基本読書

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村上春樹伝説についてのちょっとした訂正

村上春樹は「長編小説」の拡充のためにこそ翻訳や短編の仕事をしているのだけど、僕の「長編小説」はなんなのだろうか - 情報学の情緒的な私試論β

処女作の『風の歌を聴け (講談社文庫)』からして、原稿を英語で書いてから翻訳するという手法で書かれていて、それが「日本人が受容するチャンドラー」のような感覚を与えるような文体に繋がっている。最初から日本語で書かれたら達成できない文体だったのだろう。

この部分については村上春樹について書かれた文章でよく見る言質だが、実際には本人の口から否定されている伝説になる。別にこんなのが正しかろうが間違っていようが誰にとってもどうでもいいと思うのだが、何度も何度も書かれるので気がついた人間がちょっとした補足を入れておくぐらいのことはしてもいいだろう。

柴田元幸さんの講義録『翻訳教室 (朝日文庫)』に村上春樹がいくらか登場しているのだが、その中で英語で『風の歌を聴け』を書いたということについて、「実際はただタイプライターで書きたかっただけ」、しかも難しいから途中でやめたということを言っている。ようは英語で書いてから翻訳するというプロセスは実際には行われていないことになる。

まあ、これだってほんとかどうかなんてわからないからどうでもいいことなんだけど。村上春樹の自分語りというのはそれ自体がFICTIONと見分けがつかない。野球の観戦中に小説を書こうと思い立ったという、そこら中で語っていることを筆頭に、自分の小説家稼業を魅力的な物語として仕立てあげようとしているように見える。