基本読書

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呼鈴の科学 電子工作から物理理論へ (講談社現代新書)

原子また原子、環また環と、論理の鎖はきたえられていく。いくつかの環はあまりに性急に、あまりにか弱くつくられたためにこわれ、そして、よりよき細工におきかえられる。しかしいまや、大いなる現象はすべて知られ、その輪郭は正しく確かにえがかれて、腕ききの画家たちがその余白をうめつつある。この講義を修得する子どもは、火についてアリストテレス以上に理解する。──『ロウソクの科学』序文 W・クルックス

『ロウソクの科学』で著者のファラデーはたった一本のロウソクの身の上話を続けていくことで科学のいろいろな分野に目を広げていく。この宇宙をまんべんなく支配する現象、その理屈へ、ロウソクからつながっていくのだ。ファラデーの講演は物の名前を教えることには重点をおかない。徹底的に「世界はどうやって動いているのか」について解き明かしていってくれるものだった。

吉田武さんによる『呼鈴の科学』は『ロウソクの科学』の精神に学び、そのスタートを呼鈴にもとめて、数式も学術用語も使わずに「世界はどういう仕組で動いているのか」を解き明かしていく講義録だ。それは呼鈴からはじまって、その事象を細かくみていくことで磁石の仕組み、電気が伝わる仕組み、重力、一般相対性理論、量子力学と扱う領域を広げていく。

ニュートンがりんごが落ちるのをみて万有引力を〜という話は、実際は彼の本などにまったくその逸話が出てこないことからデマだろうといわれているが、実に象徴的なエピソードであることに変わりはない(だからこそこれだけ流布したのだろうし)。誰もが疑問に思わないような、当たり前で実に身近なところに、いくら考えても考え尽くせないような、深遠な問題が潜んでいるものだ。

本書の言葉を借りて言えば、そうした「簡単なことを難しく考える」ことこそが専門家の仕事ということになる。

専門家は、「簡単なことを難しく考える」のが仕事なのです。
簡単に見えることの中に、実際は複雑な仕掛けが隠されていることを感じ取り、研究するのです。一般の方なら、「なんだ詰まらない」と捨ててしまうような話から、「いや、そうではない、これはそんな容易な話ではないぞ」と見抜いて、探偵顔負けの推理ゲームにのめり込むのです。影絵の形から、その裏側の手の組み方を当てるようなものです。

『名前を知っていることと、その本質を理解していることは全く別の話である』という言葉が本書のはじめには出てくるが、これはこの本のテーマを一言で表していると思う。戦争、愛、献身と言った言葉があるが、そうした言葉を使って物事を表していると、その言葉を知っているだけで「わかった」気になってしまう。『そして、その名の下に、裏に潜んだ複雑な仕組のことを忘れるのです。*1

ラジオという言葉を知っていることは、ラジオの仕組みをしっていることにはならない。たとえば『無線通信により音声を送受信する装置』と名付ければ、理解は少しは深まるだろう。それでもまだ全然、全体のぼんやりとした仕組みを把握するだけにすぎない。科学に限らず社会でもなんでも「名称」よりも、「なぜそうなったのか」とか「仕組みはどうなっているのか」とか「問題点」こそがその対象の「本質」により近いものだ。

本書は安易な名詞、学術用語の使用を極力避け、物理の仕組みがどうなっているのかをできるかぎり複雑に説明してくれる。シンプルだが奥が深い問題を、複雑に説明すること。難しい問題をできるかぎりわかりやすく教えようとする本が多い中で、こうした本は貴重だ。でも結局はそうやって「根っこ」から理解していくことが、その後の応用や発展につながっていくんだよなあ。名著『ロウソクの科学』に勝るとも劣らない、愉しい一冊だ。

呼鈴の科学 電子工作から物理理論へ (講談社現代新書)

呼鈴の科学 電子工作から物理理論へ (講談社現代新書)

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