基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

はなとゆめ by 冲方丁

冲方丁さんによる歴史小説第三弾。清少納言を主軸に据えた一冊。女性の目からみた宮廷政治や平安時代の人間関係、そしてあのよく知られた『春はあけぼの〜』からはじまる枕草子の文章を書ける才能あふれる視点の描き方が素晴らしい。本作において冲方丁さんはまた新しい地平というか、能力の幅を広げたなと感じる。それぐらい新しくて、それでいてしっかりと描かれている。何を書いても面白いんだもんなあ。

今回これを読み終えてからついつい枕草子を読んでしまったんだけれども、圧倒されてしまった。⇒原文『枕草子』全巻 もうね、受験のときには何も感じなかった枕草子の冒頭が、今読むと、とんでもなく凄いものだと感じられる。繊細であり、たぶんそれまでにはほとんど表現されたことも注目されたこともなかったであろう、日常的な風景の中にひそむ四季おりおりの美しさがほんの数行に凝縮されている。

これがわかるようになったいたとわかっただけでも嬉しかった……。ある意味では本作は、この枕草子の冒頭に至るまでの物語だといえる。それは「枕草子を書き始める」ところまでの物語だというわけではなくて……。一言にすれば清少納言がいかにして生きたかという表現になっているのだが、説明を長々とすると興をそぐのでやめておく。これ以上、これ以外はない! と断言できるほどのまとめ方で、この構成力はさすがの一言。

描写としては、清少納言の目を通してみた当時の文化がいちいち興味深い。たとえば当然ながら寿命は今よりずっと短いから『彼女たちに比べれば、わたしは二十八歳という色褪せた中年の女に過ぎません』といった細かい描写から当時と今の価値観の違い、文化の違いを浮き彫りにしてみせる。あと面白かったのが、みな気軽に歌を詠む。そしてみんな有名どころのエピソードや歌は教養として持っているのだよね。

小説の文章を一遍まるまる暗記するのは大変だが、歌なら簡単だし、その小説(小説なんてものは当時なかったか一般的ではないだろうから歴史書か)も数が少なければほぼ暗記できる。今みたいに本が一日に読みきれないほど出るわけでもないので、おさえておくべき教養が少なく、だからこそ宮廷内に限って言えば歌やエピソードをみなが共通して返歌したり引用元にできたのだろう。艶やかな宮廷文化の表現として面白かった。

また読んでみるとわかるのだが、清少納言は妙に自己卑下が強くて、それでいて感性は鋭い、しかし能力のある女の人の対する軋轢も(現代でもそうした風潮が色濃く残っていることを考えると意外でも何でもないが。)あってなかなか一筋縄ではいかない。現代でも似たような葛藤を抱いている人は多くいるのではなかろうか。

 男は、恋人が才気を発することを、はじめは喜ぶものです。なんとなれば、恋人を育て、導いたのは自分なのだという自負心があるのですから。
 しかしやがて男にはない才気を女が発揮し始めると、今度は途端に男を不安にさせるのでしょう。それまで面白がっていたのが嘘のように、恋人を批判し始めるものなのです。

上記引用箇所(Kindle版なのでページ数がわからない……。)を読んでみてわかるように、過去二作の冲方丁歴史小説にはない視点が新しい。歴史小説の主人公になるような男はやはり才気煥発、目標はでかくその達成に向けてガシガシと前進していくタイプが多いが、女性である清少納言はまったく違うやり方、視点で世界を眺めて、自分の位置をとっていく。その差異が面白いのだね。

宮廷にて中宮定子というおえらい女性に使えるのだがその女性同士の主従関係こそが絶対であり、宮廷の政治からはできる限り離れていよう、ただ守るべし、といった距離のとり方がある。清少納言自身は枕草子執筆について、棚から牡丹餅、思いがけず任されたといった感じで当初ノリ気ではなかったように描写される。はじめはそうだったとしても、あれだけの大著を最終的に書き上げてみせるのだから、野心がなかったということもないのだろう。

