基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

玩物双紙 by 新城カズマ

歴史は人の手によって書かれていくものだから、文字情報だけに頼って我々が歴史を概観すると「歴史の勝者の情報操作」に抵抗することは困難になってしまう。勝者はいかようにも歴史を書き換えられるのだから。ただし、それも言葉だけのこと。人の語る歴史を動かしてきたのは確かにほとんどの場合人間だったのかもしれない。かもしれないが、その人間の側には常に「物」が存在していたし、これからも存在し続けているといえるだろう。城は権力者と共に在り、所有者を次々とうつしながらその姿を変えていく。戦乱の世の栄枯盛衰はさまざまに人間の立場を入れ替え、権力構造を変化させてきたがその渦巻きの中で物は移動し、物事の変化を人間とは異なる視点で体験してきた。

本書『玩物双紙』は、新城カズマさんによる「物によって語られる戦国史」になる。文字通り物の視点から語られる戦国史だ。たとえばトップバッターで語られるのは九十九髪茄子(つくもなす)という唐物茶入で、足利義満、松永久秀、織田信長、秀吉、家康と次々にその所有者を変えてきた。ゲームだったらなんか凄いボーナスとかSランクがついてしまうような、歴史の寵児ともいえるような重要アイテムだろう。だからこそ、この九十九髪茄子視点から語られる物語はこう始まる。『多くの男たちの手が私の表面に触れてきた。』 茶器だから性別はないけどなんかエロい。

 物たちは常に会話をしている。わずかな反響音、かすかな衣擦れ、人間の耳には何の情報ももたらさないほどの小さな小さな共鳴が、幾千の書物に比する物語を伝えてくれる。煉瓦だろうが漆喰だろうが強化コンクリートだろうが、物たちの微細な響きを完全に消すことはできない。
 世界は囁きで満ちている。事実、事実、そしてほんの少しだけ伝聞と憶測。あとは時間をかけて囁きに耳をかたむけるだけだ(厳密に生物学的な意味では私に耳などついていないのだが、それはこの際たいした問題ではない)。そして人工物である私にとって、時間ほど豊富な資産はない。

数々の権力者を渡り歩き、数奇な運命を経験し、現代まで生き延びている茶器である。必然そこには物語・体験談があるものだ。たとえば所有者への、茶器の視点から語られる信長評『だから私にとってあの男の想い出となると、以下の一言に集約されてしまう──「自転車操業」という身も蓋もない熟語に』のように、現代のようなまるで悪鬼羅刹か何かのように描かれている信長像とはまるで異なる、民のために遮二無二がむしゃらに働き続ける信長像が立ち現れてくる。

また数奇な運命といえば、九十九髪茄子は何度も戦火にさらされ、最終的には焼け跡に取り残されてかなり破損してしまう。それを徳川家康の命令によって、藤重藤元・藤厳という漆塗りの名工父子に修理のため預けられ、結果的のそのまま恩賞として与えてしまう。単なる歴史の1エピソードとして見れば「そういうことがあった」という事実だが、しかし実際にはこれはおかしい。何しろこの時点ですでに歴史を重ねた名茶器である。いわくもある。だからこそ家康もわざわざ探し出し修復させたのだ。もっといえば、『粉々に砕かれたものが再び一つの姿になって蘇る』その象徴性を認識しなかった、なんてことがありえるのか? なぜ、自分の手元におかなかったのか? 九十九髪茄子は自分の来歴に思いを馳せながらその理由をつらつらと考えていく。

 所有の形態が大きく変わるたびに、この国の何かが、ひどく奥深いところからぐるりと変わるのを感じることができる──かつては将軍たちが私を栄華の灯として所有した。やがて私に値段が付けられた。そして次の将軍家は私を所有うすることをやわらかく拒んで江戸に腰をおろした。その将軍家が統治の座から退いた後に私を所有したのは南から来た男、幸運にも物の価値を解っている男だった。そして私にこの堅固な煉瓦造りの館を与えてくれた。

本書は何もこの茶器の話だけで構成されているわけではない。他にも銀、文車、城と、それぞれ戦国史において重要な一角を担った物たちがのきを連ねている。銀は戦争の趨勢を人間たちの動機を動かし、文車は文字という文化を運び、城は自身の象徴性とその特異性を明朗に並べ立てる『私は二重の存在なのです。政治的妖精と審美的進化の交換点、それが私です。』 物が語るって言っても、それを書いているのは新城カズマなんだから、結局著者の歴史語りにすぎないんじゃないの? と最初は思うところだが、単一の物から見た歴史は確かにその物の視点から切り取るしかなかった部分が立ち現れてくるものである。

またそれだけではなく、物の話を読んでいく上で圧巻なのはみなその語りのスタイルが異なることだ。歴史的な役割を終えつつある銀はまるで商人のような口調ですりよって我々に語りかけてくるし、文車はおれと自身を語りながらただの機構である存在から文そのものになり今や普遍的存在となった自身の存在を語りかけてくる。城にいたっては裁判の場における被害者であり証拠物件であり検察官として判事および陪審員へ語りかけるスタイルをとって自身の来歴と現況を朗々と述べていく。

たかだか160ページちょっとの、短い歴史語りである。しかしこれまで物語られてきた歴史とはまったく異なる視点からみた、濃縮された160ページだ。同著者でいえば島津戦記 by 新城カズマ - 基本読書 とほとんど同時に出た歴史物だが、視点の置き方も語りのスタイルもまったく異なる作品で、新城カズマという作家の底知れなさを実感できるだろう。

玩物双紙

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