基本読書

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天冥の標VII 新世界ハーブC (ハヤカワ文庫 JA オ 6-21) by 小川一水

『残存人類』帯に書かれたこの四文字。これだ。このぞっとするような言葉の響きを得るために、たった四文字を自分の中でたとえられない興奮に変換させるために僕はSFを読んでいるのだ。「残存人類」。それはSFでしか出てこない言葉だ。残存は使われるだろう。人類も使われる。しかし残存で人類は、SFでしかありえない。このたった四文字が、今まで想像もしたことのない世界へと僕を連れて行ってくれる。

この四文字もしかし、突然現れたものではない。人類の崩壊を書こう、じゃあ人類が崩壊したというところからはじめよう! そこには根拠はあっても実感はない。小川一水さんがやったのはそこに実感を与えること。銀河に広がってきた人類を丁寧に積み上げて描くこと。これまでの物語で技術水準を書き、葛藤と争い、その歴史を紡いできた。ぐつぐつとよく味がしみこむように煮込んできたご自慢のこの世界を、第六部でぶちまけてなおかつ火をつけてみせた。さようなら、みんな『天冥の標 6 宿怨 PART3』:小川一水 - 基本読書

第七部は燃えカスの物語だ。ちゃぶ台をぶちまけて、ひゃっはー! とばかりに豪快に焚き付け、なんとか燃え残った愛すべきキャラクタたちさえもどん底に落としこんでみせる。これはそういう物語だ。だからこその『残存人類』。たったの四文字で今この物語がどういう状況にいるのか実感させられる。人類は、もうほとんど生き残っていない、その絶望。多くの人が死んだだけではなく、文化も歴史も技術も死に、今後残っていくかどうかさえ危ういのだ。

崩壊へと向かう途上で生き残った52244名。そのうちほとんどは子供であるという絶望状況下で、種の存続をかけた人類の戦いが始まる……ぐあああああ燃える!! 燃えすぎる!! そして、要求される描写のハードルはあまりにも高い! 崩壊した秩序、それも末期的な戦争状況下、地上に出ることもかなわず、地下で乏しい資源を使っての生存戦略、しかも場所は資源豊富な地球などではなくほとんど有効資源のない惑星セレスであり、衛生状態の悪化倫理観の崩壊生態環境の変化。そして存在すらよくわかっていない人類より遥かに進歩した技術を持つ異種知性体の存在──。

書けるかそんなもん!! 五万人で蝿の王をやろうって話だぞ!!蠅の王 (新潮文庫) by ウィリアム・ゴールディング - 基本読書 しかもそれが地球ならまだしもまったく環境の異なる異星、それも地下でやろうってんだから! 無理に決まっている。普通そう思う。あまりにも書くべきことは多い。五万人の子供、それも食料もなければルールも秩序もない。ルールを決め、それに従わせる、食料を配分し、争いをやめさせ、食料を配分する。それだけのことがなんと大変なことか……。子供なんてものは一人でもパワーがありあまり制御など諦めたくなるが、そんなもんが五万人もいたらどうなるかなんて想像もつかない。

どんなに想像力がなくても楽しくないことになることだけはわかるだろう。だから本書では楽しくないことばかり起こる。資源が絶対的に足りないとなれば人間を間引くしかない。掃除も洗濯もしなければいけない。食べるものがなければ排泄物でもなんでも使えるものは使ってなんとかして生き延びるしかない。閉鎖環境下で明日をもしれぬ日々を生きていればストレスもたまる。禁止事項は増える。民主主義に移行することもままならない。

責任をとってみせる

なにしろ運営する側も二十にも満たない子供達なのだ。何事にも限界がある。人心は荒れ、戦闘が起き、雪崩を打ったように崩壊が進んでいく。それでも……それでも『蝿の王』と小川一水作品で違うのは、「ここで何が起ころうとも自分が責任をとってみせる」という不退転の覚悟を持った「責任をとる人間」がいることである。「責任をとる人間」とは別にすべてを救える存在のことではない。特定の目的へ向かって犠牲を想定しながら「この目的だけは達成してみせる。」と覚悟を決めて決断を下していく人間のことだ。

小川一水作品には、そうした責任をとれる人間がいる。とった選択がどういった結果になるかはわからないが、少なくともその決断を行い、間違いだった場合は「自分のせいだった」といえることのできる人間たち。物事を前進させていくのはいつだってそうした責任のとれる、かっこいい人間たちだった。

