基本読書

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アリス殺し (創元クライム・クラブ) by 小林泰三

「アリス」とタイトルに入り、表紙の絵もそのまんま「不思議の国のアリス」のアリスそのものなのだ。ちょっとその直球さはどうなの、どうせたいしてアリスはそれほど関係してないんでしょう、と惹かれないタイトルに惹かれない装丁だったので、おもしろくてびっくりした。それに関係していないなんてとんだ馬鹿げた思い込みである。

さてはてお話としてはどれぐらい不思議の国は関わっているんだろう、単なるモチーフの拝借なのかしらんと思いながら読み始めれば、いきなりアリス、トカゲのビル、メアリー・アン、ハンプティダンプティ、チェシャ猫にやたらと首を切りたがる女王、とオールキャストで「不思議の国」を書きにかかっていて「あ、やばいこれ本気だ」といきなり正座の姿勢になって読みにかかるハメになった。

しかもそのやりとりがナンセンス極まりない! もう冒頭から笑いが止まらないのだ。

原作『不思議の国のアリス』自体が「不思議」そのものの世界なのはいうまでもない。体の大きさは無造作に変わるわ植物も食べ物も全部喋るわで常識がころころとひっくり返される空想世界なのだが、小林泰三さんはそのナンセンスさをそのまま同じように書くのではなく、小林泰三的に「理屈の通らない世界」ということを異質な表現にしてしまう。たとえば下記のようなやりとりが、不思議の国のやりとりでは日常化する。

「そうね。ただの毛玉じゃないから」
「ただじゃない? じゃあいくらで買ったの?」
「買ってないわ。友達だから」
「友達か買ったって言った?」
「いいえ。友達から買ってないわ」
「じゃあ、非友達から買ったんだね」
「非友達からも買ってない。もしそういう言葉があったとしたらね」
「じゃあ、誰から買ったんだよ?」
「誰からも買っていないのよ」
「じゃあ、ただじゃないか」
「ただじゃないわ」

この咬み合わない会話!! この理屈が通っているんだか通っていないんだかさっぱりわからない言葉の定義をめぐって、ぐだぐだと前に進んでいく会話が、もう楽しくて仕方がない笑 しかも全員頭がおかしい。頭のおかしいやつら同士集まったところでまともな会話なんてほとんど成立しない。『「帽子屋だって、頭がおかしいんだよ」「ここではだいたいのやつがそうだから、たいした問題じゃない」』

別にこの世界でおもしろおかしく過ごしているだけだったら、それはそれで問題ない。頭のおかしい人達が頭のおかしい会話をしていくだけなのだから。何も産まないが何かを産む必要もない。問題は頭のおかしい世界に頭のおかしい人たちがいる世界で、そこにひとつの理屈を通さなければいけなくなってしまった時だ。本書ではそれは「殺人事件」にあたる。夢の世界で殺人が起こるのだ(正確には、人間がほとんどいないので表現がおかしいが)。

このアリスの空想世界でミステリをやろう、空想の中に論理を通そうっていう発想が、ほんとに素晴らしい。

“不思議の国”の住人たちが、殺されていく。どれだけ注意深く読んでも、この真相は見抜けない。10万部突破『大きな森の小さな密室』の鬼才が放つ現実と悪夢を往還する“アリス”の奇怪な冒険譚。 「BOOK」データベースより

ところがさすがに不思議の国内部の描写だけでは理屈が通らない、理屈が通せない。その為……というわけでもないのだけれども、本作で導入されている設定があり、「夢の世界と対になった現実世界が存在する」というものである。アリスにはアリスの、蜥蜴のビルには人間のビルが、メアリー・アンには人間のメアリー・アンに相当する存在が、それぞれ存在している。しかしそのリンクは決して確固としたものではなく、どちらの世界にいてももう片方の方は「ぼんやり覚えている」程度の連携しかないことがほとんどだ。

問題は不思議の国で死ぬと現実世界の対になった存在も死ぬということ──、殺しの嫌疑をかけられたアリスは、夢の世界と現実世界を行きつ戻りつしながら理屈の通らない世界に理屈を通そうとしていくことになるのだ。通常のミステリとはまったく異なる手順、発想が必要になってくるのがこうしたファンタジー設定を導入したミステリの面白さであるのと同時に、複数世界においての現実とはなにか、といったずっと小林泰三さんが扱ってきた主軸の話でもあって、完成度はピカイチ。

さきほど引用した「BOOK」データベースからの引用では「この真相は見抜けない」とあるが、それよりも謎が明らかになっていく過程の演出、表現が素晴らしくてぐっときた。凄惨で、グロテスクで、ナンセンスで……不思議の国にバイオレンスがもちこまれたらかくの如きなるのか、というその驚き。首を切りたがる死刑宣告大好き女王がいたりするわりには、不思議の国の世界って割合平和なんだよね。

子どもの頃、ディズニーの映画をみていて特別大きな理由がないのに死刑宣告をする女王が、根拠なく死刑にされたら対処法なんて誰ともかかわらずに引きこもっているしかないじゃないかと本当に怖くて見た後も震えていたのを思い出す。実質的に血は流れないものの、僕にとっては恐怖そのものだった。本作ではその均衡が破れていく様、世界の謎そのものよりも、世界の謎が明らかになっていく様、世界の描き方が本当に素晴らしかったのだ。小林泰三さんの描写はこれまでの作品より、本作で一段ギアが上がったと思う。

小林泰三ファンにはもちろん、ミステリ、SF好きにも安心してオススメできる一冊だ。不思議の国のアリスファンにはどうかと思うけれども……笑 でもたしかに不思議の国のアリスなのだが、ぜんっぜん違う、といったすごく不思議な気分にさせてくれる小説でもある。底の深い、魅力的な作品だ。

アリス殺し (創元クライム・クラブ)

アリス殺し (創元クライム・クラブ)