基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

Who Owns the Future? by Jaron Lanier

『人間はガジェットではない』⇒人間はガジェットではない - 基本読書 を書いたジャロン・ラニアーによる新刊。人間はガジェットではないの中でラニアーは、ガジェットによって消されていく「個」があるが、いつだって何かを生み出していくのは一人の人間なのだとする「人間の本来持っている能力」へと焦点を当てた一冊だった。

Who Owns the Future? はそこでの思想を一歩先に進めて、今世界を覆っている超巨大IT企業──GoogleAppleAmazonのようなSiren Serverをやり玉にあげ、フリー化する社会では勝者総取りの「1割の勝ち組が富の大部分を得る」社会から「真ん中を起点としてまんべんなく富が散らばる=釣鐘状の線を描く正規分布曲線」社会こそが我々の目指すべき世界なのだとぶち上げる。

ラニアーが言っているのは単に「テクノロジーを棄て我々は山に帰るべきだ」というようなとんでもな文明批判ではない。文明批判ではないが、今のGoogleAppleAmazonといった巨大なIT企業が持っている力をどう個人に利益分散していくのか、個人が個人の価値によってうまれた現象に対する正当な評価をどう得たらいいのかを提唱しているのだ。

これがまたとんでもなくおもしろく批評になっているし、なかなか正当だとはいってもやっぱりとんでもな理論をぶちあげた怪書で、読んでいてわくわくが止まらない素晴らしい一冊。翻訳はもう決まっていると思うが、決まっていないかもしれないので面白い面白いといって応援しておく。ラニアーの案をそのまま現実に適用するビジョンはまったく浮かばないし、言っていることがおかしいと思う部分はたくさんある。

たとえばラニアーはGoogleFacebookTwitter社は本社に極少数の人数しかおらず、その規模に比べて正規に雇っている人間は驚くほど少ない。たとえばゼネラルモーターズなどのような製造業と比較した場合。たとえばGoogleゼネラル・モーターズの約7倍の市場価値を持っているが、Googleにおける労働者は5万3千人であり、一方GMの労働者は20万2千人も存在している。

音楽産業や本産業はすっかり荒廃し仕事はなくなりそうした利益はほとんどがSiren Server(FacebokとかAmazonとかGoogleとかみたいな企業のこと)へいく。そしてテクノロジーが拡散していくのになぜ我々は未だに苦しみ、経済は一度ならずの痛みを乗り越えてこなければならないのか? と連続していくつもの問いを発するが、失業や経済、生活環境といった複雑なからみ合いの問題を一部のシリコンバレー産業に押し付けるのはいくらなんでも横暴で聞くに値しない。

もちろんそうした横暴ともいえる議論だけではなくて、Googleウロボロスだ、という指摘などはなかなかおもしろい。いま大盛り上がりの3Dプリンタの登場などによって、物質のデータ(たとえばギターとか)までもがFreeでやり取りされるようになっていったら誰もそんなもの高い金だして楽器屋で買わないよね? そうなったら最後、いったいぜんたい誰がGoogleに広告を出すんだ? という。

そりゃあそん時は別のもの売ってるんだろうな、GoogleGlassとか、車の自動運転とか。とは思うもののまだそうしたところの収入はGoogleの核にはなっていない。こんごうまくそうした方向へ舵を切っていけるかどうかというのはさっぱりわからない。

しかしラニアーの最初の著作から一貫している「個人が生み出した価値へ、正当な対価を与えられる社会を」とする「幹」にあたる姿勢は読むに値するものだ。というかSF的発想で面白い。ラニアーはどういう制度でそれが実現されるかについても一応簡単に述べているんだけど、これなんか読んでてわくわくする。大体次のようなものだ。

あなたは将来オンラインのデートサービスで配偶者と出会ったとしよう。そしてあなたがそのたまたま出会った相手と相性がよく、そのまま長年付き合い最終的に結婚したとする。そうするとデートサービスはあなた達を成功例として自身の統計データに加え、よりアルゴリズムを洗練させ次のカップル成立に役立てるだろう。

ラニアーが言っているのはそうした情報に対して、僕らは金をもらうべきだという主張だ。これをラニアーはnanopaymentシステムといっている。もちろんそれは大量の収入にはならないだろう。だからこそ「nano」paymentシステムなのだ。しかしごく少額だとはいっても、僕らは普段の生活でFacebook apple Googleといった企業に日々そうした「自分の情報」を与えることで企業の価値上昇に寄与しているのを忘れてはならない。

検索エンジンであれ、ソーシャルネットワークであれ、保険会社であれ、あるいは、投資信託であれ、大規模な顧客の行動履歴を大量に取得し、分析し、自身の企業価値を、周囲の犠牲によって上昇させていく。我々はそうした搾取的状況から正当な対価を得るべきだというのが骨格なのだが、そうはいってもその対価として僕らは「金を払っていない」のではないかという反論が普通に出てくると思う。

問題は「GoogleFacebookといった企業が顧客から取得したデータをどのように利用しているか(政府などに流しているのか)我々にはわからない(相手が公表しようと思ったデータしか知ることができない)」ところに基本的にあるのではないかと僕は思っている。僕らがそれが「得なのか、損なのか」といったことを判断するにもまず正当な情報が開示されなければならないがその前提が崩れている、まずはここを是正すべきだろう。

反対に利点があるとすれば僕らは自身の情報の価値を自分たちで判断するまでもなく値付けして金をもらうことができる。またアメリカ政府が大掛かりなスパイ活動を行なっていたことが最近発覚され、それをばらした奴は実は中国のスパイだとかいや違うといった泥沼な状況になっているがそうしたスパイ活動に金がかかることになる。そして恐らくここがラニアーの主張の核となる部分だが、無料で広告によって収入を得るようなモデルでは、一流の物はできあがらないということだ。

自身のやったもの「自体」にたいして、相応の対価を得る。それこそがラニアーの考える世界では「自然」なことなのだ。『たしかにパトロンはバッハやミケランジェロを我々に与えてくれた。しかし、ウラジーミル・ナボコフビートルズスタンリー・キューブリックパトロンが与えてくれるとはとうてい思えない。』──人間はガジェットではない

なかなか想像の広がる話ではあるものの、一方そうしたシステムをどうやって構築したらいいのかについてラニアーの提言はほとんどないか、荒唐無稽だといってもいい。シリコンバレーに並ぶ巨大企業たちを説得するのはほぼ不可能だろうしだいたいそんなシステムをどうやって構築して、どうやって運用するんだ、それだけのコストをかける利益が得られるのかといえば──まあないだろうね。

でも最初の方に言ったようにこの本のおもしろいところは「緻密な現実的な理論をつくりあげた」ところではない。Freeへ強烈にNoを突きつけたその姿勢と、ベル・カーブ型の収入分布を目指して真に情報に適切な対価が与えられるような社会へと舵をキルべきだとする「幹」の部分への執着こそが本書の価値だろう。ほんとうにおもしろい一冊なので読む機会があればぜひ。

Who Owns The Future?

Who Owns The Future?

人間はガジェットではない (ハヤカワ新書juice)

人間はガジェットではない (ハヤカワ新書juice)