さいきん時間に余裕ができたので自分で料理をするようになって、最初はレシピを見て普通に作っていた。やってみるとこれがけっこう愉しいものである。「出来たものが店先に並んでるんだからそれを買って自分の時間を自由に使うのが良いんじゃないの」と思っていたし、忙しい合間をぬって、しかも一人暮らしじゃ料理なんかできないのは当然だけど、それはそれとして時間をかけて料理をつくるのは意外と愉しいこともあるし、長い時間かけてつくって一瞬で食べ終わる、その一瞬以外の部分について自分なりに意味も見出だせるようになってきた。
たとえば生きていく上で不可欠な一点を担う「調理」という行為を他者に委ねず完全にコントロールできる自立性というのはけっこう重要なのだと自分で作るようになって改めて実感するようになった。そこを他人に預け続けているのは自分の身体の構成を他者に委ね続けているのと同じであり、バランスのとれた食事を外で食べようとするとコストが高く、安くて満足度の高いものは長期的な健康に著しい害を与える。食べるのは一瞬でも食べたあとそれは自分を構成していくのだから、自炊は手間暇がかかっても効果は持続的である。
そんなことを考えながら、料理自体ド下手糞だったのでまるこげ調理などをこの世に生み出したりして試行錯誤を続けているうちに、次第にレシピ以外の部分、「人間の味覚はどのような仕組みなのか」「料理の本質とはなにか」「焼く、煮る、といった料理行動は食材にどのような影響を与えているのか」といった科学的なプロセスが気になってきた。その為いろいろそうした方面の本を読みあさっていたのだけど、本書は総合的な意味で面白かったので紹介したいと思う。総合的な、といったのは何に対してかといえばそれは料理に対してである。
本書はレシピ本のようにレシピが記載されているものもあるし、エッセイ的な体験記として著者自身が様々な料理にチャレンジしていく模様もある。さらには人間社会における料理の文化的な意味や、科学的なプロセスについて解説していく。たとえば発酵についての章で書かれたこんな説明のように。
発酵とは結局のところ、食品に含まれるタンパク質と脂肪と炭水化物の長い鎖を切って、より安全かつ簡単に消化できるようにすることだ。ザワークラウトの甕は、さながらぶつぶつと音を立てながらはたらく補助の胃腸であり、あなたがそれを食べる前に消化の大半をやってくれているのだ。料理同様、発酵のおかげで、あなたの体はエネルギーを節約できる。
最初にあげた僕の知りたかったことはだいたいここに書いてあったし、何よりもいろいろな料理人の元に修行に赴いていって、わりと細かいテクを料理の先生から教えてもらっていく過程が楽しく、勉強になった。実際の料理というのははじめてみるとレシピ通りにてきぱきと進むものではなく、つっかえたり見つめていたりタイミングをはかったり地道に切ったりする時間が非常に多いが、プロの料理人レクチャーを受けながらそうした過程を行うとそうした「レシピにはあらわれない大変な部分」についてよくわかる。
玉ネギを炒める作業についても、わたしは簡単だと誤解していたのだが、彼女は確固とした考えを持っていた。「たいていの人は、時間のかけようが足りないのよ。急いで炒めようとするから」。これは彼女にとって、かなり不満なことらしい。「玉ねぎは食感が残ってはいけないし、完全に透明で柔らかくしなければ。火を弱くして、少なくとも三十分は炒めてね」。イタリアンレストランで副料理長をしていたとき、彼女の下に十六人の若者が働いていた。「わたしはコンロを順に見て回って、いつものバーナーの火力を下げていたわ。強火で炒めるのは男らしく見えるかもしれないけど、ミルポワやソフリットはもっとていねいに作らないといけないのよ」
教えを受けている著者のレベルがあんまり高くないので親近感が湧く。雑で、根気がなく、「まあこんなもんでいいだろ」と素人なのであらゆる行程に対して思ってしまうのだが、プロはそうしたさっさと流されてしまうような行程を本当に慎重に、丁寧にやるものだというのが本書を読んでいるとわかる。玉ネギを刻んで炒めることひとつとってもそうだ。素晴らしい料理は3つのP、根気(Patience)、存在(Presence)、練習(Practice)からなっているというが、それが実感できる。
根気に練習とはいっても、現代人はとにかく時間がないからなあ。生きていくために不可欠な部分をどんどん他人にアウトソース、分業していった結果これだけの発展があるわけだけど、「調理」をアウトソースした加工食品は砂糖や脂肪や塩といった人間がうまれつき好むようになっているものを多く使って、端的にいえば一時的なお手軽さとうまさとトレードオフするようにして健康を残っていくハメになる。
統計的な調査では家庭料理にかける時間の長短と肥満率、また料理をする習慣と健康および長寿といった要素は明確に相関しているし、自分で料理をするということはそうした企業側に都合のよくコントロールされた領域を自分の元へと取り返す行為でもある。キムチを作りに行ったりアルコールを醸造したりバーベーキューに参加したりパンをつくる著者にくっついて、著者と一緒にさまざまな方法で食材を調理する過程をめぐっていくと、たしかに料理をすることには時間をかけるだけの良い経験が多くあるのだと、料理の意味を我々の手に取り戻すいいきっかけになるだろう。
- 作者: マイケル・ポーラン,野中香方子
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- 発売日: 2014/03/13
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