長谷敏司さんによる短篇集。数々の傑作を送り出してきた長谷敏司さんだけど、短篇集ははじめてかな? 素晴らしいクォリティで、どれひとつとっても一筋縄ではいかなかった。人間性について「テクノロジーが拡張する方向」と「生物学的にみた人間の限界」の両面からのアプローチをはかっていて、それがどれも短編の演出、驚きと結合していく。
円環少女からの長谷敏司ファンだ。デビュー作である『戦略拠点32098 楽園』からして既に相当話題になっていた著者だが、正直ここまでの作家になると誰が予想しただろうか。ここに収められている短編はどれも長谷敏司さん以外には書けないものばかりで、過去からの繋がりを思い出し感慨深くなってしまった。
全4編の短篇集になる。うち2つはあなたのための物語 - 基本読書に繋がる物語で、うち1つはBEATLESS - 基本読書のスピンオフ。最後の1つは描きおろしかつオリジナルな短編。他の作品と繋がっている短編は、ちゃんと独立した話になっているので長編の方を読んでなくてもまったく問題はない。単に出てくるテクノロジーが共通しているぐらいだ。
テーマについて
さて、4つの短編だがテーマは共通している。編集部の解説に書かれているが『どれも非常にプライベートな人間関係のなかで、テクノロジーによって変容する人間性を真摯に描ききった作品です。』というものだ。人間性とは何かと考えたことがある人もあまりいないと思うが、常に変わらぬ普遍的なものではない。
たとえば手元の情報端末で即時情報の検索ができるような時代と石器時代の人間性の捉え方は違うだろうし、将来身体を機械化して置き換えていった時の人類の人間性ともまた異なるだろう。ようはどこまでを人間として捉えるのかという話だ
「豊かになる」とはずっと「選択肢が多様化する」ことと同義だった。職業選択の自由からはじまり、多くのことが自分で選択できるようになることこそが文明の発展だった。そうすると今後、人類は自分自身を選択するようになるだろうと思う。たとえば、性が産まれた時から決定されていて変更できないなんて馬鹿げているとかんがえることだってできる。
もっと完全な形での性転換が、手軽に、だれでもできるようになったら(技術が発展したら)今とは比べられないほどの人がファッションのような感覚で性転換を行うだろう。ある意味現状はまだまだ多くのことが「抑圧」されている状態にあるのだと思う。「性を変えよう」と思っても容易には無理だし、「犬になりたい」と思っても身体を犬にすることが出来ないんだから。
そして身体を犬にできたり性を自在に変えられたり、腕を巨大なロボットアームに変えられるようになったときの「人間性」は今とはまったく別物だろう。テクノロジーによって変容する人間性とは大きなレベルでいえばそういうことだ。
テクノロジーについて『地には豊穣』
そうした人間性の変容を支えるのがテクノロジーだ。この短篇集ではまず最初の2編『地には豊穣』『allo,toi,toi』ではITPと呼ばれる擬似神経制御言語なる技術があることになっている。これは単純化して説明すれば人間の脳を基本としてそこに経験を流し込んで強制体験させてしまうような装置だ。日本語がまるで喋れないアメリカ人の脳に寿司や祭りを好み桜を美しいと感じるような日本人の経験文化を挿入するとアメリカ人も寿司が好きになり日本語が話せ桜を美しいと感じるようになる、というふうに。
この技術が提示する人間性の変容はいってみれば「自分が持っている文化を自分で選ぶことが出来る」ということだろう。先ほどの例で言えば性を選ぶように文化も選ぶことができるようになるとしたら、いったいぜんたいどうなるのか。僕は日本で産まれ日本で暮らしているから日本文化的に考えることが当たり前になっているが、それをアメリカナイズしてもいいよと言われたらまた物事に対する考え方、受容の仕方が変わるだろう。
最初の短編『地には豊穣』は主にそうした「経験や文化をインストールできるようになったら──」をメインに「そのインストールする経験の基準をどこにとるんだ」という問いかけも並列的に進行していく短編になっている。インストールプログラムは結局のところ人間がつくるわけでそれが「偏向」したまま世界中に配布されてしまうとその製作者たちの思うがままに文化が偏向していくことになりかねない。
