基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

皆勤の徒 by 酉島伝法

 僕はまっとうな科学信仰のもとに勉強を続け、成長を遂げ、鳥山明ドラゴンボールを書き、孫悟空のような主人公を造形したからといって鳥山明孫悟空のような人間だと信じるような人間ではないし、レイプ漫画を書いたエロ漫画家が実際にレイプをするような人間ではないと当たり前に考えるようになった。誰しも綺麗事をいい、まっとうな人間のようにふるまいながら頭の中に何を飼っているのかわからないのが人間というものだ。創作物は創作物であり、作家は作家である。異常な作品を書いたからといって、著者自身が異常だということには当然ながら、ならない。

 だがこの皆勤の徒を読んで思ったことは、著者には申し訳ないのだが「こんなものが頭の中に住んでいる人間には近づきたくねえ……」という畏れだった。こんな世界を頭の中に飼っている人間はいったいどんな人間なのか想像がつかないがちょっとヤバイのではないだろうか……とびびってしまう、それぐらいインパクトの強い、強烈な世界観を内包した作品である。

 なんかぐちゃぐちゃした生物、菌とか胞子みたいな生物がいるぐらいだったらいい。ああ、そういうのあるよね、ってなもんだがそれに加えて奇怪な生物が存在している世界自体がじめじめしていて、地球とは似ても似つかず、学府とか学校みたいなものが出てきて会社みたいなものが出てきて一見したところ我々の世界に近いようなデコレーションがしてあるが中身はぐちゃぐちゃどろどろのなんだか恐ろしいもので……それが全部今まで見たこともないような漢字の羅列によって描写されているとしたらどうだろうか。

 一つの世界を小説一冊分構築するというのは、実際なかなか大変なものである。キャラクタを考えればその生い立ちまで考えないといけないし、異径の生物ときたら、適当にやるならともかく徹底的にいくならその成り立ち世界の根源にまで思いを馳せねばならない。そして一日中とはいわないものの、書いている何十時間、あるいは何百時間といった間著者はその世界に入り込み、キャラクタ一人一人の内面を書き上げていくのだ。

 もちろん読者の為、入り込みやすさを考えれば、現実に近ければ近いほどいいだろう。SF小説というジャンル自体の読者人口がいまいち増えないのも、現実から遠く隔たったその距離感こそが一つの敷居となっていることは否定できまい。だがそうした常識を抜きにしても、自身が暫くの間滞在する世界なのだからそこそこ綺麗で、居心地のいい場所にしたいと思うのが人間というものではなかろうか。

 著者の酉島伝法氏がいったいどのような人間で、人格を有していて、はたまた本当に人間なのかどうかといった情報を僕は持ち合わせていないが、こんな世界を頭のなかに飼い続け、しかも小説の題材にしようとおそらくは自然に辿り着いたその自然さがどうにも恐ろしいし、それができるということはこの世界にたいしてある程度の親和性、友情みたいなものを感じているに違いなく、端的にいってそれは僕の理解の埓外にある。

 しかもなんか世界が凄く自然なんだよなあ。異質としか表現しようがないのに、明らかに一貫して、著者の中に存在している世界。優れたファンタジーを読んだ時のような、「あ、この世界はフィクションだが、実際にあるんだ」とある種矛盾した感想を持つことがあるが、そのレベルにまで達した世界構造だと思う。

 畏れが起こるほど綿密に世界観を構築し、自身による絵によって視覚的な情報で補強し、構成としては連作短編という形で少しずつ明かされていく世界観に触れていくことになる。最初の短編ほど難解で、後にいくほどその世界の成り立ち、意味が少しずつわかってくる仕組みだ。それは酉島伝法という作家も人間だったんだという気づきに繋がるよりかは、「こんなに根っこからこの世界を考えているのかうげえ……」という驚きにつながる。

 「世界をつくるってなこういうことなんだぜ」という一つの見本例だと思うのだ。それは一つにもちろん本作最大の特徴である造語という形で世界観をあらわす言葉を次から次へと作ってしまったこともあるし、そもそもそ単語という部品をつくって組み上げていく設定の謎の説得力のせいでもある。本当に外側の部分だけ我々の世界と共通する要素が残されていて、中身はまるで別物なので見慣れた単語が出てくるだけで変な笑いが出てきそうになるのだ。

