基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

仁義なきキリスト教史 by 架神恭介

これは面白かった。

キリスト教史の登場人物たちを、ヤクザに置き換えて小説として再構成している。一発ギャグのような思いつきで一冊書き切ってみせたその筆力が凄い。そしてやくざと宗教の見立ては読んでみると驚くべきことによく馴染む。何を言っているのかさっぱりわからないと思うが以下を読んでいけばなんとなくわかるのでしばし待たれい。

著者の架神恭介さんはこれまで純粋に小説作品である『戦闘破壊学園ダンゲロス』シリーズの作品を除けば、その作品群『完全パンクマニュアル はじめてのセックスピストルズ』、『完全覇道マニュアル はじめてのマキャベリズム』、『完全HIP HOPマニュアル』『完全教祖マニュアル』『もしリアルパンクロッカーが仏門に入ったら』などなどは、どれも現実をうがりまくってとらえることで、面白さに変える方向性がとられてきた。

たとえばデビュー作である『完全パンクマニュアル』は右のリンク先で、初期バージョンが読めるが⇒完全パンクマニュアル「はじめてのセックス・ピストルズ」 このノリと文章の面白さは今読んでも素晴らしいものがある。たとえばSTEP1ピストルズを聞こう、の章ではそのままピストルズを聞くまでの入門編で、CDを聞くだけに入門ってなんなんだと思うかもしれないが、こんなノリになる。

いうまでもありませんが、まずCDというメディア自体が非常に軟派です。何度聴いても音が劣化しないというセコイ考え方がまったく小市民的で、とてもパンクとはいえません。やはり、真のパンクスが聴くに相応しいメディアはカセットテープです。これしかありません。聴くごとに音質が劣化していき、いつかは壊れるカセットテープ。この一期一会の感覚はまさに“瞬間を生きる”パンクスならではのものでしょう。もちろん、ダビングには細心の注意を払い、出来る限り酷いダビング環境を揃える努力をするべきです。とにかく、いまある最高の音質を出来る限り高い再現性で再生しようなどというファッションパンクな思考は捨ててください。ダビングが終わった後は、CDはすぐさま友達に返却するか、叩き壊してください。

このノリが今でもなんら変わることなく、むしろパワーアップして現実を全力でうがっていく。デビュー作がパンクではじまっていることからもわかる通り、いかにして「パンクに(つまり瞬間を生きるように)振り切った作品を出すか」にこだわったラインナップがこれまでずっと一貫しているのだ。

近著であるもしリアルパンクロッカーが仏門に入ったら - 基本読書 ではパンクロッカーを仏門に入れて仏教を学ばせる体裁をとったし、よいこの君主論/架神 恭介,辰巳 一世 - 基本読書 では小学校のクラスを覇道ゲームに見立てて君主論を抑えた。とうとう戦闘破壊学園ダンゲロス - 基本読書で小説作家としてデビューしてしまうなど、その方向性が面白さを求めるあまり「現実」から「フィクション」へと移行していく過程が見える。

ついに本作ではキリストをヤクザの親分にしてしまう。本人を変えちゃうのは大丈夫なんだろうかと、若干心配になるが(信者的に)。

何せ古代のことだ。病気や精神的錯乱の原因を悪霊によるものと思い込んでいた民衆も多くいたが、イエスがその者のところへ行き、「おどりゃ悪霊、はよ出ていかんかい。そのツラァ次に見せたら承知せんどワレェ!」と威勢よく啖呵を切ると、奇々怪々、やはり病状は快方へ向かうのである。ヤハウェ大親分ほどの大物やくざの威光があれば、得体の知れぬ魑魅魍魎の類であろうと震え上がるに違いないという、民衆のある種の信頼感がこれを可能にしたのだろうか。

で、これは特記しておかなければならないことだが、小説作品であるとはいっても、意外なほどちゃんとキリスト教史として書かれている(著者のこれまでの作品をちゃんとおっていると意外ではないが)。というのも確かに宗教組織は「組」になっているし、登場人物の言葉は軒並みヤクザ映画におなじみの広島弁に置き換えられているが、それらは創作ではなく基本的に原典からやくざ形式への「翻訳」なのである。

