基本読書

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書くことについて (小学館文庫 キ 4-1) by スティーヴン・キング

キングによる小説作法。世の中にはいくつもの小説作法の本があって、僕もつくっている人間は何を考えているのかを知りたくて、結構読んでいたんだけど本書はその中でも群を抜いて素晴らしい。最良の一冊だ。作法がよくできている、画期的なやり方だ! というわけではない。まあだいたいは過去にあるものの踏襲というか、どこかで読んだことがあるものだ。当たり前だ。そんな斬新な方法があるわけがない。それに僕は小説なんて書かないのでここに書いてあることがどれだけ的を射ているのかなんて検証もできない。

機械的な、システマチックな方法を教えてくれるわけではない。文法は教えてくれるが、それぐらいだ。本書は主に第三部からなっている。キング自身が自分の生い立ちを語る自伝的な部分を第一部とすると、個人的な視点から小説創作について語った第二部、第三部はキングが死にかけた交通事故にあった後生について考えたことだ。その全てに「書くこと」がテーマとして共通している。

じゃあ何がそんなに素晴らしいのかといえば、世界でも指折りのストーリーテラーであるスティーヴン・キングが、自分自身が「いかにして書いているのか」「どんな気持ちで書いているのか」「書くことについてのどんな人生をおくってきたのか」をまさに自身の物語るかのように詳細してくれる、まさにその点にある。キングが自身の生い立ちを語りながら、書くこととの関係性を語っていくところなどは、もうまるでキングによる小説を読んでいるかのようだ。

私がここであきらかにしようとしているのは、ひとりの作家がどうやって自分をつくりあげていったかということである。ひとりの作家がどうやってつくられたかではない。作家は境遇や一途さによってつくられるものではない(一時期はそう思っていたこともあるが)。

特に母親とのエピソードが心温まる。母子家庭で、恐らく金銭面でも精神面でも行き詰っていた。1954年、キングがわずか7歳のとき。彼は初めての物語を書く。創作ではなく、模倣で、コミックの台詞を書き写しそこに地の文をつけたしていた。それを母親にみせたとき、母親は『母は魔法にかかったみたいだった。そのときの驚きの表情と微笑は今でもよく覚えている。』そうだった。

 だが、次の母の言葉は、”自分で考えたのか?”だった。私はそれが人気コミックの引き写しであることを認めた。母はがっかりし、私はしょんぼりした。母はわたしにメモ帳をかえして、こう言った。「自分で書きなさい、スティーヴィー。『コンバット・ケーシー』なんてくだらないわ。毎回ひとをボカスカ殴ってるだけじゃないの。おまえならもっといいものが書けるはずよ。自分で書きなさい」
 私は覚えている。母の言葉に無限の可能性を感じたことを。豪壮な邸宅に通されて、どのドアをあけてもいいという許可を与えられたようなものだ。そこにあるドアの数はひとが一生かかってもあけられないほど多い。そのときも、いまも、私はそう思っている。

もしキングの母親が、こうして彼の背中を押さなかったら、あるいは積極的に阻止しようとさえしていたら、スティーヴン・キングはこの世界に作品を発表していなかったかもしれないと思うとまったく恐ろしいことだ。世の中には潰されていく才能も数多くあるだろうけれど、キングの場合は違ったのだ。まったく素晴らしい、その後キングは、自分で書いた。

彼の人生にテーマが与えられているとしたらそれは、「書くことについて」ということになるだろう。とにかく書いている。7歳の頃から書いていたし、その後の学校生活も常に書くことと共にあった。決して華やかなスーパーヒーロの道のりではない。幾つもの賞に落ち、教師として就職しながらも書き続けたがなかなか芽が出なかった。

スティーヴン・キングとして確立されたあとも、アルコール&薬物中毒の悲惨な状況に陥ったりもする。彼の有名な作品のいくつかはこの時期に書かれているんだから、驚いたものだ。そうした辛い時期にあってさえ、書くことはやめなかったし、喜びだったという。彼の人生にテーマを与えるとしたら、『書くことについて』以外ないだろう。