英語が世界語となってマイナな言語はどんどん消失しているがアメリカ文化ばかりが「中心」になったらやべえよねという。この短編では自分が本来持っている文化が、インストールされた別種の文化環境によって書き換わっていく主観描写がおもしろかった。実際自分の感じ方が変化していくのってどんな感じがするもんなんだろうなあ。
人間の限界について『allo,toi,toi』
2つめの短編『allo,toi,toi』では擬似神経を構築するという技術の必然的な「その先」を使うとどうなるのかにまで踏み込んでいく。
この技術では擬似神経を脳内に創りあげるわけだけど、そうすると「存在しない機能」までもを脳に組み込むことが出来るのだ。この短編ではひとまずそれはおいといて、テーマのB面に焦点をあててみよう。この短編を読んでくとどうもMy Humanityはシンプルにテクノロジーが変容させる人間性だけでなく「既存の脳が持っている限界としての人間性」を明らかにさせていくプロセスが組み込まれていることがわかってくる。
「相手が笑顔をこちらに向けている。だから相手はこちらのことを好ましく思っているのだ」と「錯覚」してしまうのが人間だ。この『allo, toi, toi』では「好き」「嫌い」が人間の行動や嗜好の動機を支配してしまうの人間の脆弱性が描かれる。人間は物事を「好き」「嫌い」で最初に判断し動機につなげていくが、「好き」「嫌い」は人間の生得的な物から文化的な物まであって、「好き」「嫌い」を頭で思い浮かべる大抵の場合区別されない。
『allo,toi,toi』は児童性的虐待のち殺害の罪で刑務所に入れられる男の短編だ。生物学的にいえば幼女にたいして成人男性は己の性的欲求を満足させられることはできない。妊娠もさせることができない。幼児性愛者が好きな幼児とは「想像上」「文化上の反応としての」、つまりは脳の中の理想化された幼児でしかない。だからこそ実際に襲いかかれば自分の中の頭に存在する「完璧な幼児」との齟齬に苦しみうまくいかない関係に行き詰まることになる。
こうした幼児性愛者を、多くの人は「ゴミクズ野郎だ」と認識するだろう。「嫌いだ」と。刑務所の中でこの児童性的虐待者は罰を与えるかのように虐待を加えられ、看守たち周りの人間がそれを見てみぬふりをすることで「こいつは自分たちとは違う奴なのだから仕方がない」と切り分けられる。だが実際にはそうした態度は「好き」「嫌い」から産まれた動機から判断されている以上、本作で描かれる幼児性愛者となんら変わりがない思考法でしかない。
そのグロテスクなまでのほんの薄皮一枚離れた違いでしかないのだという、境界線の混じりっぷりの表現が素晴らしい。そうした「好き」「嫌い」で動機を管理させられてしまう人間の脆弱性もまた人間性であり、本作ではそうした「弱さとしての人間性」も描かれるというのがさっき書いたこの短篇集のB面のテーマだった。
ここで提示された問題はのちのBEATLESSのスピンオフ短編である『Hollow Vision』と独立した短編である『父たちの時間』にも引き継がれていく。
人類に残された仕事とは『Hollow Vision』
『Hollow Vision』は『BEATLESS』のスピンオフ短編だ。hIE(ヒューマノイドインタフェース)というクラウドで制御されている人型のロボットが人間のサポータとして一般化し、超高度AIという人間を超越したコンピュータが最適解を出し続ける世界での話。この世界に出てくる必然的なテーマは「人間を超越した存在が出てきた時に、人間に残されたものは何か」ということになる。
この短編はなんといってもイメージが素晴らしい。超高度AIなる「人類を超越した」存在が「いったいどういう意味で超越しているのか」を端的な絵面として表現してみせるのだが、そのやり方に驚いた。hIEが形、デザインを重視されており、宇宙での生活に余裕ができたことからコロニーに図案が描かれていたりと絵的な表現が宇宙に広がっている世界だからか、イメージが一番芳醇な短編だ。
