基本読書

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A Calculated Life by Anne Charnock

Anne CharnockによるSF小説。21世紀後半、主に遺伝子工学が発展した世界での人造人間とその世界自体を描いていく。著者はNew Scientist, The Guardian, Financial Times, International Herald Tribune and Geographical,といったそうそうたる媒体で書いてきた科学ジャーナリスト

文章もそうした経歴を反映しているのか、正確さを基調としたしっかりと事実を積み上げていく描写のテンポが心地よく、ロジカルな人間として設計されている主人公によくマッチした文章だ。Philip K. Dick Award 2013、The Kitschies Golden Tentacle (Debut) 2013にノミネートされており、デビュー作にして評価も高い。

昨今売れに売れているというHe's a clever son of a bitch『The Martian』 by AndyWeir - 基本読書などと同じく本作も元はKindleDirectPublishing(要は個人出版のこと)で出され、後に出版社に見出され再出版されている作品になる。日本でもKDP発から出版社に拾われた作家が次々と誕生しているところだけど、アメリカだとこの流れが加速しているようだ。

結局のところ、まだそれだけ出版社そのものの力があるということなのだろう。それが編集によるものなのか、全体へ紙を届けられることなのか、宣伝力によるものなのか(まあこれが大きいだろう)、細々とした雑用をやってくれるアシスタント的な役割を求められているのか、そうしたものを全部ひっくるめた力が。思えばKDP発で「書評家の年間ベストに入った」とか「出版社に拾われた」とかは聞くけど、全部これまでの流れを含むところへ「吸収」された話ばっかりで、まだ会社組織の力はなくなってはいないようだ。

話を元に戻そう。どんな話か。まずディストピア小説に分類されるだろう。遺伝子工学が大いに発展した21世紀の後半。ヒロインであり主軸となるJaynaはロンドンで働く分析統計学者である。彼女は数字の扱いに非常に長けているが、それもsimulant(模擬物質と訳で出ているが、そもそも模擬物質がなんなのかよくわからん)で、計算能力を目的としてロジカルな人間として人造的に作られたsemi-robot-humanだからだ。

彼ら彼女らはひとつの場所に集められ、生みの親である企業からリース契約でその能力を活かすように規定され、生かされている。監視はされていないが、給料はなし、毎日決まった時間に出社し、仕事をし、帰り、夜の八時には寝る。性欲や普段の行動を外れるようなアクティブなものは匂いによって制限されているが、彼女たちはその事実を知らない。日々のイベントは極めて精緻にコントロール、ルーチンワーク化されており、彼女たちは自分たちがコントロールされていることを強く意識することもなく日々を過ごしている。

彼女は単に数字に強いというだけではなく、数字間に存在する隠された関係性を見抜く力が飛び抜けている(北東からの風と犯罪率の有意な相関を見つけるなど)。その為所属企業でも優れた統計学者としてスタープレイヤー的に扱われていたが、ある時その優秀さ故に、もっと正確な予測をする為には、社会そのものである個人個人のことをもっと知らなければならないと考えるようになる。

ランダムネスを取り入れたルーチンワークを意図的に設定し、実行すること。未知の体験と彼女の能力、その相互作用によって、ルーチンワークから抜けだした彼女は自分が今まで見たこともなかった人間社会の複雑さ、会社の陰謀、自分たちの状況の異常さなどに気が付かされていくことになる。しかし非常に単純な環境下で動作するように設計された彼女たちはそうしたランダムネスが横溢する状況に関しては重大な欠陥もあって……。そこからの脱出がメインプロットだ。

生活の描写を丹念に行いながら、ゆっくりとした立ち上がりで語られていく物語は、プロットそのものよりも彼女自身が次第に感じていく人間世界その物への感触や、今までルーチンワークの中からいっさい外れたことがなかった無機的な人間が、ランダムなイベントが次々と起こる世界へと踏み出していく興奮、未来世界そのものを書くことへ注力しているように感じられる。