 あまりに異質すぎる見本例であって、生半可に真似ができることでないだろう。気持ち悪かろうがぬめぬめしていようがねちょねちょしていようが、とにかくここには一つの世界があって、ゼロベースで世界を白紙から積み上げてきたような、「俺の世界」としての敷き詰めっぷりに感動を覚える。小説の評価尺度が「面白い」「つまらない」だけではないことを本書は教えてくれるだろう。

 しかし本編の具体的な説明を一つたりとも書いていない。といっても作品の年代的な流れ、本来的な意味での解説はすでに大森氏の名解説によって述べられてしまっているので、それを繰り返そうと思ったら全文引用するしかなくなってしまうのでここでは最後に僕個人が思った感覚的なところだけに留めておこう。

 まず驚くのはぺらぺらぺら〜と本全体をめくってみた時だ。あれ……なんだかとても面全体が黒い……ああそうか漢字が多いんだなあ……そし詳しく中をみてみると、三度見してもすぐには書けないような、人生で一度も遭遇することのないような漢字がいっぱい並んでいる。ウッ、これは……読めない!! ルビがところ狭しと並んでいる!! 校閲は大変だっただろうなあこれ……。

 小説とは言葉の芸である。まだ見たことのない経験、まだ見ぬ感情を呼び起こさせる概念の創出のためにはいくつかの方策があるだろうが、そのうちの一つは言葉そのものを新しく作ってしまうことだろう。すなわち造語である。先に書いたようにこの作品には豊富な造語がみられる。見たこともない漢字から喚起されるイメージによって経験したことのない感情が想起される。

 それはどちらかといえばすかっとした、とかさわやかな気持ちになった、というものではなくなんだかじめじめとしてぐちゃっとしてなんだかぐにゃぐにゃしたイメージになってあらわれてくる。造語を得意とする作家は幾人かすぐに思いつくが、本書は明らかに一線を画する。どこが違うのかといえば、造語は、世界に対するスパイスではなく、シンプルな物量圧迫作戦による世界の構築部品として使い尽くされている。

 なにしろ本編が始まる前、世界の歴史を語っていると思われる序章、断章からして造語のオンパレードでここだけで「ウッ」とためらってしまうひと続出だろう。

 銀河深淵に凝った降着円盤の安定周期軌道上に、巨しく透曇な球體をなす千万の胞人が密集し、群都をなしていた。その犇めきのなか、直径一万株を超える瓢形の連結胞人、<禦>と<闍>の威容があった。互いを飲み込もうと媒収をはじめて幾星霜、不自然な均衡を保つ二者の組織内部において数多の惑星の生物標本より詞配された隷重類たちが、各々属する胞人規範に基づいて働き、落命と出生を繰り返しつつ多元的な生態系を組み上げていた。

 ウゲッと思ったかもしれない。というか僕は最初これを読んで「ウゲッ読むのやめようかな……」と思った。が、さすがというかなんというか、ちゃんと読んでみれば意味がわかる(わかるように書いているんだから当たり前だが)。それどころか──ちゃんと読まなくてもだいたいイメージが伝わってくる。これはかなりすごい。よく構築された世界観故か、明らかに難解で読めるわけがねえと思うような単語の羅列でもするすると吸収されてくれるのだ。これ、結構不思議な体験。

 そして仮に一周目さっぱり意味がわからなかったとしても、二周目になるとこれが驚くほどよくわかるようになっている。知らず知らずのうちにこの異界に身体を馴らされているのだろう。だからウゲッと思っても読んでみるのをオススメしたい。もし途中でまるで意味がわからん、こりゃ無理だと思っても、とりあえずページをめくって最後までいってもらいたい。意味がわからないのになんだかすげえ、とこれまでなかったタイプの作品、異質な傑作に出会った時の感覚と通底するものが、確かに本作には存在している。

皆勤の徒 (創元日本SF叢書)

皆勤の徒 (創元日本SF叢書)