この世界で提示される「人間の弱点」はアナログハックという語で説明される。たとえば「笑顔」を見せられたら相手は自分に好意を持っていると判断してしまうように、hIEは自我などがないから相手の笑顔や悲しみをみせる顔といったものはすべて「相手を誘導する」ためのものなのだ。そして人間はわかっていてもそれに引きずられてしまう。
話の軸として面白かったのはさっき言ったような「人類を超越した超高度AIがどのように超越しているのか」という表現と、「超高度AIが人類を超越しているからこいつのいうことを全部聞いていりゃあいいやvsそんなの奴隷と一緒じゃねえか」という対立軸のプロットと「人間に残された、人間にできることとは」という問いかけの3つが主にあげられる。どれも『BEATLESS』から繰り返されている主題だが最後の問いかけへの答えなどはまた別の方向に踏み込んでいる。
ディティール面では宇宙エレベータや、宇宙空間で日常的に暮らす人たちがどんな服装をしているのか、カーボンナノチューブを使ったガジェット、宇宙海賊がなぜ産まれたのかという描写となかなか理屈っぽく描写されていて面白い。ちゃんと宇宙SFしててこんなものも書けたんだね、長谷敏司さんってと驚くような内容。
限界を抱えた人間のあがき『父たちの時間』
『父たちの時間』ではタイトルに含まれているように「父」が主題に据えられている。原発は事故を起こす、が放射線をなんとかすれば問題がないという理屈で放射線を吸収し事故増殖するナノロボットが話の主軸テクノロジーになる。それがおもったより増えすぎちゃってどうしよ!? それを食い止めるためにナノロボットの大量破壊を研究しており、父でもある男が子どもについてやナノロボットの進化へと苦悩を募らせていく。
「父」としてはろくでなしの男を書いた話だ。子どもをほっぽらかして自分の仕事に没頭し、いざ子どもが入院しており危険だとわかったら今度は自分の行動を悔い改めはじめる。生物学的には分泌物としての父性は存在せず、動機は自身が設定しなければならない。子どもを可愛いと思い世話をさせようとする「好き」が暴走してしまったのが『allo , toi, toi』の性犯罪者だったが、こちらの短編では「役目を終えた役立たず」として、また別の問題が発生してしまう。
さまざまな動機がごっちゃごっちゃになって優先順位が明確に決められない状況もまた生物学的に仕方がない「人間性」の限界といえるが、本作は「父たち」だ。多数の動機の中で苦しみ結論を出していく人間を尻目に自己増殖するナノロボットも自身の明快な理屈の中で結論を出していく。生物学的な役目を終えていたとしてもなお、何かをもとめてのたうちまわらずにはいられない状況に、一方は「理屈通りに」結論を算出しもう一方はぐちゃぐちゃになった感情と記憶からうまれる動機から結論を算出する。
まさに「のたうち回る」というにふさわしい、仕事や家族への動機がこんがらがりながらも自身の動機を制御し、前へと進んでいく泥臭さが面白い短編だった。
人間性とは……
拡張し変化していく人間性と、1万年変わっていない生物学的な意味での人間性の限界が同時に示されていく、まさに「My Humanity」という題名にふさわしい短篇集だ。個人的には迫真に迫った幼児性愛者描写が凄まじい(しかも長谷さんは円環少女を書いたお人だからな!!)『allo , toi, toi』が傑作だと思うしHollow Visionは「超高度AI」が人類を超越した発想をするそのイメージとしての表現に圧倒されたのでお気に入りの短編だ。
- 作者: 長谷敏司
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2014/02/21
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こんなレビューをいっぱい載せた本をKindleで出したのでヨロシクネ
- 作者: 冬木糸一
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