でもそこにあるのも、常に奥ゆかしさと、柔らかな視点であり闘争的なものではない。不名誉なアダ名をつけられても、それを笑いに変えてしまう力強さといい、清少納言は実に魅力的な人物に描かれていると思う。

 政治のように硬く鋭い、その代わりにいつ自他もろともに砕け散るかわからぬ振る舞いではなく、柔らかで洗練された華でもって、無視できぬ存在感を示す。

今引用したのは清少納言が主人の女性に向かっての言葉。この性質は当然ながら清少納言の性質でもある。そうした「闘争的にならない存在感の示し方」の表現というか感覚の違いが、第三作目にして冲方さんの歴史小説に深みと広がりを与えている。こんだけばらばらのテーマ、時代、人物を扱って歴史小説を書く人も珍しいのではないか。結構歴史小説かって、自分の得意な国や時代、語り口が固定化されていたりするし。

しかし過去2作の歴史小説天地明察 - 基本読書 光圀伝:史書は人に何を与えてくれるのか? - 基本読書 は、どちらも過去の人物でありながらも今に連なる「暦」と「歴史」を創りあげた人物だ。それなのになぜ今回『はなとゆめ』が清少納言を主軸に据えたのか? それが疑問だった。その理由を冲方丁さんはそのきっかけについてインタビューで下記のように語っている。

冲方 きっかけは『光圀伝』なんです。水戸光圀は若い頃に中国の歴史書『史記』を読んで、自分は日本の歴史を綴ろうと志します。そのくだりを書く時に、『史記』にまつわる日本のエピソードをいろいろ調べてみたんですね。その過程で、「天皇様は『史記』=「敷物」を書き写している、だったら私たちは『枕』を書く」と言った、清少納言のエピソードに出会いました。光圀が『史記』を追い求める一方で、清少納言が求めた『枕』とは何なんだろう? 『光圀伝』を書き終えた後でふと、そのことが気になり始めたんです。また、光圀は京都に対する憧れが非常に強い人物でした。彼に限らず、当時の江戸時代の武士たちが憧れた京都文化、その本源にあるのは平安時代に栄華を誇った朝廷文化です。『枕草子』は日本最古の女流文学であると同時に、平安貴族の日常をいきいきと綴った朝廷文学でもある。『枕草子』の成立過程を物語にすることで、当時のことを知ることができると思ったんです。
ちょうどその頃、新聞連載の依頼があったので、「清少納言はどうでしょう」とこちらから提案させてもらいました。*1

清少納言が表現したことは、それまでの和歌や漢詩にはない、まったく新しい物事だった。光圀伝よりさらに前の時代からの成立過程をおっていくことで、そもそも日本の文化的な源流に迫っていく。清少納言は枕草子で形式ばったり、雅を追い求めたりといったことをやめて、ただ心のおもむくがまま、楽しさ、愉快さを追求して新たな「様式」を創りあげることに尽力した人であると考えると、彼女もまた今に繋がる和歌や漢詩とまた異なった「日本文学」の基礎を創りあげた人物だったのだろう。

清少納言その人のキャラクタ(ネガティブで、愚痴っぽく、しかも頭が良い)がまた魅力的で、その視点からみた宮廷文化、政治的な確執が面白く、清少納言と中宮定子の女性の主従関係はほがらかで、枕草子という伝説的な一冊を生み出していく過程は非常にスリリングだ。たくさんの楽しみが詰まっている、素晴らしい一冊だった。ただ次あたりはそろそろ、歴史小説第四弾もいいけど、マルドゥックやシュピーゲルシリーズを書いてもらえると……ありがたいんだけど……。

今年の2月に発表していた予定とはなんだったのか(理想編です)。とりあえず攻殻機動隊ARISE第二弾を楽しみに待とう。
はなとゆめ (単行本)

はなとゆめ (単行本)