基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

宇宙人相場 (ハヤカワ文庫 JA シ 4-3) by 芝村裕吏

いやあ、これは素敵なお話だ。読み終えたあとしみじみとして、じわじわと心地よさが広がっていくような。特別なことはほとんど起こらない。宇宙人と相場という異質な単語が組み合わされているものの、別に宇宙人が人間には理解できない金融取引をするとか、そういうお話ではなく、あくまでも我々が生きている現実の金融相場の話である。芝村裕吏さんといえば早川書房ではまだ三冊目、というか本業のゲーム作家としての側面を別とすれば小説家としての仕事を本格的に開始したのがこの数年のことであるという経歴ではあるのですけれども、小説作品は毎度弾を投げ入れる方向性が違い、狙いもそれぞればらけさせており熟練の技術を感じさせる。

たとえば早川でいえばこの正解の分からない混沌が、私は好きだった。──『富士学校まめたん研究分室』 by 芝村裕吏 - 基本読書 は現在の技術の提示と未来にあり得る方向性を明確に提示したロボット工学を中心としながらエンターテイメントとして成立させている傑作だし、マージナル・オペレーション - 基本読書 は少年兵、民間軍事会社をテーマに現代っぽいクールな無職がその才能をめきめきとはっきさせていくこれまたまったく別方向に振り切った作品だ。どちらも同じ人間が書いたとは思えないぐらい分野が異なっているにも関わらず、その視点の広さ、価値観の多様さが提示されているといった面で共通している。何より知識量はどちらも第一線の深さを感じさせるものだ。芝村さんならどんな題材でやろうとも安心して読める。

本作『宇宙人相場』はこの流れでいうと35歳の僅か三人の会社を運営する中小企業経営者のオタクが、一念発起として婚活し、宇宙人とのやりとりを重ね、知識ゼロから株式取引を覚えて勝負していくという、現実寄りの話である。扱う中心はいわずもがなだが、金融だ。量的緩和、株をやるときの手数料ってどうなっているの? 投資家にはどんな種類がいるの? 本当に儲かるの? 国債って何? 空売りって何? 日本人はなぜこんなに金融音痴なの? といった基本的なポイントを小説の形で提示されていって、今述べたような疑問には一通り答えが与えられるので、簡単な経済教本のようにも使えるところがある。

金融と人生

同時に描かれていくのは、人生にとって仕事とは何の為にあるのか──という問いかけだろう。現代的な若者は仕事を一生懸命にやることよりも、自分や友人と過ごす時間を大事にすると言われている。それはなかなか上がらない給料のせいもあるだろう。既に猛烈に働いてきた上の世代が良いポストを独占しているから働いてもしょうがないという「未来性のなさ」があることも確かだろう。一方で生活それ自体が、みな十分に満足してきたという側面もあるのだろうと個人的には思う。暇だとなった時にエンターテイメントが限られていた時代とは違い、遊びたかったらインターネット回線とパソコンさえあれば無料でいくらでも時間を潰せる時代である。スマートフォンさえあれば別に一日中Twitterを眺めていてもいい。

だから別に金なんかいらない──というわけではなく、オタクだってグッズが欲しけりゃ金がかかる。問題は何のために、具体的にどれだけの金が必要なのか、といったことであり、その金を稼ぐのに必要な負荷(拘束時間、ストレスなど)はどれぐらいなのかというリスクとリターンのバランスを明確に考え始めている世代なのだろう。金を稼ぐといっても、好きなこともできないんだったら意味がない。もちろん「今の生活を満足させるためにはこれだけでOK」という今だけを見すえた計算では、将来的に様々なリスクにさらされ問題が起こってくるわけだが、とりあえずそれは置いておこう。みな未来が不確定な中で、リスクとリターンを見据えて自分の生活を満足させようと、決断をしているのだ。

主人公は35歳のオタク系の会社経営者だが、突如婚活を始めようと決意する。またこの設定がいやらしいよね。ずっとオタク道を邁進してきて、趣味に生きるんだと思ってきても、ふと老いを感じる。全力が、前ほどのパワーが出ない。老後のことも考えるようになるし、結婚なんて自分とは縁のないことと思っていても周りでは結婚して子供のいるヤツラが増えてきている。ふと考えてしまうのも無理はない。結婚したい。だが、そこまで一切経験を積んでいないのに、いまさら関係を構築できるのか? 本書はそこはメインには置かれていないから、起点は電車男メソッド(突発的なイベントによる関係性の構築)によってあっという間に解決されてしまう。

偶然近くで倒れたお嬢さんを助け、仲良くなり、彼女の父親の勧めと、彼女が病弱でいつまで一緒にいられるのかどうかわからないことから、自分の時間を彼女の為に最大限活かすために金融取引を始める。一日二時間、それだけを取引に使い、あとは彼女と過ごすために使うのだ。もちろんそれは容易いことではない。安定して生活を営みたいのならば、そのまま会社をやっていた方がいい。しかしここで問題になっているのは「我々は何を目的とし、優先順位を付け、生きるのか」ということだ。仕事で世の中に何らかの貢献をしたい、それが優先順位の一番であるのならば、伴侶と過ごす時間は犠牲にせざるを得ない。逆に伴侶を一番と捉えるのならば、仕事の時間を減らすことも選択肢になり得る。

