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凶悪―ある死刑囚の告発 (新潮文庫)

 国家には法律がある。破ったらこういう罰を与えるぞ! というルールブックである。基本的に国民はそうした法律を守ったり、時にはバレないようにちょっぴり破ったりして生活している。たまに免許証を忘れてクルマを運転したところで捕まることはめったにないし、時につかまることがあったとしても万引きをしたところで殆どの場合店を出た瞬間にシレンよろしく鬼強い店主が追いかけてきたりしないものだ。大多数の人間は法律を律儀に守る。たまに破ったとしてもそうそう何度も繰り返したりしない。人を殺したりしないわけだ。

 でも時にそうした制限を軽々と超えてくる人達もいる。巧妙だったり杜撰だったりするが、みなが守っているルールを何らかの手段で守らないので裏口的な能力と利益を手に入れることになる。たとえば巧妙な万引き犯は世間一般の人が金を払って店から出るところを金を払わないで出て行くわけだから、その分利益を享受しているわけだ。見つかればもちろん罰を受けるが、見つからなければ利益だけを享受できる。万引きも積もり積もって店側の被害は大変なことになるが、まあしけた犯罪だ。でもこれをもっと拡大していくと債務に困っている貧乏人を見つけてきてそいつを人為的に殺すことでそいつの土地を得たり、保険金を得たりすることができる。

 普通一億円稼ごうと思ったらいろいろと複雑な手順を踏んで頭を働かせて何年かかかって達成できるようになる(そりゃGoogleの創設者は寝ててもいくらでも金が湧いてくるだろうが、ゼロからの話だ)。ゼロから一億稼ぐのは大変なことだ。宝くじだって当たるはずがない。しかし「人を意図的に殺す」という一つのルール違反をバレないように達成するだけで、死んだ人間の土地や保険金を転がしてそれぐらい手に入るようになる。人の命は金になる。これはまさにそう気づいた人間、実行した犯人を追い詰めていく過程である。もちろん一人でやっているわけではない。殺しをなんとも思わない凶悪な実行犯と、そうしたことをバレずに計画できる知能犯が合わさった時、全く素晴らしい化学反応を起こしてボロ稼ぎチームを結成したわけだ。

 いやしかしこの世界にはけっこう簡単に金を得る手段があるもんだね。もちろんこれに限らず、あくどい金儲けの手段なんていくらでもある。いったん軍資金が出来てしまえばまっとうな手段で倍々ゲームのように増やしていけるものだが、元手ゼロから大儲けという話になるととたんに胡散臭く、あくどくなっていく。でもそうした手順は厳然として存在している。本作の例も、たまたま発覚し、捜査班が全力を尽くして立件に持っていったからなんとか成立しただけで、多分に運の要素が絡んでいる。実際はこの何倍も発見されない闇の事件が起こっているに違いないと思わせるには充分だ。

 副題には死刑囚の告発とある。本作は凶悪な実行犯である後藤が別件で刑務所に入れられ死刑判決を受けた後、まだ発覚していなかった何件もの殺人を告白し、知能犯で未だつかまらず野放しになっている男の罪状をマスコミに暴露し、マスコミがその裏を取り知能犯を追い詰めていく過程である。元々は死刑囚、しかも薬もやっているような男のタレコミだ。全く信用できない、と思いながらも裏をとり話を聞いていくうちにこれはひょっとしてマジなんじゃないのと考えを変えていくその過程は上質なフィクションでも味わえないような、リアリティのあるサスペンスになっている。

 どこらへんがリアリティなのかといえば、まず犯行が杜撰だ。自殺にみせかける相手なのに、ついうっかり抵抗した時にスタンガンを使ってしまって跡が残ってたりする。あらゆる場面で証拠残しまくりだが、警察はそこまで詳しく調べないことも多い。いちど時間が経ってしまえば、証言をとることも難しい。最大の証拠たる遺体がなければ、「殺し」があったことさえ確認できない。こうやって警察の操作をみていると、自分がいつか人を殺した時はとにかく遺体を跡形もなく処理し、関わる人間を最小限にすることが逃げ延びるポイントだなと嫌なことを考えてしまう。杜撰であっても意外と遺体さえ見つからなければバレないものだ。