小説作法

と、ここからが第二部にあたるし本題でもある『書くことについて』。いくつかの興味深い、具体的な話がある。できるだけ簡潔に書くべきだ、副詞はできるだけ省くべきだ、とか。またキング自身が英語教師だった経験もあるのか、文法についてのこだわりも強い。

会話について、プロットについて、推敲について、エージェントについて、象徴について、テーマについてなどなど1つずつとりあげていくと、単体で数千文字を超えてしまうぐらい密度がこい。『本書が短いのは、世の文章読本のほとんどが戯言を詰めこみすぎているからである。』と言い切るだけはある(本書は普通に一冊分なので別に短くないと思うが)。

なのでそのすべてを網羅的に紹介するわけにはいかないが、いくつか面白かったポイントをとりあげてみよう。まずキングはプロットを重視していない。キングが考える小説が成り立つための3つのポイントは次のようなものだ。『ストーリーをA地点からB地点へ運び、最終的にはZ地点まで持っていく叙述、読者にリアリティを感じさせる描写、そして登場人物に生命を吹き込む会話』

どこにもプロットはない。というのもキングにいわせればストーリーというのは状況とキャラクタの相互作用のようなものから出てくるものであって、つまり状況設定に依存している。複数の人物を窮地に立たせ、彼らがどうやってそこから脱出するのかを見守って、描写する。『いずれにせよ、結末にこだわる必要がどこにあるのか。どうしてそんなに支配欲をむきだしにしなければならないのか。どんな話でも遅かれ速かれおさまるべきところへおさまるものなのだ。』

新しい手法というわけでもないが、キングが緻密にプロットを作り上げるタイプでないことは作品から明らかだろう。自走的に動いていくストーリーをなんとか制御しようとして書いているような印象がキングの小説にはある。そしてキングがすごいのは、自走していく物語をコントロールするその力量なのだ。僕はその秘密が知りたいと思っていた。コントロールはどうやっているのか?

読んでいて思ったのは、それはたぶん至極地味な作業の末に生まれてくるのだろうということ。ようはそれは何度も何度も練り直し、必要のない描写、単語をそぎ落としていく推敲であるし、その人物がどんな行動をとってどんなことを喋るのか、いかに正確に描写できるのかという誠実さの問題である。そうした地道な作業をどこまで魂を入れてやるのか。

煎じつめれば次のようになる。日ごろの鍛錬が大事であるということと(鍛錬とはいっても、それは楽しいものでなければならない)、正直さが不可欠であるということだ。描写や、会話や、人物造形のスキルとは、つまるところ、目を見開き、耳を澄まし、しかるのちに見たもの聞いたものを正確に(手垢のついた余計な副詞は使わずに)書き移すことにすぎない。

抽象的でほとんど何も言っていないと思うかもしれないがここが最も中心的な、キングによる小説作法の核の部分であり、テーマだとか文法だとか象徴だとかエージェントだとかは枝の部分にあたる。ストーリーはプロットではないし、テーマはストーリーのあとに生まれる、というのも幹に近い。

本書の前半部分はキングがいかに書くことを学んできたのかについて、後半部分はキングが培ってきた技術に関する話だ。キングは第三部で、ヴァンに跳ねられ瀕死の重傷を負い、なんとか身体を動かせるようになった後、机の前に座ってこの本の文章を再開させた。奇跡的な進展などなかったが、充実感を得たしまた前へ進み始めた。『そこが肝心なところだ。いつだって始める前がいちばん怖い。始めたら、それ以上は悪くならない。』

キングの人生が……というよりかは、キングの「書くこと」への姿勢が、大切なことを教えてくれる。キングは語る。幸せになるために書いてきた。『あなたは書けるし、書くべきである。最初の一歩を踏み出すユウキがあれば、書いていける。書くということは魔法であり、すべての創造的な芸術と同様、命の水である。その水に値札はついていない。飲み放題だ。 腹いっぱい飲めばいい。』僕は別に小説を書きたいわけではないが、キングのような態度で物事にあたっていければ、と思う。

書くことについて (小学館文庫)

書くことについて (小学館文庫)