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江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書) by 原田実

本書『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書) 』は、江戸しぐさなる、江戸時代に存在していたとされる行動哲学、商人道、共生の知恵のようなものがまったくのペテン、歴史偽造であり1980年代に発明された考え方だったことを明らかにしていく一冊。しかし江戸しぐさというのはどれぐらい浸透しているものなんだろうか? そもそも僕は江戸しぐさなんてものを一度も耳にしたことがなかったので、「そんなもの一体全体どこで流行しているんだ」とか「だいたいどの程度流行しているのか」とか「そもそも一体それは何なのか」というところが知りたくて読み始めた。本書は非常に丁寧に「江戸しぐさが存在しない」ことを例証を、ところどころユーモアを交えながらも説明していく。江戸しぐさへの反証の本というだけでなく、存在しないものの証明のプロセスをどう踏めばいいのかについてもお手本になるような内容だ。

とりあえずAmazonで検索してみると驚くのが、その関連書籍の多さである。数を数えるのも面倒なほど江戸しぐさを教える本が出てくる。内容的には江戸時代のマナーや行動を、現代人向けに教えるような内容だけなので結果的には「マナー集」的にはいいんじゃねえか、どうせすぐに廃れるだろうと思うところである。しかし普及者が熱心だったり、現代向けにチェーンアップされた(いやまあ1980年代に作ってその後普及者がいいように作り替えているんだから当然だが)内容も相まって拡散を続けているらしい。すごいのは文部科学省が道徳教材で「江戸しぐさ」が江戸時代に実在した商いの心得として明記していることである。

韓国の歴史偽造を笑えねえなあというか、こうもあっさりと与太話が蔓延していく状況ってなんなんだろう、ウケる。しかしことが文部科学省にまで認定されるところまできていると「あはは、こんなものを信じるなんてばかだなー」と笑ってられないのも事実である。ある対象が「存在する」ことを示すにはそれを一つでも提示できれば終わりだが、「存在しない」ことを示すのは世界中を見て回ってもなお難しいように、「江戸しぐさなんてものはなかった」と主張するのもそれなりに手間のかかる、非常に面倒くさいプロセスを必要とする。そうした仕事を本来果たすべき研究者も、そんなことをしても実績になるわけでもないし単なる手間であり、動機がない。著者の仕事には頭がさがるばかりだ。

ところでたとえばどんな内容がウソなのかといえば(基本的に全部だが)──江戸しぐさの中でも代表的なものとされる「傘かしげ」は、江戸しぐさの本では雨や雪の日相手も自分も傘を外側に傾けて共有の空間をつくりさっとすれ違うことで、こうしたことを江戸っ子は自然にやっていたのだという。が、当時の江戸では差して使う和傘の普及は京や大阪に比べて遅れており、贅沢品扱いで、江戸っ子たちは雨具としては頭にかぶる笠や蓑を用いていた。当然ながらウソ。また肩引きという江戸しぐさは混みあう道路で前方から人がきたときにお互いに右肩をひいて体全体を斜めにし、胸と胸を合わせる格好で、すれ違う見知らぬ人へも敵意がないことを表現するしぐさだというが……。

「NPO法人江戸しぐさ」では、『よみがえれ!江戸しぐさ』という学校教材用動画を制作している。
 その中には、男性二人による「肩引き」の実演も収められているのだが、体を斜めにして目配せしながらすれ違う様は、威嚇し合っているようにしか見えないのだ。

僕なんかはそもそも江戸しぐさなんてものを知らない状態で本書を読み始めたのでふ〜んそうなのか、アホみたいな創作をするなあですむ話ではあるが、何も知らずに「江戸のマナーで傘かしげってのがあるんですよ〜〜みなさんも道端ですれ違うときはそうした相手のことを考えたマナーを心がけましょうね」といわれたら「はあ、まあそうですね」としかいう他ないだろうと思う。そんなことがあってもおかしくないかなと思う程度のどうでもいい内容である。それを信じたからといって自分に何かマイナスがあるわけでもない、人を気遣おうという結論自体は正しいのだから。こうしてウソかどうかの検証もされずに、便利に広がっていくのかもしれない。

傑作なのが「なぜ最近まで江戸しぐさが知られていなかったのか」に対するNPO法人江戸しぐさの越川氏による回答だ。この問いかけに対して越川氏は、幕末・明治期に薩長勢力が行った「江戸っ子狩り」に求められると答えている。江戸っ子に江戸しぐさ規制を求めたとかではなく、本当に「狩り」だというのだから凄い。アメリカンネイティブのウーンデッド・ニーの殺戮にも匹敵するほどの血が流れたとする江戸っ子狩りはしかしどんな文献にも残っていない(ないんだから当たり前だ)、それも虐殺のため残っていないと主張するのだから凄い。そんなことを言い始めたらありとあらゆる歴史が捏造できてしまうではないか。

専門家は何をしていたのか

しかしそんな荒唐無稽な江戸しぐさが蔓延していく中、江戸の専門的な研究家たちは何をしていたのか。論文の実績にならないとはいっても、折にふれていろんな場所で発言をしたり、そこまで手間をかけなくても止められることがあったのではないかと思うが。本書でも多少それに触れられていて、考えていなかったなと思わされた部分は、江戸しぐさを広めようとする側は経済的利益や政治的意図のもの行っている人達であり、反対することによって個人攻撃じみた反論が発生する可能性がありえることだ。

また実際には反論も行われてきたんだろうが(オカルト検証本に収録されたりする形でも)、プラスの肯定的な内容よりも否定的な内容は人の反応を惹起しない為、生半可な反論じゃ拡散までは至らなかったのかもしれない。Twitterでもデマ発言があっという間に数万リツイート(発言内容の引用・拡散)された後に「すいません、さっきのアレ間違いでした」といった訂正が数百しかリツイートされないことがあり一度広がったデマを打ち消す難しさは日々痛感されるところである。

たかが個人から発生した歴史捏造が20〜30年の時を経て文部科学省に認知されるまで広がってしまう事例の一つとして、江戸しぐさへの単一的な反論本としてではなく普遍化して読める本でもあるだろう。江戸しぐさに関わらず、デマは多く経済的にも政治的にも利用のしがいがあり、それを打ち消すのは難しい。

江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書)

江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統 (星海社新書)