これ以外にも小中のやくざ組織がユダヤ地方にあり、抗争や合併吸収を繰り返していたのだが、先取りして言ってしまえば、これの最終的な勝利者はパリサイ組であった。現代で我々が認識するところのユダヤ組というのは、このパリサイ組の系譜なのである。なお、これもついでに言ってしまうと、後世「キリスト組」として知られることになる一大やくざ組織も、初期の間はユダヤ組系列の二次団体と見做され、「ユダヤ組系ナザレ組」の名で呼ばれていた。それがある日からキリスト組と呼ばれるようになり、ユダヤ組本家からの離脱に成功するのである。その辺りの事情は後に語ろう。

ここなどすべてやくざに置き換えられてしまっているので読んでいるだけで笑えるが、実質的な内容としては史実にのっとっており書かれている内容は至極まともである。読んでいて普通にへえ、なるほどなあそういうふうに成り立ってきたのかあと感心してしまった。勉強になるというよりかは、キリスト教史ってこうしてざっくりと把握してみると異常者の協奏曲のようなもので(やくざに置き換えられているところをだいぶ減らしてみてもそう)それ自体がめっぽう面白いのだよね。

僕自身は作家:架神恭介のファンなので、宗教になんの興味もないまま仏門の本を読んだり、キリスト教史の本を読んでいる。この受容姿勢だと、楽しんで読んでいるついでになんだかわりあいちゃんとしたキリスト教への把握や仏門への把握がついてきてラッキー、てな感じがある。しかしこれまた面倒なことに、「キリスト教史を勉強したい」という目的でいえば本書はもちろん完全ではない。

著者があとがきで語るように『エンタテイメント性との秤にかけた場合は、大抵の場合エンタテイメント性を優先』されている。なのでまあ、僕のように、単純に面白いものを読むことを目的に、ついでにキリスト教史への知識がついてきたらラッキー程度の心がけで読むと概ね幸せになれるのではなかろうかと思う。

個人的に第四章の『パウロ──極道の伝道師たち』の章が面白かった。パウロの異常性が際立っている章だ。ただでさえおかしいやくざ達が、パウロが出てくるとそのおかしさがかすんでしまう。

パウロは元々イエスが属していた組織とは敵対する組織に所属していたのだが、旅の途中病気か何かで倒れ、目が見えなくなってしまう。そしてなんとパウロは倒れる寸前にイエスの声を聞いたという。しかもそこをナザレ組の人間に盲目を治癒してもらうなどの奇跡を経験し、これまでの敵対状態から一転、熱狂的イエス信者、直系の使徒であると信じるようになる。

しかもナザレ組の綿々が信じている実際のキリストが言っていたことなど気にせず、自分の頭の中に沸いて出たキリストのことを信じているのだから当然元々ナザレ組の中核メンバーだった人間たちとの間に深い断絶が起こっていくというむちゃくちゃなキャラクター性だ。キチガイだろ。

「あんのパウロのボケナスめが、なーにがキリスト組の宣教じゃ! あのばかたれ、イエス親分の話なんざ何一つしようとせんじゃない。あいつが話ようるんは、ただただ、失神してブッ倒れた時に聞いたいう、あいつの幻聴のイエス親分の話だけじゃない。これ以上、あいつの妄想に付きあうとられんですわ。下らん、下らん! わしゃもう帰るけん!」

↑そりゃ怒るよ。ちなみに公式サイトがあって、本には含まれていない絵がいっぱいみれるのだがパウロはかなりひどい。⇒「仁義なきキリスト教史」公式サイト | 4章 書いてて思ったけど、この「〜〜じゃない」って語尾、かなり変だな。どんな発音なんだろう。驚くべきことに売れているみたいで、Amazonにはないから楽天とかで買うか本屋に行ってね。一応貼っておくけれども。

第1章 やくざイエス
第2章 やくざイエスの死
第3章 初期やくざ教会
第4章 パウロ--極道の伝道師たち
第5章 ローマ帝国に忍び寄るやくざの影
第6章 実録・叙任権やくざ闘争
第7章 第四回十字軍
第8章 極道ルターの宗教改革
終章 インタビュー・ウィズ・やくざ

仁義なきキリスト教史

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