基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

読み手への親切とは

文章なんてものは小説でもノンフィクションでも人を喜ばせるという点で、最初は自分のエゴみたいな部分をどれだけ消して読み手を考えられるかということだ。しかしそれを徹底するとその人にしかないものが消えてしまう。基本的にはみなどこにそのバランスをとっていくのか、っていうところが問題になってくる。

ある人にしか出せない味、というものがないんだったら、その人が生み出すものを読む理由なんてなくなってしまう(その人しか出さない/その人ぐらいしか出せない情報があるなら別だが)。エンターテイメント作家の場合、よくこの親切心を目にする。こういう一つ一つの努力が作品を支えているんだろうなと思う。

たとえば『謎の独立国家ソマリランド』で高野秀行さんは、わかりにくーーーいソマリ人の氏族関係、氏族同士の中の悪さ(たとえばイサックのハバル・アワルのサアド・ムセとかいう人間が普通に出てきて、しかもそうした所属している氏族が力関係に関わってくるので重要なのだ。しかしそんなもの覚えられるはずがない──。)戦争状態などを読者にわかりやすく伝えるために日本の歴史上の氏族をつける。

たとえばイサック氏族は「イサック奥州藤原氏」、旧ソマリア時代に反映したダロッドを「ダロッド平氏」というように、日本の氏族をつけることで覚えやすくしようとする。正直言って僕は日本の氏族もあんまり知らないのであんまり効果がなかったような気がしないでもないが──、でもこういうことのひとつひとつが「ううむ。読者のことを考えてくれているなあ」と読んでいて嬉しくなる。

また今週のジャンプには、なんと鳥山明さんの新連載が載っているのだが、これも読んでいて懐かしい丁寧さに嬉しくなった。鳥山明作品って、かなり設定が適当なように見えるが、エンターテイメントとしては真摯だ。たとえばこの作品だと宇宙人がきてじいさんが一人ですんでいる孤島みたいなところに落ちてくるのだが、その時当然ながら設定の説明フェイズが多少なりとも入る。

で、その説明がけっこう長いんだけど合間合間にギャグを入れたり、特に長く退屈だが、かといってはぶくこともできない「どうして墜落したのか」という状況の説明時には宇宙人が謎のアクションを入れてその次のコマで「…いまのアクションはなんだったんだ?」「セリフがながいので動きで変化をつけてみた」というやり取りがあるなど、かなりメタ的に説明を強引に楽しませようとしてくれる。

もっとうまくやる方法もあるのかもしれないし、むしろこれは下手な部類なのかもわからないが、でもこのテンポは鳥山明だなあと思って読んでいてとても懐かしかった。一方ただ書いているだけで楽しい、という人間だったら読み手が読みやすいようになんて考えないだろうから、人を呼んだり面白がらせるようなものを書く能力にはならない(僕がそうだが)。

こういうのは一例だけで、親切になる方法なんていくらでもある。ブログだったら適度な分量で見出しをつけるとか、一行の文字の長さを人間の最も読みやすく好感を持ちやすい数に揃えるとか(たしか35〜40文字)。そういう親切心をどれだけ発揮できるかっていうのはエンターテイメントとして成り立つために、小さいながらも重要だなあというアタリマエの話だ。

特にノンフィクションなんかだと、「事実をありのままに伝えているのだからわかりづらくても仕方がない」みたいなことは普通にあって、高野さんのようにわかりやすく、かつ同時に面白くしてくれるような作家は希少だ。

謎の独立国家ソマリランド

謎の独立国家ソマリランド