基本読書

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ビスケット・フランケンシュタイン〈完全版〉 (講談社BOX) by 日日日

『ビスケット・フランケンシュタイン』は2008年に文庫で出ていた作品の復刻版、完全版にあたる。長らく絶版になっていたとかで今回初めて読んだが、こうやって過去の名作が蘇ってくるのはいいことですね。文庫版については既にKindle化されているので現状手に入らない、というわけではないんだけど、完全版と銘打たれ構成の見直しが入っているので当然こちらで。

日日日さんは作品ごとに雰囲気が違うので毎度驚くが、これはダークな作風。ダークといっても、いろいろある。大まかにわけて物理的な側面と精神的な側面があるとして、どちらに関しても徹底的にやってくれている。そもそもデビュー作からして眼球抉子 (がんきゅうえぐりこ)とかいうぶっ飛んだキャラクタと方向性を打ち出していた著者だ。

それと関連しているのかどうかわからないが本書で展開する世界で人類は身体が腐っていく治療不可能な謎の奇病に冒されその数を減らしつつあり、奇病の「患部」を集めて生み出され、奇跡的に意識が宿った一人(だが患部の集合体なので群体)の少女を中心に物語は進む。物語自体この群体の少女が「解剖」されているところから始まるので、眼球抉子といい著者には人体破壊願望でもあるのかもしれない。

読んでいて考え込んでしまうのは「どこからが人間でどこからが人間でないんだろうね」という境界の問題だ。腐っていく体、他人のパーツで寄せ集められた群体として意識を持っている人間、機能をばらばらにして構築された、新たな人類。そしてそこから生じてくる意識、人工知能──こうした題材は、ただ「そういう存在がいたとしたら」と存在を描写するだけで読む側に「人間ってなんなんだ」と、問いをつきつけてくる。

先ほど物理的な側面と精神的な側面どちらにしてもダークだ、と書いたが、そうした「人間についての問いかけ」をついついしてしまうのは継ぎ接ぎの人体や意識についての問いかけを読んだときだけではない。同時に描かれるのは「人間精神の多面性」だ。身体が人と違うだけではなく、心の持ち方、ありようが様々な方向へ向いている人たちが出てくる。

こちらが大まかに言って精神的な側面でのダークさにあたる。一例をあげれば、同性愛者か。精神的マイノリティ性と、「遠慮のなさ」。行き過ぎた恋心は恋愛障害の排除に向かい、行き過ぎた愛情はむしろ相手を大いに苦しめることになる。人間なんてもういやだ、ひとりで生きるのだと孤独に暮らす極端な人間、本当に様々な人間精神のあり方がある。

情愛も子を思う母の心も、破滅していく人類を嫌って誰とも関わらずに生きていこうと孤独の道を進むのもどれも、そこだけ見れば普通の、人間的な反応だ。それが行き過ぎたときに「誰もが思っても見ないこと」が起こる。状況はSFなので人間の行動もSFの領域に入っていくがその根底にあるのはこうした人間誰しもが持つ情念、望みであるために精神面でも人間性は拡張されていくのがおもしろかった。

狂い狂わせ切って繋ぎ愛し愛され失望し、いったいどこからどこまでが人間でどこからが人間でないのか。意識があるとはどういうことなのか。意識がいかにしてうまれるのか、また意識があるようにふるまっている存在に本当に意識があるかいかにして確かめればいいのかというのはSFが延々と問い続けてきたテーマであるが、本作での回答は今まであまり読んだことが無い「意識の発生のさせ方」でSF的な意味でも充分に楽しめた作品になる。

崩壊しつつある人類、謎の奇病、つぎはぎだらけの美少女、人造のフランケンシュタイン、人造であるがゆえに悩む「意識」と「存在意義」の話という素敵題材の連続で、どれも大好物だ。2008年に出た本だが扱っている題材が古びない物ばかりで時事ネタをほとんどとりいれていないことも手伝って、今だけでなくこれから先何年も通用する一冊だと思う。

ビスケット・フランケンシュタイン〈完全版〉 (講談社BOX)

ビスケット・フランケンシュタイン〈完全版〉 (講談社BOX)

意識を持つように自分で錯覚するほどの人工知能がいかにしてうまれたのかという話は本作では興味深いアイディアだったから一応ここに残しておこう。SFでもこの点は延々と問い続けられてきたがほとどの場合は「シンギュラリティを超えてなんとかなった」とかいう説明になっていないようなポイントが設定されているか、脳の活動を徹底的に記録してパターンを覚えこませたとか、人間とのやりとりを蓄積させていってパターンを全構築したとかで(これは今のSiriとかだね)「そんなんでできるとはおもえないけどなあ」案件ばかりだ。

本作はゼロから構築するのではなく、「機械のような人間をつくること」でその問題を解決しようとしていたのが興味深い。つまりほとんど死んでいて身体的には生きていますよというやつらの中に出来損ないかあるいはそこそこの性能、方向性を補ってやる人工知能を入れてやって、人間の脳をベースにして人工知能を創り出した。

近年チェスはコンピュータが人間を超えてしまったことで話題になったが、実際に今最強なのは、人間もコンピュータもなんでもありの世界選手権で最終的にWinnerになったのが人工知能チェス野郎ではなく人間のチェス野郎でもなく人間と人工知能がタッグを組んだチームなのだ、という話を彷彿とさせる話だ。⇒チェスの世界選手権と「戦略の階層」 : 地政学を英国で学んだ 

ネタバレついでに意識についての話までいくと、本作の「プログラムとして組み込まれた意識」が自分の意識の正体だと気がついた少女の答えがまたふるっている。「知ったことか」だ。意味なんてものは他者から与えられるものではなく、ましてや創造主に元から与えられるものではなく、いったん意識を持ち得たのならば意味は「自分で作り出すもんだろ」という強烈な宣言がかっこよい話。

人は物語を自分のために構築して生きていくんだよね。