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経済は「競争」では繁栄しない――信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす愛と共感の神経経済学 by ポール・J・ザック

これは面白かった。書いてあること自体は物凄くシンプルだ。オキシトシンという化学物質が人間の中で増量することによって、いつもより優しく、寛大で、協力的で、思いやりのある行動をとるようになりますよという話で、延々と様々な実験結果を参照しながら話は進んでいく。そしてオキシトシンの上昇とは何も、オキシトシンを鼻から注入したり静脈に注射する必要はなく、単純な動作として、相手に信頼を込めて接するだけでいい。

それだけで相手のオキシトシンは上昇し、相応の信頼を返すようになる。すると相手はあまり人を騙したりしなくなり、ようは信頼出来る人になる。そうなれば当然他の人にも信頼するようになってその人もまた……という形で、信頼の循環が起こる。本書の趣向はこうした道徳に関する分子が存在しますよというもので、実際原題は『The Moral Molecule  The Source of Love and Prosperity』で、経済は競争では繁栄しないなんて意味不明なことはいっていない。まあ著者はもともと経済学者でもあって、経済にも言及しているが、曲解し意図を歪めた邦題であると思う。こんな邦題を考えた人間は反省してもらいたい。

それは置いておこう。へえ、そんな革命的な化学物質があるのか、というのはまずファーストインパクトで、その後は様々な分野や視点を変えてみた実験結果の紹介であるから、正直そこまで書くことがあるわけではない。たとえば宗教儀式は本当に無意味なのか? 宗教的な儀式によって人間のオキシトシンは増量するのではないか? とか、オキシトシンを意図的に増量させると対立政党のようなイデオロギー的に異なる相手への共感は増すのか? といった実験などなど。もちろんこれらはどちらもオキシトシンを増量させるようだ。

そもそもそのマジカル化学物質はなんだよという話だが、これは女性の生殖ホルモンとしてよく知られている。分娩のときに子宮筋の収縮を制御するのがオキシトシンだ。え、じゃあ男にはないんじゃないの? と思うが、男にも少量ながら存在する。逆に男には筋肉を増量させ骨密度を増し、増量するごとに暴力と競争と攻撃の傾向が強くなるテストステロンが女性より多く含有されており、このあたりは女性と男性の性質の違いに関わっているのだろう。

もちろん体内の化学物質一つで人間がありとあらゆる面でコントロールされるわけではなく、複雑な相互作用の上で成り立っているのではあるが、少なくともオキシトシン・レベルの上昇・下降が共感や信頼として表現されるような行動と一定の相関を持っているような実験がいくつかあるのは確かなようだ。盲信するようなものでもないが、少なくとも面白く読める。

著者は未開部族だったり、結婚式だったり、あらゆる場所の、あらゆるシチュエーションにいる人達の血液を採取し、オキシトシン・レベルの変動を調べている。たとえば結婚式の結果はなかなか興味深いものだ。結婚式の始まる前と始まった後、1度目と2度目の採血の際に、花嫁のオキシトシン・レベルは28%も上昇した。花嫁の母親は、24%、父親は、19%。花婿は……13%。主役から遠ざかっていくにつれてこの上昇幅は少なくなっていく。

オキシトシンの上昇によって共感能力はあがるのか?

「本当にオキシトシン・レベルを上昇させると共感の能力や信頼の能力があがるのか?」については、たとえば最後通牒ゲームを使ったものがある。最後通牒ゲームとは10万円がプレイヤー1に渡されたとして、プレイヤー1はプレイヤー2に10万円のうち好きな額を与えることを提案する。プレイヤー2は受諾か、否定かを選ぶことが出来、否定した場合二人とも0円になる。

つまりプレイヤー2はたとえ1円であったとしてもそれを受け入れたほうが得なのではあるが、大抵の場合はその取引が理不尽だと思われる値段のところで自分の利益を度外視して否定を選ぶことになる(これには明確に平均値が存在する)。オキシトシン・レベルの向上によってこの最後通牒ゲームにおける金額の推移がおこる。端的にいえばオキシトシンレベルが上昇すれば相手にたいして気前がよくなるのであり、受け入れる方も平均より受け入れやすくなる。

オキシトシンレベルが上昇するのはどういう時か?