子供ばかりが活躍するこの第七部においても、かつてスカウトメンバーだった面々はその覚悟でもって事にあたる。みなそれぞれのやり方でもって、人類を活かし、存続させるのか、あるいはここにいる人間が幸せに暮らすのが優先かといった大きな議題からいかにしてその目標を達成していくか。どこで博打を打つのかといった個々の判断まで、それぞれの主張が衝突しあう。誰もが「自分の信じる善き方向」へと進む意志を持っている。起こるのはだから、各々の正義の衝突だ。

かつて信頼し合う仲間だった彼ら彼女らが、それぞれ自分の信念にしたがって避けられない衝突に突入していくのを見るのはかなりキツかった。多くの人間が死んだ二部や六部よりも、圧倒的にキツかった。「多分この先、正しく生きるのはどんどん難しくなる。」と物語の冒頭でアイネイアは語る。正しさを通せるのは、正しさを通せる余裕があるときだけだ、ということを彼らは実感していくことになる。

地下、食料はなく、敵が外にいる、大人がやったところで問題なくいきようもない超絶縛りプレイ。でもやはりどこか安心感を持って読めるのは、未来を知っているから(一巻で)というよりかはそうした覚悟を持ったキャラクタが一貫して描かれているからだ。前向きな意志、より善くしようとするキャラクタがいるからどんなに悲惨な状況が描かれてもある程度は安心して読み進めることが出来る。人類のしぶとさへの肯定がそこにはある。

ちゃぶ台をひっくり返し火をつけて、燃えカスをグシャグシャとかき混ぜながらも尚、消えなかった火種。その火種が度重なる苦難を経て尚、再度燃え上がらんとするその苦闘、生まれ出る萌芽、それをこんなにも鮮明に描き出してみせる小川一水という男は何者なのだと読んでいて驚くばかりだった。毎度毎度このシリーズは出る度に度肝を抜かれる。常に想像していた水準より凄いものが出てくる。

生き残りをかけた人類の資源戦略も読み応えたっぷりだが、一方で必要になってくるのが当然だが生殖だ。それは最初っから問題として提示されている。人間、生きてりゃセックスするものだし、死にかけてて明日をもしれぬとなればこれまたせざるを得ない。人類が続いてきたのはセックスをしたからだし、つまるところ至極自然なものなのである。密接した空間に男女が押し込まれれば理屈でなく自然に発情するように「そういうもの」なのである、ということがいくども描かれていく。

生殖行為について

余談。しかし第四部もそうだったけど、小川一水さんの書くエロはぜんぜんやらしくないんだよなあ。保健体育的な健全さというか、「こういう状況に人間を配置すれば当然セックスをしますね、はい、観察してみましょう。はい、興奮していますね」といった冷静な観察者の目で、どうしても観てしまう。描写が妙に普通、蛋白なのも関係しているかもしれない。最初の描写終了時など『二人は体力の続く限り交わり続け、最後には疲れ果てて抱き合ったまま泥のように眠り込んだ。』だもの。

描写が淡白なのが意図的なのかどうかは別として、セックス自体をやらしく書くことが主目的というよりかは、セックスが常に社会的? 文化的? な意味合いを伴って描写されるからだろう。単純に生殖の為のセックスというよりかは、常にその先には人類の繁殖のためだとか、人類はこういう状況であればセックスをするものなのであるといった注釈がついてくるようなセックスだからこそ描写が連続してもそこにはやらしさといったものはなくなっている。

しかし初々しいやりとりにはずいぶんとほっこりしました。読んでいるこっちが恥ずかしくなるという。なんか、やっていることも状況もとんでもなくシビアなのに常にどこかそらでほっこりしてしまうのは、この少年漫画的なお約束イベントやキャラクタのやりとりに寄っているよなあと思ったり。アンバランスといえばアンバランスなのかもしれないが、だがそれがいい。

まとめ

今回も素晴らしい出来。人類に対する前向きな視点、深まる天冥の標世界の謎、SF的大ネタ、孤島的環境を五万人でやる際の社会環境書き込みと、大ネタがこれでもかと詰め込まれているのに400ページで完結させていてすげえ、これが『時砂の王』を一冊で、『復活の地』を3冊で書ききった男の構成力か、と一度読み終えた後絶句してしまった。今回はちょっと『復活の地』ライクでしたな。8部、9部、10部で突然時砂の王的なタイムトラベル要素が出てきて「歴史の過ちを修正する──!!」的な展開になったらまた大変燃えるけれど絶対にないだろう。

しかし次は来年夏か……。まだまだ遠い。だがもちろん待つ。座して待つ。

天冥の標VII 新世界ハーブC (ハヤカワ文庫JA)

天冥の標VII 新世界ハーブC (ハヤカワ文庫JA)