基本読書

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小林秀雄の哲学 (朝日新書) by 高橋昌一郎

本書の目的は、「小林秀雄の哲学」に焦点を当てて、小林の魅力と危険性を掘り下げられるところまで掘り下げてみることにある。具体的には、彼の生涯を追いながら、彼の根底で一貫して揺るがなかった彼の論法を追究するつもりである。

感性の限界や知性の限界、理性の限界にゲーデルの哲学や東大生の論理と、哲学の分野を主なフィールドとして新書を書いてきた高橋昌一郎さんなので『小林秀雄の哲学』という本を出すのはちょっと驚きだった。哲学と題されているとはいえ、批評家を相手にするにはずいぶんフィールドがかけはなれているように思えるし、なんとなくイメージがあわなかった。

ところが読んでみるとこれが素晴らしい。こうした本の場合素晴らしいの意味もいろいろあるけれど、本書を読了した時刻が20:00だったにもかかわらず、本屋に小林秀雄の本を買いに走ってしまうぐらいには良かった笑 本書は冒頭に引用したように、けっして小林秀雄の文章を手放しに称賛するものでもない。論理的に破綻し科学的な批評や学問ですらないと批判を受ける文章でさえも「魅力的である」というジレンマを見事に解説していて、魅力がこれでもかと伝わってくる。

実際すぐに小林秀雄の本を買いに走ったのは、そこに魅力があると感じたからだった。本書の言葉を借りて言えば、読み終わる頃には「魅入られている」のだ。ありがたいことに未読者向けで、それぞれ章の冒頭に小林秀雄の文章からそこそこ長い(5〜6P)引用があり、のちに引用部と絡めた小林秀雄の生活や思想についての文章が始まる。正直言って書かれている内容には納得出来ないところが多い。たとえば序章の引用部は次のようにはじまる。

歴史家というのはね、過去を研究するものではないってことです。過去をうまく甦らせる人を、本当の歴史家というんです。だから本当の歴史家の書いたものは、大変魅力的でしょ。何故魅力があるかっていうと、あれはその歴史家の現在の内に、過ぎ去ってもうなくなった昔の歴史が生き返っているからなんです。そこに生きているから、生きたままを書くから、僕等を捉えるんです。だから歴史の目的というものは、自分の心の中に生かすことなんです。そのためには、君はその人たちについてだね、現代の心で迎えなきゃならんでしょ。

もう何を言っているのかさっぱり意味不明。いや、もちろん言っている意味はわかる。ただ「本当の歴史家」ってなんだよとか、「甦らせる」ってなんだよ、と一個一個言葉の意味を厳密に捉えていこうとすると、何も言っていないような文章であると思う。それにこの文章でいっていることって、歴史家じゃなくて「歴史小説家」にならまあわからんでもないしな、と思ったり。とにかく何一つ納得出来ない文章なのである。

こうした論理が飛躍していたり、あるいは言葉の定義をほとんどしないままに自身の感性のおもむくままに批評を書いているようにみえる小林秀雄の危険性も本書では何度も指摘される。『これに対して、小林の論理は、小林の思索と体験の交錯が、そのまま読者の感情に直結するよう構成されている。それは、むしろ読者の意識的な思索を拒み、読者を説得し陶酔させるための<信仰の論理>とさえいえるだろう。』

しかし、たしかに魅力的ではある。目が離せない。それに厳密に考えようとすると意味不明だが、言っていることはたしかにわかるのである。そうなのだ、たしかに、と頷いてしまう。何よりその力強くて短くぶつぶつ切れていく文章のリズムが、エッセイだというのに(あまりエッセイの文体って気にしないから。例外的に村上春樹のエッセイ文体は大好きだけど、小林秀雄のぶん帯はそれよりもっと硬質で力強い。)たまらなく心地よい。

小林秀雄自身もこの点には自覚的であり(だいたい何度も批判を受けるんだから当然だろう)『批評の方法が如何に精密に点検されようが、その批評が人を動かす動かさないかという問題とは何んの関係もない』(『様々なる意匠』一九二九年)と言っている。小林秀雄の思想に終始一貫しているのはこの結果に重きをおく実践主義的な考え方であることは間違いない。

読者の心を動かすというその一点に焦点をしぼった文章であるからこそ、論理の破綻や定義の不明瞭さ、意味の繋がりのとれなさなどまるで障害にならずに、小林秀雄の文章に魅了されてしまうのかもしれない。美についての文章では「絵や音楽を、解るとか解らないとかいうのが、もう間違っているのです。」といって絵や音楽をそのまま目で見て、耳で聞いて楽しむものだ、花の名前だ何だと言う前に、黙って物を見るのだと言ってみせる。それだけ対象に対して無私の精神で入り込むことが、小林秀雄における批評の作法だった。

序章にあの歴史についての文章をもってきたのは、おそらく高橋昌一郎さんの「オレが歴史家として小林秀雄を現代の心で迎え、甦らせる」という宣言だ。この短い新書一冊の中で、高橋昌一郎さんは見事に小林秀雄の中に入って、それを現代の中に蘇らせてみせた。