素晴らしいファーストコンタクトSF。ファーストコンタクトの側面は「これが読みたかったんだよ!」という感じで興奮した。ハードSFであることはそのまま面白さに繋がるわけではないことはもちろんだけど、本作はそうした基盤の上に見事に「未知」を表現して揺さぶってくる。
突如地球を包囲した65536個の流星の正体は、異星からの探査機だった。調査のため出発した宇宙船に乗り組むのは、吸血鬼、四重人格の言語学者、感覚器官を機械化した生物学者、平和主義者の軍人、そして脳の半分を失った男。彼らは人類の最終局面を目撃する―。ヒューゴー賞・キャンベル記念賞・ローカス賞など5賞の候補となった、現代ハードSFの鬼才が放つ黙示録的傑作!──Amazonより
異なる生命体とのファーストコンタクトの場面はいくらでも想像がつくし、書かれてきた。知性をもたない原始的な生命体を人間が一方的に発見するのかもしれないし、人間を超えた知性と科学力でアプローチされる場合も想像される。やあどうも、という感じで友好的なヤツもいれば、乗っ取りを考えている悪い奴もいれば、そもそも生物学的本能に従っているだけで害意など何もないやつらもいるだろう。
原始的生命体でない場合。相手が何を考えているのかなどとは、宣告してこないのが当然だ。本作の異星体は一言でいえば「謎」の存在であり、何らかの行動を地球に対して仕掛けてきているのは確かだが、そこで何かを「宣言」してくれるわけではない。「地球をよこせ」というわけでもないし、それとわかる行動にでるわけでもない。
ホラーでもっとも恐ろしいのは敵の正体が判明するまでだ、というのは一般的な事実だと思う。敵の正体が判明してしまえば対処法を確定していくことができる。あるいは対処法がないことが確定してしまう。何らかの方針が確定してしまえばあとはそこに向けて覚悟を決める工程しか残っていない。恐ろしいのは「なにがなんだかわからない」ということだ。
異星体とのファーストコンタクトはホラーとはまったく異なるが、それでも「相手の正体が判明していく過程」はホラーを楽しんでいる時のどきどきと類似している。相手はどんなやつで、どこにいて、何が狙いで、いったいどれだけの能力を持っているのか? 敵なのか味方なのかそもそもそんな概念を持っていないのか? 戦ったら勝つのか負けるのか? 何を目的としているのか?
本作は、それが皆目わからない。わかるのは相手が「何をしたのか」という動作だけだ。相手が行った動作、それには言葉も含まれる──、建造物の中から、「あいつらはいったい何なんだ!?」を解析していかなければいけない。友好的なのか非友好的なのか、知性があるのかないのか。さっぱりわからない相手とのやりとりは畢竟人類の能力をすべて必要とするものになる。ゲーム理論、チューリングテスト、言語学者生物学者軍人と人類が蓄えてきたあらゆる能力を使っての「諜報戦」。
「これが読みたかった」と最初に書いた「これ」とは、未知の相手に対した時に、その意図から能力までそのすべてを調査しようとする諜報戦のことだ。襲い来る宇宙人ならば倒せばイイ。友好的ならば冒険でも何でも一緒にすればいい。しかしそのどちらかもわからないようなやつらならば、観察し、調査するしかない。面白いのはここで使用される解析の技術、仕組みは現在も存在するものであるし、異性体が存在するとして、それがどのような生物で実際に存在し得るのかといったことが生物学的、科学的に可能である点だ。
ハードSFであること
ハードSFの定義は「科学的に厳密たらんとしていること」ぐらいの曖昧な感じでこの記事では使おう。厳密にする意味があるとも思えないし。
ハードSF=面白いもの、というわけではもちろんない。本来科学描写が厳密であることは、リアリティ表現の一手段である。そもそもがありそうもないことをもっともらしく表現することがフィクションなのだから、その「ありそうもないこと」が面白くなければリアリティがあったところで無意味であるし、リアリティの表現手段も科学描写以外にいくらでもある。
それでも現実に存在する推定、科学的妥当性の上に成り立つ「未知」があるのだという表現は単に「実際にいそうなキャラクタを書く」ことや「実際に起こりそうな事件を書く」といった事とはまったく別の面白さを提供してくれる。というのも、SFであるというのは、その時点で我々の生活から一歩も二歩も遠いところにいるということである。朝起きて、電車に乗って人に会う、という当たり前のところから遠くはなれている。
特に太陽系を超えて何光年も離れた星へ行く、というのは想像の埒外にある人がほとんどだろう。僕だってそうだ。それでも何光年も離れた星は存在するし、第二の太陽系だって存在するのだ。第二の太陽系が発見される: The Voice of Russia これなんか、現実なのにフィクションっぽい。が、実際のこと。そんな遠く離れた場所が、ここと地続きのものだとする想像力を飛ばす力が、科学的妥当性のある描写にはある。
顧客はいくら画期的な商品を口で説明しようが実物を見せないとそのスゴさがわからないというのは商品開発の分野でよく言われることではあるが(スマートフォンが実際に存在する前に、説明だけ聞かされて欲しいかどうかわかるだろうか)よく構築されたハードSFは、「こんなことが現実にありえるかもしれないのだ」という科学的事実を、実際に製品を手に持って動かしてみることが出来た顧客のように、現実を揺さぶるのである。
たとえば宇宙空間に存在する元素や、エネルギー効率の問題などから「どのような異性体が存在可能なのか」というのはある程度解が得られている問題である。宇宙生物学で読み解く「人体」の不思議 (講談社現代新書) by 吉田たかよし - 基本読書 ケイ素生物は存在不可能なのか? - 基本読書 あたりを参照。ケイ素生物は存在不可能なのだが、酸素がなくても生きていける生物は想像可能である。
