これはなかなか狂った物語だ。今までの世界が一度終わってしまった世界というわけでも大変な自体なのに、変質した世界は「空想と現実が入り混じった」幻想世界になってしまったのだから。空想と現実が入り交じっているのだからこれまでの常識は通用しない。何が起こっても不思議ではない世界でよくわからないことが起こっていくのでそれが本当に現実なのか、はたまた死後の世界だとか夢の世界みたいなものにいってしまっているのか、いまいち判別がつかなくなっていくことさえある。
タイトルからありがちな終末物語だと侮ってはいけない。実際これを終末物と呼ぶのは語弊があると思う。どちらかといえば「新世界創造物」とでもいうような、「今まで常識とされていた世界が、全く別物の世界に作り替えられてしまった世界」だから。物語は人間同士の最終戦争によって滅茶苦茶になっちゃいましたというありがちな始まり方でありながらも、その後に出現する世界とそれをたてに好き放題やる著者、やけに饒舌な語り手に武術にニンジャにサブカルチャー的なギャグが散りばめられたとても悲壮感を感じさせないごった煮の物語だ。
ニンジャとあらすじ
いやーだってニンジャですよ、ニンジャ。ニンジャが極々当たり前にいる世界ってそれはなんて素晴らしいんでしょう。僕は物語内にニンジャが出てきただけでテンションが急上昇してしまうのだがそれは他の人も同じだろうか? 物語にニンジャが出てきて、主人公は謎の武術を教えるウー・シェンヤン老視に仕えて武術を獲得する! そして世界は謎の兵器によって人間の思念が現実と結びついて不可解なモンスターが出現し続ける幻想郷になってしまう。
主人公はそんな変質してしまった世界で自分を貫くことが出来るのか? 怖気をふるう悪をその鍛え上げた武術で打ちのめせ! 思念が現実化するファンタジー世界で悪のニンジャをボコボコにしろ! とかそんな話だと思っていただければ概ね問題ないかと思う。物凄く頭が悪いと言わざるをえないが、実に真面目にそんな世界に至る経緯と、そんな世界になってしまったあとの人々の奮闘を描いていくのだ。
ニンジャが出てくるといってもいろいろな描かれ方があるが(一方の極みがニンジャスレイヤー的なものであることは言うまでもない)、本作においてそれはどちらかといえばリアル寄りな存在だ。奇っ怪な武術を使い、衣装自体は身を潜める元来のニンジャスタイルを踏襲している。忍び寄るところ、暗殺もしっかりと行う。決して相手の目の前に出て行って自分の名を名乗ったりしない(ドーモ。ダークニンジャ=サン。ニンジャスレイヤーです)
返ってくることのない世界で
終末物の醍醐味といえばまず「終わってしまったあとの世界」の描き方で、そんな世界で人間はどのような反応をみせるのかを主軸に書かれていくものだと思う。しかし本作は最初に書いたように思念と現実が入り混じってしまった新たな世界とその中で起こるイベントを書いていくことが目的だったのだろう。「終わってしまったあとの世界」というよりかは原題の通り「GONE-AWAY」つまりは「行ってしまった」変化が起こりもはや元に戻ることのない世界を描いているのだといえよう。
何が起こっても不思議ではない、何が起こるかわからないこの不可思議な世界を支えているのは饒舌な語り手で、世界を把握するのに貢献し描写自体を面白くしているのだが、場合によってはそれだけで読者は投げ出したくなってしまうだろう。というのもひとつお題がなげこまれればくだらない情報がくっついてきたり、やけに描写が綿密だったりと過剰な情報にさらされることになるからだ。
どれぐらい冗長かといえばたとえばこんな文章が普通に挿入されるのだ。
どんな状況のもとでも、攻撃の方法は無数ある(というのは、本当じゃない。無数という言葉はギリシャ語の一万から来ているが、さすがに一万もないだろう。ちなみにギリシャ語の数字表記はアルファベットを使った独特のもので、アルキメデスはずいぶん苦労したはずだ。アラビア数字を使っていたらもっと多くの優れた業績を残していたに違いない。そしてぼくたちはいまごろ空飛ぶ自動車を運転したり、家庭用核融合炉で風呂をわかしたり、ギリシャ語を話したりしているかもしれない反面、ギリシャ風の核の冬──ってどんなだ?──のもとで暮らしている可能性もある。が、それはともかく、どんな状況のもとでも、攻撃の方法はいくつかあるのだ)。
長い! そしてかっこの中のギリシャ語のくだりとか、まるで必要がない! でもこの執拗な描写を読んでった果てに存在するいくつかの武術家同士の戦闘描写や、覚悟を決めるシーン、ようは物語的に重要な場面、動きのある場面にまで至るとこの冗長さははそれはもう素晴らしい物に変質し、小説を読むことへの醍醐味を感じさせてくれる。
状況を説明する時の比喩は本来話をわかりやすく別のものに置き換えて表現するためのものだが長すぎる比喩が逆にわかりにくくしたりしている例もあったりしてむちゃくちゃなのだが、でもそれが良い。綿密に描かれていった個々のキャラクタへの心情、感情の積み重ねの描写があってこそ後にいなくなったり裏切られたりした時の面白さに転換されていくこともあって、その真価が発揮されるまでに多少時間を要するのは確かだ。
思念が現実化してしまう世界
思念が現実化してしまうというのはでもなかなか面白いアイディアだ。本来であれば現実と、我々が考えている「妄想の世界」ははっきりと区別されているものであり、世界と我々の頭のなかの隙間を埋めるような世界だといえる。ニンジャや奇天烈な武術といった過剰な道具立てもそもそもこの世界が「単なる現実ではないのですよ」という最初からのお断りだからかもしれない。日本とかどうなっちゃってるんだろうね。想像すると笑えるが。
特に触れてこなかったが「世界が終わる前」、語り手の「ぼく」と親友でなんでもこなすリーダー気質のゴンゾーとが暮らした幼き日々、恋愛事情が書かれていくパートは青春物として極上の出来でもある。何度も行われる武術戦の描写も圧巻的で、プロット自体は実は悪いやつをこらしめてやろう、ついでに愛もゲットだぜという極々オーソドックスなものだが、そこに投入されたディティールとアイディアがとんでもない量なのでまったく異質な作品だと読了後には感じるだろう。
アイディアもまったく新しいというよりかは、この特殊な世界を生み出したことによってこれまでとはまったく違った見せ方になっているのが興味深いところ。まあとにかく素晴らしいところの多々ある作品なのだが、いかんせん面白さのポイントの多くが文体にあるせいでうまいことこの青春モノとしての盛り上げ方(心情の積み重ね方)、武術戦の動きの描写が面白いかを伝えきれていないことが心残りだ。
デビュー作でこれだというのだからより洗練された2作目、3作目はきっとどんどんおもしろくなるに違いない。これも充分楽しい一作だが、今後有名になるに違いないであろう作家を今の内にチェックしておくのも悪くない。
世界が終わってしまったあとの世界で(上) (ハヤカワ文庫NV)
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世界が終わってしまったあとの世界で(下) (ハヤカワ文庫NV)
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