基本読書

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医療の選択 (岩波新書) by 桐野高明

国家を考える時にそこに問題がないことはありえないが、とりあえずおおまかな分類としてエネルギーや教育、政治、地方自治に加え医療含む福祉をどう分配するのかなどは重要な論点となるだろう。本書はその中でも特に医療について我々はどのような選択肢をとり得るのかを提示し、また現状の日本や先進諸国の医療状況はどのような状態にあるのかといった極々基本的な情報を整理してくれる一冊になる。制度が複雑化していくにつれて、全体像を把握するのが困難になっていく一方なので、こうやって情報を整理して、「おおまかにいってこれとこれとこういう選択肢がありえる」と示してくれる本はありがたいものだと思う。

僕自身は今の日本の医療状況には満足している。少なくとも突然ものすごい金がかかって、手術をしたら明日から路頭に迷う、あるいは路頭に迷うから手術を諦めるといったことはない。国民皆保険が実現しており、コストは安くアクセスもしやすい。もちろん個別にみれば問題はいくらでもあるが、概ね最先端のものが受けられる環境が整っている。

こういうのは文句を付ける場所を探そうと思えばいくらでも見つけられるものであって、僕も難病にかかったりなんかしたらダメな部分に行き当たるかもしれないのでまあ今のところはというところだけど。ニューズウィークの各国医療制度比較でも質、アクセス、コストなどすべての面で世界トップの扱いを受けているので世界的な評価としても高いとみていいだろう。

他国では悲惨な例も多い。アメリカなんかはもう皆保険制度がないからみな入ったり入れなかったり、入ったとしても保険会社ごとに制度が違うし営利企業だからなんとかつっぱねようとしたり例外がたくさんあって高額になるほど保険がおりない、自費は膨大で治療のために家を売る話が珍しくなくなってしまう。イギリスではサッチャーが医療分野に競争原理を導入し、これまで公務員だった国立病院を独立採算制とし競争をあおったがこの時の医療は「第三世界並」といわれるほどに悪化した。

先に書いたようにもちろん日本も問題を抱えていないわけではない。テレビをみればなんだか救急外来をどこもやりたがらなくてたらい回しにされて患者が死んだとかいってるし、日本人は病院に行く頻度が高すぎる(これは制度上の問題)、また超高齢化社会を迎えつつある日本は、当然ながら歳をとるたびに病気になる確率はあがるのでその分医療費はかさむ。

ただOECD加盟国34カ国のGDP比あたりの医療費では、日本は16位(9.5)であり、問答無用に高いわけではない。高齢化はもちろん医療費に圧力をかけているが、それが主原因となって極端な金額になっているわけではないといえる。逆に高い国はどこかといえば米国が圧倒的に高く2011年の調査では17.7%で日本の二倍近い。また制度として根本的な問題は米国では医療保険を個人が自由な判断で購入するサービスとみなしてきたことだろう。

市場と医療

市場取引は買う方も売る方も基本的には同等の情報を有しており、需要と供給にしたがって値段がほぼ自動に調整され最適値に近づいていくことを前提としているが、医療の場合はこうした市場原理があまり当てはまらない。なぜなら病気に関しては医師の方が圧倒的に情報を持っているからで、患者は風邪だと思っていても実際はもっと重い病気の初期症状であることがありえる。

自分が本当に必要なものがなんなのかを判定してもらうためにいくのであって、ここに公正な取引は成り立たない。ここが完全な自由競争になっていると当然売る側は利益を最大化しようとするから、極端な金がかかることになる。もちろんこれだって適正な値段で対応する人達もでてくるが、結局は金儲け主義が悪化を良貨を駆逐していくように勝ってしまう。

なるほど市場はダメなのか、国民皆保険、もしくは医療の無料化だとシンプルな話でもなく、自分で自分の責任をとりたい(保険に入るか入らないかも自分の意志で決めるべきだ)と考えるか否かという話になってくる。そしてもちろん国民皆保険にも問題はある。

日本だってどんどん維持費はかさみつつあり、国庫も借金がかさみつつある今、保険料か、あるいは別の形で税としてとりたてるなどして値上げに踏み切らねばならないかもしれない。それもやりすぎれば払えない人が出てくる。払えない人が出てくれば国民皆保険という建前も崩壊してしまう。

いくつか選択肢があるとすれば医療費は無料か、一部自己負担か、全額自己負担か。また医療は市場が決めるべきか、政府が決めるべきかといったものが思い浮かぶ。もちろんこれらは複雑にからみあった事象なので完全にどれかによりかからなければいけないものというわけではないが、思考の筋道としてはこのあたりだろう。

超高齢社会における医療

もう一つ日本において主要な問題があるとすれば、超高齢社会における医療体制とはどのようなものか、といったところになるだろう。人間はいずれ死ぬが死ぬ間際になると身体が動かなくなったり機能が低下したりして完全な健康のまま死ぬわけではない。病気の人を治すことを目的とする病院だが、歳をとればもう万全な状態とはなりえないのであり常にどこかが悪い、病院から帰っても問題は継続しているのであり、「治療後」への観点はこれから発展させていかなければならないのだろう。

「昔は家族が介護していた」というのはなんとなく印象としてそう思ってしまうが(だって昔は入院するような病院がないし)実態としては家族が高齢者の最期を看取る短期間の介護はあったが、障害を抱えた高齢者を何年も世話するような介護はほとんどなかったという*1。なんでだろ、そうなる前に死んでたのかな。まあ、だからこそ今のような老人が何年も介護を必要として病院に通い続けるみたいな状況は未曾有の自体ともいえる。家族にすべての責任を押し付けるのは不可能だし(だいたい子どもがいねえ)、かといってそれだけの病院も老人ホームもない。

これもまあ基本的には「家でやれ」「いや病院を拡充しろ。もしくは老人ホームだ」みたいな単純な議論にはならないはずだ。家にいながらにして補助が可能なサービスだったり、あるいは寄り合い所的に自分たちで出来る部分と出来ない部分を補い合うシステムだって考えられる。このように地域で対処するのか国で包括的に対処するのかと細かく具体的に条件を検討しだすといくらでも決めることがあって、あらかじめ考えておかなければいけないことは数多い。

今はそれなりにウマく回っている日本医療界だと思うけど今後医療費がどんどん上がっていくこと、人口の年齢比が変わっていくに連れて問題もまた噴出してくる。何をしようとも一息でうまくいくこともないことばかりで面倒くさくなってくるが、これから先医療について、個別の具体的制度を考える前に全体の方向性としてどのような意見を持つべきなのかを考える一助になる本だ。

医療の選択 (岩波新書)

医療の選択 (岩波新書)

*1:岡本祐三『高齢者医療と福祉』