 しかしなぜ死刑囚はわざわざそんな告発をしたんだろうと疑問に思うところだ。自分はその実行犯であって、発覚したら罰が重くなるだけだ。死刑囚はその知能犯に、舎弟の世話をみたり金の配分について、刑務所に入る前に色々な約束をしていた。それが反故にされたことが許せなかったのだという。実際ブチ切れて何人も殺してきている狂人なのでそうした復讐行為に出ることが予測できなかった知能犯の落ち度という他ないが、「復讐は何も生まない!」なんて言葉がアホ臭く思えるぐらい爽快に「復讐らしい復讐」で笑ってしまう。

 復讐は何も生まないなんて、アホくさい嘘っぱちだ。今回の例でいえばたとえ動機が100パーセント死刑囚の復讐だったとしても、相手は野放しになっている数々の殺人を指揮してきた金銭目当ての殺人者である。告発が復讐だったとしても、それは立派に社会の役に立っている。それに自分をとことんまで貶めて、死刑に陥っているのにまんまとシャバで人生を謳歌しているヤツがいたら破滅させてやりたくなるに決まっているじゃないか。きっとそいつを自分と同じ境遇にあわせたら、とても気持ちいいだろう。

 こんな実験がある。AさんとBさんがいる。100万円を二人で分けるとしよう。しかしいくらで分けるのかはAさんに一任されている。ただしBさんは自分の配分が気に入らなければ、リジェクトし、二人共ゼロ円にすることができる。合理的に考えればBさんはたとえ自分が1円しかもらえなかったとしても、拒絶しないほうが得だ。人間に感情がなければそうだろう。ところが実際は、Bさんは配分が不釣合いだった場合拒否権を発動する。人間には感情があるからだ。ふざけんな、こんちくしょう! 合理的に生きられればそれにこしたことはないのだろうが、いかんせんムカつく時はムカつくのが人間だ。合理的に生きたほうが合理的だからといって合理的に選択をするとストレスがたまるんだ。

 もちろん一瞬「やってやったぜ!!」といい気分になって、すぐにだからなんだっていうんだと落ち込むかもしれないが、そんなこといったらこの世にアルコールは必要ない。飲み過ぎて吐く人間なんてこの世にいなくなるだろう。一瞬スカッとする。復讐の理由なんてそれだけでも充分じゃなかろうか、と本書の死刑囚は教えてくれる。

 本書のだんだんと本当かどうかもわからない事態が暴かれていく過程は一級のスリラーのように興奮するし、実際に相手が黒だと確信できたあとの、相手の手口の凄まじさにはこの世界の裏側をみているようでドキドキする。実際保険金殺人なんてあったんだ、という驚き。意外と殺人というのはバレないものだという驚き。バレずに法を犯すだけでけっこうな金が儲かる上に、そんなことがおそらくは極日常的に成り立っているこの世界への驚きと驚きっぱなしだ。知能犯の写真も最後に載っているが、ごく普通の気の良いおじさんに見えてそれもまた恐怖心を煽る。人間、金をコントロールしているうちはいいけど金にコントロールされちゃあおしまいだ。

 ちなみにこの本は先日スゴ本のDainさんにオススメいただき、ボクが刈り取って帰ったものです。こんなに面白い本を持って帰るなんて自分の審美眼に自信が増しました──じゃなくって、こんなにおもしろい本を持ってきていただいて感謝。読書会『さよならの儀式 (年刊日本SF傑作選) (創元SF文庫)』の開催報告書 - 基本読書

凶悪―ある死刑囚の告発 (新潮文庫)

凶悪―ある死刑囚の告発 (新潮文庫)