これは何もよくありがちな、人間とは違う存在(ロボットとか)に人間の感覚を理解させて涙を流させるような、まったく違う存在に人間の感覚を押し付けるアホな演出とは違って、「半人間」としての存在が自身と、それ以外との違いを明確に見極めていく過程にほかならない。たとえば自身に明確な両親がいないこと、子供時代というものがないことを、実際の子供と親を見ていくことで実感として埋めていく。

しかしそれは「そうしたものが欲しかった」という羨望になるのではなく、「それは私にはないな」という自己認識へと繋がっていくだけだ。元からしてクールに設計されているのである。そうしたクールな感覚は明確に「そういう存在」なのだと、異質さを際立たせる。また彼女が自分自身の抑圧された環境に気が付き、その謎に抵抗し自身の境界を広めていく過程がそのままディストピア世界の描写へとダイレクトにつながっていて演出として非常にうまい。

本作では、社会との戦いなどはほとんど書かれない。ここにあるのは実に地味な個人的な自由と、あらかじめ決定された境界線の中でいかに生きるかという考え方の前進の話である。そこには内面的な喜びと、葛藤があるけれど、その丹念な描写がとても楽しい。極々丁寧にsemi-roboからの実感と社会を書いた一作としてまとまっている。逆にいえばまとまりすぎていて物足りない部分もあるのだが(200ページしか無いし)、まだデビュー作だ。

これから先キャリアを積み重ねていく上で長大な物語を本書のレベルで制御する能力が備わってきた時の作品は、とんでもない傑作になるだろう。

semi-roboの人生、ディストピアな世界

この時代、人間と非人間の違いは非常に曖昧になっている。Jaynaのように半人間が当然存在している。そして生身の人間も遺伝子工学によって変質を遂げ、産まれた時からneural implants によって変更を加えられ、その後も継続し続ける。より生産的に、より有能に。だがその代償として人間社会から行き過ぎた煙草や酒、薬といった道楽や、反社会的な傾向、暴力的な衝動などは制限されるようになっている。

"Look how safe it is for everyone now: hardly any crime. You've all been liberated" .

面白かったのがこれが「徹底的な悪」としては描かれていないところ。無論恐ろしい助教ではある。しかし彼女たちはそうした世界に、嫌でも生きているのであって、そして実際のところ、これは我々の社会の延長線上のものなのだ。暗い雰囲気がありながらもそこには子供がすくすくと育っていて、犯罪は減少し、より安全になっている。その代償として監視社会化、人間の無力化はどんどん進んでいる。

でもそれが「当たり前」になってしまうと、声を荒らげてやめろという反抗精神もうまれなくなる。「産まれた時から犯罪傾向を抑制されている」そう言われたって、「そんな産まれた瞬間にされたことなんか知らないよ」というわけだ。自分が今まで持ってきた感覚は「当たり前」で、それが実はおかしいのだと言われても、反抗すべきことだとも思わない。

そうした状況を「普通の人間枠」から外れた人工人間から指摘されるのだから皮肉もきいている。いずれ人間は人間以外の存在からお前らはいったいなんなのかといったことを問いかけられるはめになるだろう。人間を真に客観的に見れるのは、同等の能力を持った「別の」何かだろうから。いくつかこうした「人工知能」系を読んできたが、特に最近のものは人間を客観的に見れる存在として描かれていく傾向があるように思う。

今までロボット、人工知能といえばチューリングテストを代表とするように「人間を模倣するもの」「人間を代替するもの」としての役割が強かったが、今はその軸足を「ロボットや人工知能ならではの思考とは何か」といった方向の描写へうつっているというか。人間の感情を機械にもたせることを「是」とするのではなく、機械知性とは何か、機械が自律的に動き、自己を規定するようになるとしたらそれは何なのかが問われている。

ようするに自分たちの物語を語り始めているのだ。本作もある意味ではそうした話だ。成り立ちの違う人間として、彼女たちは自分をどう規定していくのか、どう規定するのを是とするのか。これはそうした「新たなる普通」の創出の物語であるといえよう。一方日本では神林長平が「未来のロボット達の聖書となるような」物語、超弩級の傑作を既に『膚の下』で書き上げているのだが……それはまた別のお話。

A Calculated Life

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こんなようなレビューをいっぱい書いた本を出しました。
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