基本読書

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博物誌 (新潮文庫) by ジュール・ルナール

一文の威力がいったいどこまで発揮されうるかという限界を、このルナールの『博物誌』からは教えられる。この『博物誌』はルナールと呼ばれる有名なフランスの小説家、詩人に書かれた一冊。もう何十年も前に出版されたもので、古典といっていいだろう。雌鳥、家鴨、鵞鳥と動物や虫、ちょっとした出来事や庭について書かれていくちょっとした文章(2〜3ページぐらいの物が多い)が、削ぎ落とされた鋭さでぽんと置かれている。

見たものについて空想をふわっと広げていく、その奇天烈さがしかし「馬鹿げている」のではなく、惹きつけられる違和感につながっていく。そもそも分類が難しい本であることから「なんか変」だ。エッセイというわけでもなく、動物観察日記というわけでもない。空想が混じり観察が混じり、詩のようでありながらその文章はどこかズレている、がどうしようもなく魅力的だ。

しかしどうもこの文章の魅力を説明するのは難しいな。クリアというのでもなく、鋭いとも違う。どれもこれも発想がおかしく、そのおかしな発想の表現もまたどこかしらおかしい、それなのに、ほんの一文であってもそこにはいつも何かがある気がする。ばったは憲兵にたとえられ蜘蛛の説明などはこうだ。『髪の毛をつかんで硬直している。真っ黒な毛むくじゃらの小さい手。』うーん、とてつもなく変だ。たしかに表現しているものはわかる。

凄いな、と驚いたのが蝙蝠の項目の『毎日使っているうちに夜もだんだん擦り切れて来る。』という簡潔な第一文目。夜を毎日使われているという捉え方が凄いし、それが擦り切れていくと表現したところがまたすごい。蝙蝠の項目などはもう素晴らしいの一言で、夜のイメージの使い方がぞくぞくするようなうまさだ。もはや現実の蝙蝠に対する観察力の問題ではなく、現実の蝙蝠という存在をいかにして詩にするかの挑戦になっている。

 どんなところでも、夜の帷の裾のはいり込まないところはない。そして茨に引掛っては破れ、寒さに会っては裂け、泥によごれては痛む。で、毎朝、夜の帷が引き上げられる度に、襤褸っきれがちぎれ落ちて、あっちこっちに引掛る。 
 こうして、蝙蝠は生れて来る。

簡明な、という言葉がたぶんもっともぴったりくるのだろう。解説では『ルナールの簡潔な表現、というよりもむしろ、その「簡潔な精神」が、』と表現している。うん、決して文字数を費やさないという覚悟みたいなものがある。それでいて単なる観察の記述を遠く離れて、常にどこかしらに引っかかりを残す、印象的な一文となって出てくる。これほどまでに一単語一単語に集中させられる一冊はあまりないし、その簡潔さにも関わらずルナールにわずかでも似た表現ができる人にも巡りあったことがない。

家の中に置いて、ふと思いついた時にぱらぱらとめくる、そんな楽しみ方が似合う本だ。

博物誌 (新潮文庫)

博物誌 (新潮文庫)