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島津戦記 by 新城カズマ

戦国時代の戦記物に人が求めるのはなんであろうか。有名な合戦の臨場感のある描写、キリキリと胃が痛くなってくるような一瞬の判断の描写、人間があっけなく死んでいく中での別れの切なさや当時独特の価値観、一つ一つの合戦を超えた自国の行末を思う気持ちなど、まあいろいろあるだろう。この『島津戦記』は、そういう意味からするとかなりズレた位置にある戦記物だ。戦場の描写なんてほとんどなく、個々人の気持ちにフォーカスして、後半になるほどドラマが盛り上がるように構成されていくわけではない。ひどくあっさりとした作品ではある。しかし読んでみればわかるが、そこには歴史の大きな変動を切り取った興奮と、否が応でも振り回されていく個人と、それでも成すべきことを成そうと舵をとる奮闘がある。

この『島津戦記』は何を書いているのかといえば、シンプルに表現すれば「世界史の中での日本戦国記(島津記)」とでもいうべきだろうか。どういうことか? たとえば日本に住んでいる人間の生活は、日本の中だけで完結しているわけではなく、各国の需要と供給、戦争状況に何を望んでいて今後どのような関係を国際的に結んでいけばいいのかという多くの思惑のうねりの中で現状というものが構築されていく。それは500年前の戦国時代においてさえも例外ではない。たとえば1571年比叡山の焼き討ちと同時期に、明帝国では税制改正が施行され、スペインがフィリピンに拠点を確保し、これによって南米ポトシ銀山から産出される銀が、直接技術と資源を持った明帝国へと流れこんでいく。

統一を果したのちに秀吉による大規模軍事作戦もまた、こうした西方大陸に集まってきた莫大な富を求めての動きだった。歴史の授業では起こった出来事とほんのちょびっとだけ理由に触れられているぐらいで特に感動も何もないが、当時からして既に社会の動きはグローバルに作用している。戦乱の世ではあったが、戦乱は国内だけで完結しているわけではない。そして当然だが、国際的な思惑や資源とのかねあいから何十年先を見据えた「国際戦略」を持った人達がいたのである。本作はこうした「世界の大きなうねりの中での日本」としての視点を島津を中心として練り上げていく。

島津のグローバル戦略は当然ながらすぐ近くに存在している大国・明が関わってくる。この時、明は海禁の法で一部市場を制限していたが、まずこれを開かせることが目的だ。日本には尽きぬほどの銀が産出されており、対して明には戦に不可欠の銃等の商品が充実し銀は欠けていた。大明帝国の法を変更させ、市場のパスが通るようになれば、その当時のあらゆるものが手に入るようになる。しかし法を変えてクダサーイといって変えてくれるんだったら世話がねーのでいくつかの状況変更が必要とされる。たとえば、取引する場所は平定されている必要がある。戦国乱世の国にのこのこいったら取引相手が潰れていて略奪されたんじゃ元も子もない。そして一方では自国に武力がなければ均衡は訪れず、ぶんどられるだけだ。

海禁の法を変更させることを目的とし、まずは九州の統一を目指す。そして武力を蓄える。武力としては手火矢、銃の拡充が必要不可欠だろう。こうして一個一個ロジカルに目的を達成するための目標制定をやっていく様を読んでいるとまるでCivilizationを日本の辺境で始めたようなゲーム感覚になってくる(Civilizationは文明発展を軸にしたターン制ストラテジーゲーム。原始人のような状況からはじめて徐々に資源の発掘や文明を発展させ、隣国と戦争したり外交によって協調の道を歩んだり核を世界に撒き散らしたりしながら進めていく。どのような国をつくるのもおもうがままだ。)

もちろんこの時点からして、動いているのは明と九州付近だけのはずもなく、たとえばザビエルは既に来日しているし本書ではイスラームの伝道師もやってきている。先兵のように宗教が次々とやってきて、ついで武力がやってくるというのは歴史の常套手段ではあるが、本作でも内部から外部から、全方位にわたってパワーゲームは常に進行していく。で、こういう視点でみていくと、あんまり名前を聞いたことがないような(これは僕が不勉強なだけで凄く知られている人なのかもしれない)人物が物語上重要な場面を担って出てきたりするのも面白い。

たとえば織田信長の弟織田長益は本能寺の変、小牧・長久手の戦い、大阪の陣、関が原の戦いと同時代の重要な実践すべてにいあわせ、武将が現れては消えていく中一貫して歴史に関わり続けたこうして経歴をみてみるとなかなかすごいやつだ。本作では非常に客観的に歴史を読み自分の立ち位置を決定していった有能な人間として表現され、重要な一角を担っている。またヤジロウと表記される、記録上はじめてキリスト教に改宗した日本人でありザビエルを日本に導いたとされる男も、いい場面ででてくるヤツだ。当然ながらザビエルも出てくるし、こうした島津だけではない「外の視点を持った」あるいは「外との接点とその能力を持った」者達が、戦国時代という特殊な時間を多角的な視点の中に落としこんでいく。

新城カズマという作家は『物語工学論』なんてものを書いていることからもわかるようにいつも一貫してプロットががっちり決まっているような、あるいは世界観をロジカルに組み上げ、そこに必要な情報を付与していくような理屈っぽい作風だ。それは舞台を戦国時代に移しても変わらなかったらしい。ここには戦場の高揚感はまるで存在していないが、その代わりに歴史が大きく動いていくダイナミズム、歴史の荒波の中で揺り動かされながらも未来を見据え予測し、打てる手を思考し、戦略を練っていく個人のドラマがある。一風変わった戦国小説をお求めの方にはオススメの一冊だ。

島津戦記

島津戦記