本作はその異星体についても、もちろん宇宙船についても、宇宙構造物についても厳密に描写している。*1「なんでこの異星体、宇宙の遠いとこで産まれたくせに人型なわけえ?」のような、受け手が「それはそういうもんなんだ」と黙殺して通りすぎる部分について「観測はされていないものの、存在する可能性は確かにある」ことが事細かく表現されていくのはやはりハードSFの醍醐味だ。
But more and more of those worldchanging elements are imminent now, or even passe. We've already got clones and gengineering. *2
上記引用は著者へのインタビューで今後のジャンルとしてのSFについてどう思うかと訊かれての解答の一部。SFは未来へ向かうための唯一の文芸ジャンルである。SFは尊敬に値する。が、より世界を変化させている、今まさに現実で起こっている科学革命を見ろ! と。ナノテクは進歩し、AIは日常的に用いられるようになり、宇宙探査はどんどん進んでいる。こうした紛れも無いSF的な概念がマスメディアで話題にのぼるようになったのだと。
まさに本書の徹底した「できる限り現代の科学で判明している物を基盤にして、足りないところは想像をふくらませる」手法も、「今いる科学的知見でもって戦う」というこの考え方からきているのだろう。別のインタビューでは執筆中毎日のように科学系の雑誌(ScienceやNature)やニュースを読みあさり、最新の知見を取り組むようにしていた、と言っているぐらいだ。
You don't have to postulate new technology to write science fiction any more. You don't have to step outside the present day. The fundamental role of speculative fiction is to address the question "What if things were different?". Well, here we are, in the twenty-first century.
しかし科学描写を綿密にやった結果がフィクションとして最もよく現れるのは「意識」を扱った時なのではないかと思う。人間の意識が自意識なんてちゃんちゃらおかしくて、衝動や前に見たものに影響される客観性なんてまるでないものだっていうのはよく知られている。⇒意識は傍観者である: 脳の知られざる営み - 基本読書 結局別の太陽系が〜といっても遠くの出来事ではあるが、意識のような我々にとってずいぶん身近な物が、科学的妥当性の元に揺さぶられていくのは、ひやりとさせられる経験だから。*3
ちょっとズレるかもしれないが、とにかく著者が理屈屋っぽく、吸血鬼が十字架を怖がる理由にまで生物学的裏付けを用意していたりする。SF批判にありがちな「人間味が感じられない」といったツッコミへの解答もきちんと用意されていて、ようするに全体にわたって緻密である。また本作は明確に語り手が設定されていて、読者は「あなた」としてシリ・キートンと呼ばれる男に呼称される。本作はシリ・キートンが見て、体験したことを「あなた」へと向かって語っているのだ。
我々もまたこの宇宙の一部なのだ、というふうに構成されている。そうしたメタ的な語り口までふくめて素晴らしい出来だった。やはり意識をテーマとして扱う以上、小説における「語り手がなぜ語っていて」「それを読むのは誰なのか」というメタ的な情報を扱わないのは片手落ちだなあ。その為のハードSFでもあるのだと思う(ようは、それだけこの世界を現実と地続きのものと捉えてもらえなければならない)。
ちなみに著者HPで原文を公開しているので読みたければ読める。⇒Blindsight by Peter Watts このサイト原文がそのまま掲載されている以外にもめっぽう凄くて、参考文献や作品のバックグラウンド説明まで作りこまれている。普通の著者サイト(自分の本を紹介して、買ってくれ!買ってくれ! とこれみよがしにアフィリエイトが貼ってある)とは明らかに違っている読者目線もGood 本記事の参照として著者インタビューはこっちも参照しています。⇒Interview de Peter Watts VO : ActuSF
面白かったのが次のような問答。Q.スーザン・ジェームズは4つの人格を持っているけど、どうやって彼女のキャラクタを構築したの? A.4つの人格を持っていることは、驚くようなことじゃない。まあ人間なんてみんなあんまり意識しないだけで多重人格みたいなもんだからね。程度の差はあれど。
あとWikipediaを読んでいたらこんな記述が。『Watts is currently writing two novels: Sunflowers[3][4] and Echopraxia, a "sidequel" about what happened on Earth during Blindsight*4』二つの小説を今あらたに書いているところで、Blingsightの最中に地球で何が起こったのかを書く物語になるのだという。出たら読んでレビューしよう。
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*1:もちろん僕は物理学を専攻しているわけでもないし生物学の研究者でもないから本書で書かれていることにどれだけの妥当性があるのか、検証してはいない。たまたま自分が知っている分野についての妥当性をはかって、そこから他の部分についても推察をふくらませているだけではある。
*2:Pat's Fantasy Hotlist: Peter Watts Interview
*3:帯かどこかに意識についての次世代ハードSFと書いてあったけれども、元が2006年の作だからなあ。研究成果も類似のSF作品も出て、今ではじせ……代?? という感じ。