日本SF作家クラブ編の「想像力」「未来」をテーマにしたエッセイ集。SF JACKでは短編を組むし、なんだか活動が本になって現れている。会長は変わってるけど。そもそも数があんまり出ていないのか、Amazonはあっという間に品切れになってしまうし本屋にもぜんっぜんおいてない。だからここで紹介しても買うのに苦労するだろうが、書いちゃおう。書いている面子はそうそうたる顔ぶれ。敬称略で目次順に紹介すると次の通り。
新井素子『小さなお部屋』荒俣宏『SFを読むことが冒険だった頃』上田早夕里『夢と悪夢の間で』神坂一『未来は来るのか作るのか』神林長平『想像しなくては生きていけない』新城カズマ『IT'S FULL OF FUTURES‥』長谷敏司『皆さんに受け渡す未来のバトンについて』三雲岳斗『想像力の使い途』夢枕獏『物語の彼方へ──SFのことなど』
想像力やSFをからめて話をするせいか、みなさん自分の過去話をからめた話が半分ほどを占めている。そして当然ながら、想像力を使うことがどのような効果をもたらすのか、みなそれぞれの手管で語っている。新井素子さんは現実にうまく適応できなかったという自身の子供時代を振り返りながら「自分の中に想像力でできた小さな部屋をつくること」の重要性を語り、荒俣宏さんは60年前に自分が生まれた世界と今の世界を比較しながら「むかしの冒険的できごと」について語り、未来へと話をつなげていく。
上田早夕里さんは過去の読書遍歴を振り返りながら「悪夢」も「夢」も想像する心の前では対価だと語る。悪夢を想像することもまたそれを回避、あるいはそこから何かを得るためには必要になる。これもまた、想像力をどこに振り向けるのかという話で重要な指摘だ。岩波ジュニア新書ということもあって子どもに言い聞かせるような文調の方が幾人かいていつのまにか大人になってしまった僕は対象読者から完全に外れているやんけ!! とショックを受けたりもしたがでもどれも大切なことばかりだ。
普段小説ばかり書いている人達なのでこうしたエッセイは新鮮でおもしろいのだが、その中でも神林長平さんと、三雲岳斗さんのものが特に良かった。
三雲岳斗さんの話は『想像力の使い途』という題で、自分が作家になろうと思い立ったときのエピソードを主軸にして一本仕上げている。僕は氏のライトノベル作品もほぼ全部読んでいるぐらい好きなのだが(これは結構すごい。だって何十冊も出てるんだよ)でも特に好きなのはライトノベルレーベル以外から出ている、ガッツリとしたSF作品なのだ。あんまり数がないから悲しいのだけど。
話がそれた。そう、ライトノベルにはほぼ必ずといってもいいぐらいあとがきがある。あとがきがあるからけっこうブログやTwitterをやっていない作者のこともわかったりするのだが、三雲岳斗さんの場合はほぼ事務連絡みたいな挨拶だけで本人のことがさっぱりわからない。ブログも事務連絡だしTwitterも事務連絡みたいな感じで、「さっぱりどんな人間なのかわからない」のである。
まあ、小説を読んで楽しんでいるのだから作家のことをしる必要はないのだけど。でもこのエッセイではデビュー前のことが語られていて、これが面白いのだ(ようやく本筋に戻った)。
三雲岳斗さんは、二十六歳のある日、突然作家になろうと思い立ったのだという。オートバイメーカで輸出関係の仕事をしていたそうだが、これを辞め、小説を書き始め、新人賞を受賞して最初の本を出版したのが二十八歳のときだったという。二年で小説を出版したのだ。
僕は二十六歳のときに作家になろうと思った。
そのとき最初にやったことは、自分が作家になるまでの道のりを詳細にイメージすることだった。作家になるためには小説を書かなければならない。小説を書くには時間がかかる。そのための時間をどうやって生み出すか。実際にプロとしてデビューできるまでには何年も必要になるだろうし、それまでどうやって生活するか。そもそも小説を書いたことがなかったから、どうやって技術を身につけるのか。
そして忙しくあまり時間のとれなかった仕事をやめ、より自由に時間の使える仕事へと転職することにしたそうだ。目標を決め、そこに向けて現実的に必要なステップをひとつひとつ想像していくこと。『繰り返しになるけれど、想像力とは、そのままでは辿り着けない場所に辿り着くための道具だ。(p129)』この言葉が僕の(現実に適用する上での)想像力についての考えに一番近い。
これは何も小説家になるために限った話ではないだろう。たとえば50歳には一足早く仕事から完全に切り離された生活をおくりたいと思ったとする。贅沢はしないが我慢もしたくないからそれまでに○○円稼ぎたい、と想像していく。これがたとえば3億円稼ぎたい、だったら今の会社にいたら無理だな、これを可能にするためには‥‥起業? 宝くじ? と想像の連鎖が続いていく。
そして、そもそも想像を始めないと、そうしたことはいっさい何一つ始まらないし、起こらないのだ。これだけはたしか。だからこそ想像力を発揮させることは「いずれ起こることの、すべてのスタート地点」なのである(これはエッセイに書いてあったことではなく、僕の考え)。まあそれ以外にも「あの人の気持ちを想像してみよう」とかの身近な想像力の発揮の仕方もあるけれど、結局想像力というのは速力のような測定できる力ではなく、「トリガーをひくこと」ができる力のことなのではないかなあ。
で、神林長平さんのエッセイもこれまた良かった。これぞ、神林長平である、というような内容で、小説を読んでいるときとなんらかわりない迫力に圧倒される。『きみは、自分が生きているということを自覚するには想像力を必要とする。p75』を主骨格とするこのエッセイは、想像することが過去・現在・未来といった時間軸から、まだ生まれていない人間や人間以外の存在さえ「頭のなかに生み出すことが出来る」し、自分が死んだあとの世界さえ想像することが出来るのだ(そして逆説的にそうすることで自分が今生きていることを知る)といってのける。
SFの魅力のひとつが未来の世界を想像する力によって成り立つ部分にあるのだとすれば、神林長平という作家はその最先端を走り続けているといっていい。氏の想像力への姿勢は、『膚の下』という作品をアトムなどに代表される、「意識をもった機械」たちが未来に生まれてきたときに、聖書とするようなものにしようと思って書いた、といったように、その想像力は遥か先の、現在生まれていない読者さえもターゲットにすることができることを教えてくれる。
想像力と、未来についての、珠玉のエッセイ集だ。
- 作者: 日本SF作家クラブ
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2013/07/20
- メディア: 新書
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