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トネイロ会の非殺人事件 (光文社文庫) by 小川一水

いつもはド直球の長編SFばかり書いている小川一水さんだけども、短編も傑作揃いで芸が細かい。ただそんな中でも本作はミステリっぽい話を3編集めた短篇集になる。SF系短編はイメージの飛躍とロジックの詰め方が絶妙なイメージがあるけれど、ミステリ系の短編はまた違った趣があって良い。

簡単に分類すると3編のうち日本宇宙機構の閉鎖環境長期滞在実験施設で起こった殺人事件を書いた『星風よ、淀みに吹け』と「この中に一人、非殺人者がいる」と殺人を犯すために結託した10人のうちただ1人だけ殺人に手を染めなかったのはだれかを解き明かしていく表題作『トネイロ会の非殺人事件』は「こういうのが書きたい」というところから「どういう状況ならそれがありえるのか」を構築していったような短編かな。

間に挟まれている『くばり神の紀』は、一度も会ったことがない富豪の父が、死に際に自分に屋敷を相続させようとしたことを不審に思い、「気持ち」を理解するようにして様々な謎が明らかになっていくお話。特に殺人事件なんかが起こるわけではないけれども、死に際の人がとった行動の真意なんて存在してるんだかしていないんだかわからないものを理解しようとする過程はミステリみたいなものだろう。話の中に現代日本には存在しない事実が出てくるけれど、ロジックを重ねていくというよりかは、概ね言葉にしきれない感情に寄り添うようなウェットな筆致で進んでいく。

どれも味が違って面白かったけれど、一冊の本として捉えるなら「気持ち」の扱いが面白かったかな。たとえば『星風よ、淀みに吹け』は基本的には閉鎖環境下の密室殺人推理物というオーソドックスな物なんだけど、当然ながら宇宙機構の実験施設という環境だけにそこで起こる殺人は動機も切迫感も、また殺害方法も常識も通常の密室とはいろいろ異なってくる。みな宇宙に行きたい、実力で貢献したいという気持ちが強く、同時に他のメンバーが選りすぐりの人間たちであることも理解している。非常に優秀で僅かなチャンスを掴んできたアストロノーツ達だからこそ見せる強い気持ちのすれ違いと、それでいて宇宙へかける思いは共通している表現が面白い短編だった。

一方『くばり神の紀』はさっきも書いたように「気持ち」を推し量るお話だ。なぜ、父はずっと放置してきた私に対して、屋敷を相続させるなんて死に際に言い出したのか? 誰かに操られていたのか? 気まぐれか? はたまた本当は申し訳なく思っていたんだろうか? 死んだ人間の気持ちを理解することはできないから推測することしかできないけれど、その推測もまた単純に割り切れるものではない。彼は善人だったのか、悪人だったのか。実際は善人と悪人のグラディエーションのように複雑な陰影が現れ、見る角度によってもまた変わってくるのだろうが、そうした個人的な納得に辿り着くまでの展開が丁寧で気持ちが良い。

『トネイロ会の非殺人事件』はこの中では一番状況先行型だろう。一代一人という、善人を装って人に近づき、弱みを握ったらそれを元に恐喝を繰り返すなかなかの極悪人がいる。たまたま犠牲者の一人がなんとか恐喝のタネを消去しようと仕掛けた時に犠牲者のリストを手に入れ、同じく追い詰められている犠牲者から厳選された9人を選んで殺害計画を練ることになる。「どうやって10人で1人を殺すっていうんだ」というアイディアの組み立てからして面白いが、その殺害方法で実は一人加担していなかったことが明らかになり、一体誰が「非殺人犯」なのだろう? と10人でディスカッションが始まる。普通は犯人を探すものだが、この場合は非犯人を探しているわけで逆転の状況が面白い。

人の弱みを握って恐喝をし、金をせしめる一代一人は、ほとんどの人間が悪人の烙印を押すことにためらいがないだろう。一方でその悪人を殺すことにした10人が悪人なのか、またその10人の中に加わっていながらただ1人加担しなかった非殺人犯は善人といえるのか。これもまあ、善人悪人と二元論的に語ることの不毛さを見せつけてくれる短編だ。悪人だろうが善人だろうがことはもう起こってしまったのであり、そこに善人だ悪人だといっても仕方があるまい。ただそこにあるのは「死体」と、「やってやったぜという気持ち」の結果だけだ。

気楽に読めて良い気分になれる、良い短篇集です。

トネイロ会の非殺人事件 (光文社文庫)

トネイロ会の非殺人事件 (光文社文庫)