リスクとリターン。たとえ億万長者であっても一生が有限である以上、何かを極めようと思ったら別の何かを極めることは諦めなくてはならない。時間という誰もが持っている資源を使って、みなそれぞれの優先順位にしたがって割り振っていく。この視点に立つと、株取引はある意味では人生のメタファーになる。先のわからない銘柄、あるいは自分だけは確信している事柄に向かって、決断し、時には大敗し崩れ落ち時には大勝し叫びをあげる投資家たちの挙動は、現実がそのままドラマだ。世紀の空売り 世界経済の破綻に賭けた男たち (文春文庫) - 基本読書 本書で主人公は何度も失敗と成功を経験していくことになるが、しかし読んでいる側として安心できるのは、彼がちゃんと自分の中での大切なものの優先順位をわかっているからだろうと思う。

自分が信じる正しい方向へ向かっているのであれば、失敗してもそう大きな問題ではない。何しろ前に向かっているのだから。主人公は、その点においてブレない。だからこそ本書はリスクとリターンを常に考えながら勝負をする一人の投資家の物語であり、自分の人生において優先順位を明確につけてその生活のバランスを保とうとする一人の男の物語であり、こっ恥ずかしい純愛の物語として成立している。もちろんどんなことにも絶対はない。これを書いている次の一瞬に飛行機がうちに突っ込んでくるかもしれないし。だがそういう不確定性の中に目標を見据え足を一歩一歩前にすすめていくのが人生というものだろう。

300ページ未満の本書は金融というテーマを書くことを通して、見事に複数の要素をまとめあげている。

金融とセンスオブワンダー

著者はあとがきで次のように語っている。

 ということで、芝村です。早川書房では三冊目の本です。SF者といえば科学と技術には親しいのですが、意外に金融工学をあつかったものがなく、評価も感じ方も、普通と全然違う評価になることに気づいて、それが直接の書く動機になりました。具体的に言えば、私は金融の勉強している途中で何度かSF魂というべきセンスオブワンダーを感じました。

確かに金融にはセンスオブワンダーがある。それはやはりこの世に存在する目に見えないリスクを計算して、そこから何とかして利益を出してやろうともいうべき人間の理性の──というか計算力の精神が生きているからだろうと思う。てんでばらばらに動く人間や、地球システムそれ自体が及ぼす変化がぐちゃぐちゃに影響しあってこの世は徹底的に不確定なものであるが、それを極力コントロールしてやろうという世界そのものへの反逆の精神が、金融工学にはある。言い換えればギャンブルそれ自体の魅力とも通じる部分ではあるが。

まとめ

我々はこの不確定な世界でどうやって生きるべきなのか。別にそんな深い問いかけを自分にする必要もないが、本書は金融と恋愛と仕事と人生がいい具合にミックスされて読みやすく設定されているマイルドな一冊だ。最初に書いたように、派手な感動はないけれども、本当に大切なものの為に試行錯誤をして達成するという、等身大の幸せがそこにはあって、じわじわと広がる嬉しさがある小説です。余談だけど、この本を面白いと思った、あるいは興味をもった人なら月社会を舞台にした株取引をテーマにした最高の効率で、最高の金儲けを『WORLD END ECONOMiCA』 by Spicy Tails - 基本読書 という傑作ゲームがあるのでこっちもオススメ。 ※そんなにたいしたネタバレじゃないけどラスト付近の話題にふれる話をこの下に書いています。読んでも別に面白さは損なわないと思うけど一応注意。

宇宙人相場 (ハヤカワ文庫 JA シ 4-3)

宇宙人相場 (ハヤカワ文庫 JA シ 4-3)

本書の最後にこんな独白が出てくる。『思い返せば笑える話。結婚したいと思いながら、駅近くの階段に座ってただけだ。誰だってそういうことはあると、結婚した人間だけが言える気安さで言った。』、これは、読む人が読めば怒っても仕方がないだろうと思った。だいたい冒頭の起点からして、あまりにも都合が良すぎる、何しろ結婚したいと思って外に出たら若い美人のお嬢さんが倒れていて、それであっという間に結婚にこぎつけるんだから、まさに結婚した人間だけが言える気安さだよと。

もちろん主人公がこのようにトントン拍子で結婚し彼女のために自分の時間を費やそうとしたのは、完全なまぐれ当たりである。でもそれは完全に棚から落ちてきたわけではなく、最初に35歳の老いと、そこからくる焦りで結婚をしたい、努力をするべきだと考えてアクションを起こしたことからきている。そうした決意が最初にあったからこそ、偶然の出来事はのちに必然ともいえる出来事につながっていく。本書はリスクとリターンを扱った本だが、偶然に起こったことを必然に変える、コントロールする。それこそがギャンブラーであり、金融工学の力であり、我々が挑むべき偶有性ともいうべきものなのだ。めちゃくちゃな御都合主義のように見える部分も、単に話の起点として適当にこしらえたのではなく、明確にテーマとの連続性を持ったお話だと思う。ノリは軽いが、書かれていることは重層的で深い話だ。