オキシトシン・レベルの上昇は、直接注入や吸引されずとも様々なシチュエーションによって引き起こされることが現時点でわかっている。たとえばハグのような身体的接触、あるいはマッサージのような身体的なリフレッシュ動作にともなって。さらには困っている人を見た時などなど。ただもちろんこの「困っている人」は誰しもが該当するわけではない。そこにはまた別の道徳的(というかそれまでに培われてきた常識的判断か)として、幼い子どもやかわいい動物はすすんで助けるがホームレスや大人の薬物常用者となると反応は消える。

フリーハグ運動なんか一時期盛り上がって(今もかな?)、本場ではものすごい人数が並んで整理券が配られてかなりの時間待たされるぐらいらしいが、身体的接触が人間の共感にいかに有効かわかる(身体的接触によってストレスが大幅に現象するという実験もあるし)。しかしただハグしてもらうために整理券をもらうほど人が並んでいるのってどんだけ寂しいんだよお前らとは思うけどな。というかフリーハグなんだから、フリーハグしている人の隣でフリーハグ始めればいいんじゃないのと思うけど、さすがに不特定多数の人間とやるのは嫌だろうな。

オキシトシンレベルが下降するのはどういう時か?

上昇するのはそうした身体的接触時などが多いが、どんな時にオキシトシンレベル、共感や信頼の能力は衰えるのか? まずストレス環境下にいるとき。また極度のネグレクトや虐待などに遭遇するとほかの個体との生理的作用が停止してしまうことがある。そして先ほど少し話に出したオキシトシンの拮抗物質であるテストステロンがオキシトシンの働きを抑制する。テストステロンは筋肉の量を増やし、骨の密度を高め、運動能力を向上させる化学物質だ。そしてオキシトシンへブレーキをかける作用があるので、必然共感などの能力が低くなる。男性も女性もこのテストステロンをもっているが、男の方が10倍多い。

暴力犯罪をおかすのはほとんどが男で、女性は犯罪指向が強くなく穏やかであるのはこうした要素が関わってきているのだろう。もちろん男性的な要素は、無意味なのではなく意味のある闘いのための要素だったと考えられる。共感をあえて低くおさえ、競争を促進させるような要素は、獰猛なプレイヤーが必要とされるときには必須だったのだろう。飯が食えなくなる可能性のある領土争いの時に相手を排除する必要がある時に共感ばかりしていたらお話にならないから、強制的に排除してもらわなければならない。

というわけで、何百万年にもわたる進化のあいだに、人類の生存を維持するための二本立てのアプローチが登場したのだ。人間は性別にかかわらず、暴力も競争も攻撃も可能であると同時に、絆を結び、重いやりを発揮することも可能だ。だがホルモンの点では、男性はテストステロン・レベルが高いので、暴力と競争と攻撃の傾向が強くなるようにあらかじめできているのに対して、女性は刺激を受けると高いレベルのオキシトシンを分泌するので、絆を結び、思いやりを発揮する傾向が強くなるようにあらかじめできている。

また中には本来的に互恵的な行動を取れない人達が存在しているようだ。著者のボランティアの中では約5%の人達が、相手を信頼しない。これは別に過去に虐待を受けたといったトラウマに関連したものではなく、直感には反するものの一様に「過剰なオキシトシンが検出された」人達のようだ。共感能力がないんだからオキシトシンが少ないんじゃないの? と思うところだが、彼ら彼女らは受容体オフのスイッチが動かず、常にオキシトシンがあふれかえり、上昇や下降が怒らないために機能障害を引き起こしていたのだろうと著者は結論づけ、「オキシトシン欠乏障害」と呼んでいる。

しかし、本書では触れられていないが、なかなかこうした事態は難しい問題もはらんでいるよね。ようは共感能力の低い人間になんとかしてオキシトシンを増幅させるような処置をするのは是か非か(人間性に関わる部分ではないのか)。あるいは自閉症やその他の共感能力が欠如している精神障害の人間は一様にオキシトシン欠乏障害だというが、「じゃあ(ひとまず戦場はのぞいて)この世の殺害をするような人達はみんな何らかのオキシトシン欠乏症害なんじゃねーの?」とか言い出したら、今で言うところの精神鑑定の範囲が急拡大したりしないだろうか? 人間はいったいどこからどこまでが自己責任で、どこからどこまでが生まれ持った化学物質傾向の影響によるものなのだろう?

本書は最後で繁栄する社会を目指すために、として4つの提言を行っているが、ここで研究されているような内容を実際に活かすのはなかなか難しいんじゃないかなと読んでいて思った。ようは個別の具体事例として相手を信頼すると信頼を返してもらいやすいなどの事象を活かす場面はありそうだが、これを社会デザインやもっと広い事象にまで活かすのは難しそうだなと。たとえばストレスによってもオキシトシンは抑制されるといったが、ストレスは貧乏や生活必需品の欠如なども含まれるわけで、「日頃からハグしましょう」で解決できる問題ではない(だいたい娯楽もねーからハグは有り余ってる)。

人間行動の原理に通じる総じて面白い研究成果ではあると思ったが、それ故に難しさを抱えている内容である。

経済は「競争」では繁栄しない――信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす愛と共感の神経経済学

経済は「競争」では繁栄しない――信頼ホルモン「オキシトシン」が解き明かす愛と共感の神経経済学