だいぶ難しかった。
通常時のイーガンが難しいのとはまた別の意味で。イーガンが描く世界は百万年先とかざらなので、ほとんど説明なく人間が実体化してない。寿命もないから何百万年といった時間軸の中で移動し、生きる(光速を超えるようなシステムはでてこない)。バックアップ可能な人間といっていいのかどうかよくわかんないやつらが主な登場情報体として、でてくる。
そうすると現実の地続きで理解できないし世界についてもう一度配列しなおさないといけない。こうした現実からの距離の離れ具合が想像力の飛躍を必要とし、「難しい」という印象になってかえってくる。本作でも当たり前のように「あなたはDNA生まれですか?」と謎の問いかけによって話が始まるので面食らうだろう*1。
でもそれならわかる。本書は奇数章と偶数章で別個のストーリーが展開していくが、今説明したような話が展開するのは奇数章だ。偶数章ではニュートン物理学にたどり着いていない異生物たちの話になる。難しく、ついていきがたかったのはこっちだ。地球世界で我々が知っている物理概念と同じことを、まったく違う環境下で発見していくのだけど……。相対性理論、コリオリ、遠心力や加速。重力を発見していく過程、それは我々のよく知っている球体で太陽があって……という環境下ではない場所で、別種の異生物の視点によって描かれていく。
相対性理論なんか地球環境下で日本語で説明されてもよくわかってないのに、この世界での特殊な用語、異なる環境を使って異生物たちがあーでもないこーでもないと議論していくのでさらに理解が困難だ。真空におけるアインシュタイン方程式の作用などが原理として出てくるがそんなもん、全然理解できないよ? それでもなんとか作中でてくる図を印刷して書き込みをいれ、キャラクタがいう意味不明な物理現象をなんとか現実の物理法則に置き換え、ググりまくりながら理解を進めていくという手書きマッピングでダンジョンを進んでいた初期ゲームのような読み方をせざるをえなかった。
これはたぶん多くの人が同じような苦境に陥っているのだろう。英文でReviewをあさってみたが酷評のものがいくつかすぐに見つかる。そうだよなーよくわからんよなーと頷きながら読んでいたが、一方イーガンは自身のHPでAnatomy of a Hatchet Job (酷評の解剖)自身の作品についての「酷評」にたいしてちょっとひくぐらい徹底的に反論している。殴ってもあまり殴り返されることのないWebだから、元の酷評を書いた人たちはかなりびびったのではなかろうか(というか僕がびびった)。
偶数章の世界で物理学が発達しなかった理由はいろいろ考えられるが、天文観測が事情により不可能だったことが大きい。しかしだからといって重力が発見できない、ということにはならない。イーガンも自身の解説の中で「もし我々が無重力状態かつ窓のないエレベータの中にいるとしたら、重力を発見することは不可能だろうか?」と問いを放っている。当然そのすぐ後に「もちろん、そうではない」と続くわけだけど。
地球周回軌道中の宇宙ステーションを想像してみればわかるが、重力の影響自体は絶対に受けている。その潮の満ち引きのような影響周期を観察しそこに何らかの規則があることがわかれば重力の発見に至ることが出来るだろう。現代地球よりも遅れている文明の異生物が徐々にその知能を開花させ、実験及び自力の計算、発想の飛躍を成し遂げて自身の世界への理解を深めていくプロセスは魅惑的だ。
どちらのパートも未知に魅惑され、宇宙の仕組みを解き明かすべく既存のコミュニティから出て行くことを選択したアウトサイダーの物語である。一組は未知のDNAソースと孤高世界と呼ばれる未知の世界探査に、一組は先ほど説明したように自分たちの今まで明らかにされていなかった物理法則とそれから予見される自分たちの世界の行末について。
百万年後の人類(といっていいのかどうかわからない。DNA起源の生物)は自身のバックアップがいくらでもとれる超生命体に進化しているが、それでも知識欲が、そして「未知」への冒険心が、恐怖があるのだということがすごい。たとえば一組が冒険に出かけるのは「孤高世界」と呼ばれるところで、そこでは「自身の暗号化」ができないのだとされている。ようはそこを通り抜けるときにいくらでも情報を抜き取られ、あるいは改変される可能性があるということだろう(出てきた時に改変されたかどうかはチェック出来ると思うけど)。
バックアップをとっているから本体そのものはいくらでも復活できるとはいえ、コピーをとられそれが延々と拷問を受けている可能性は否定できないのだ。ひええ、進歩した文明も楽じゃないね。本書では冒険へと旅立つときに「そのためにバックアップがあるんじゃないか」といって勇気を奮い起こす場面が数度出てくるが、極度に進歩したバックアップさえ可能な文明でも冒険心と勇気いうのは必要とされるのだなあと気がついて、面白かったりした。
時代も科学レベルも大いに違っているというのに両者がとる検証は、観察し、実験し、検証を重ねていくと手法自体は共通している。このようにイーガンはまだ現代と比較して開花していない文明と、現代より遥かに進歩している文明とを対比させてかつ共通箇所を描き出していく。発見と未知の事象を発見した時の興奮、未知の場所へと飛び込んでいく時の恐怖。そして先進的な人間がいつも孤独であることも、知識欲が伝染していくことも。
割りとこういう時にはいわれる常套句である「まあ、難しいけど雰囲気さえつかめればおもしろいよ!」という無責任な言葉は今回に限っては機能しないかもしれない。なにしろほとんどが「難しい話」で占められているのだから、そこを「わかんないからとばそ」となってしまうと「ほとんど楽しめない」ことになりかねない。邪道ながら僕は一度読んだだけではついていけずに、全体の見取り図を手に入れてから二度目はわからなかったところを欠けていた箇所へ当てはめていくといったやり方で読んだ。
しかし継続的に交わされる科学的な議論、その人間精神の交流における楽しさと、どこへいっても、時代が変わっても知的生命体が未知を追い求めるその姿勢、既存の物理法則をまったく別視点から捉え直す感覚など、SFでしか味わえない醍醐味に溢れている。近年これぐらい苦闘させられた小説もないが、それだけの価値はあった、と自信をもっていえるいい小説だ。あと二つの世界が描かれるけれど、その交錯の仕方も新しくて見事だ。ひねくれものだねえ。でもその遠大なひねくれ方が大好きだ。
余談。ちょっと前に読書好きな人とあんまり読まないけど読書好きキャラをみせたい女の子がだらだらと喋る漫画をレビューした。⇒読書好きってめんどうくさいよね『バーナード嬢曰く。 (REXコミックス)』 - 基本読書 その中でイーガン作品って難しい⇒実はイーガン自身もよくわかってないんじゃないのか!! というギャグがあったが、著者解説ページの数式の乱舞、謎の図式の数々をみるとそんなわけないことがわかる。
- 作者: グレッグ・イーガン,Rey.Hori,山岸真
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2013/12/06
- メディア: 単行本
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*1:元はDNAからうまれた生物だったのか、純粋に情報体として派生したのかという問い