性的なふるまいを変える。人が苦しむとしたらそれは内的な感情から苦しんでいるのではなく事故や犯罪や戦争や仕事がうまくいかないとか怒られるかもしれないとか、そうした周囲の環境の副産物として起こる。『生じるかもしれない感情は何であれ、せいぜいが副産物でしかない。』

こうした考えを推し進めていくと、大前提を棄てなければいけなくなってくる。たとえば「人は自由だ」という前提。しかしたとえば僕が日本語を喋り日本語の本を好むのは僕が日本に生まれ育って日本語の中で暮らしてきたという環境にそもそもの原因がある。腹が減れば何かを食べるという行動を起こすが、これだって腹が減るという自身の身体環境によって行動が誘発されている、自由意志ではないということは、たしかにできるだろう。

風呂にはいるのもトイレにいくのも友人付き合いをするのも誰かに恋をするのも環境が関わっている。僕は自分で何かを選びとってきた気になってはいるが、その一方でほとんどの方向性は環境によって決められてきたことだといえる。

とまあここまで書けば書名の意味もわかってくるだろう。『自由と尊厳を超えて』とは、今まで自由だと思っていたものは、実は自由ではなかったし、尊厳(本書でいう尊厳は、『単に「人にほめられる」ということだ』by山形浩生さんによる解説)も同様に、今までとは違った意味で捉えられるようになる。我々は人に感心するときにはある一定のパターンが有る。

たとえば生命を投げ出して戦った兵士が、上司の命令で後ろから銃をつきつけられた状態でやったのか、あるいは給料をはずむからやれと言われたのか、そうした「必要がない」状態で生命を投げ出すような行為を行ったのかでは、その兵士への尊敬、敬意、感心の度合いは著しくことなってくるだろう。だから称賛を受けたい人間はそうした自分の行動の原因をひたすらに隠したり、別の理由をでっちあげたりする。スキナーが提唱するような行動科学は、そうした行動に対して別の説明を与えてしまう。

僕らの行動が環境によって規定されているもので、自由や尊厳といったものはそうした外部要因のコントロール下にあるものだと「認識」して、その前提の上で我々は自分たちの社会をつくっていかなければならない。たとえば環境がどれだけ人間行動に影響をあたえるのかが精密に判定できるようになってくれば、人間への教育、道徳学習なんかよりも環境設計、文化設計こそが人間の社会をよりよいものへと変えていく有効な手段になるかもしれない。タイトルである『自由と尊厳を超えて』はそうした未来を見据えている。

いま様々な分野で環境が人に与える影響が見直されつつある。教育の分野では、たとえば親が高学歴であればあるほど子どももよく勉強する傾向がある。それはお金があって塾に行かせるなどといった理由もあるのかもしれないが、「勉強によって人生は好転する」という動機が子どもに埋め込まれることが大きい。「努力に意義がある」と感じられる人間と「努力に意義なんてない」と感じる人間が、めいかくに家庭環境の時点で差がついてしまうのである。

また『『遺伝子と環境の相互作用についての2冊 - 基本読書』などを読むと人間の能力のかなりの部分が、生まれながらにして決定されてしまっているとする実験結果をみせられることになる。日本人男性の平均身長170センチなのにドイツ人男性の平均身長は180センチだ。髪の色も眼の色も遺伝子が違うだけで変わる。だからこそ、遺伝子によって能力が大きく変わるのも当然といえるかもしれない。

意識は傍観者である: 脳の知られざる営み - 基本読書 でも、驚きの結論が導かれる。僕たちは自分の身体は「わたし」が支配していると感じるが、実はそれは間違いである。正確には行動の大部分は無意識的な行動で支配されていて、意識は行動の最後に現れて「これは自分が決断したことだ」と思い込まされている。環境によって自分の行動が決められるどころか、それでも最終的にはゴーサインを出しているように思える意識さえも錯覚かもしれない。

被験者の脳に電極をつけて、指を上げるという非常に簡単な動作をしてもらう。そして「指を動かそう」と感じた瞬間を記録する。面白いのはここからで、被験者が「指を動かそう」と意識する一秒以上前に、指を動かそうという脳内活動が生じている。ようするに、脳が「指を動かそう」と指令を出した一秒以上後に意識は「指を動かそう」と思考するのである。

スキナーが本書を書いた時代にはわからなかったことも幅広く今では知見が広がってきてわくわくするような状況だが、その根っこにはスキナーが述べてきたような原理原則がある。『本書は、こうしたいままさに重要となりつつあるテーマについて、極論ではあれまとまった思考を展開した先駆的な著作といえる。*1土台をがっしりと築き上げたところに本書の価値があると思う。

行動経済学や遺伝子、周囲の環境についての理解はますます深まっているが、土台としてスキナーの著作を踏まえているとより理解がしやすくなるだろう。そういう意味では、まっさきに読んでおくべき本だったなあ。再訳に感謝である。

自由と尊厳を超えて

自由と尊厳を超えて

*1:p301-訳者解説