基本読書

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いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学 by センディル・ムッライナタン,エルダー・シャフィール

書名だけ見ると「時間」をどうにかする本なのかな? と思ってしまうところだが、時間や処理能力、貧乏から飢餓までを含めた「欠乏」が人間の行動にどのような影響をおよぼすかについての本である。たとえば、2日何も食べていない人間は3食きちっと摂っている人間より食事について考えるだろうし、寝てない人間は睡眠について考えるし、借金の返済が滞っている人間はそうでない人間に比べて金のことをずっと考えているだろう。マルチタスクで大量の作業をこなしている時には集中力や注意力が欠乏しているし、時間が足りなければ作業は悲しいほどおざなりになる。このように足りていない状態は明確に人の行動に影響をおよぼすものだ。

一方で欠乏が良い方向へ左右することもある。たとえば締め切り。締め切りがなければ延々とだらだらしてしまう人間であっても、締め切りがあればタスクをこなすということがある。学生への実験では、三本の小論の校正を頼んだ処締め切りに余裕があるグループと締め切りがきつくて時間不足を感じさせるように設定したグループでは後者の方が高い生産性を見せた。他にもこのような事例はいくつもあり、欠乏が心を占拠すると人は持てるものを効果的に使って成果をあげることに注意を集中することがある。

しかし一つのことに集中するとは、別のことをほったらかしにすることでもある。集中して僕はこうやって文章を書いているわけだが、その分別のことができるわけではない。アニメは見れないし漫画は読めないし、まあ音楽は聞けるけど、それぐらいだ。仕事に追われて時間が欠乏していれば仕事以外のことが自分の行動の「選択肢」に入らなくなる。または物凄くたくさんのタスクを処理しているせいで、ソフトを大量に立ち上げられたパソコンの如くのろのろとページを開くようになり、まちがった結論を出しやすくなるかもしれない。

それだけならまだしも、問題はそうした欠乏がさらなる欠乏を産む場合だ。時間がないときに、そこに追加で緊急の用件が入ってしまう。もともとぎゅうぎゅうに予定が詰まっていたら、必要な予定をのちに回して新しい用件に対応しなければいけない。あるいは全体のクォリティを落としてちゃちゃっと片付けるか。何にせよそれは次の失敗の要因となりえるし、欠乏が欠乏が産むサイクルに入るのはたいていこうした余裕のなさが後の余裕のなさを産むパターンだろう。しかし時間がない、カネがない、あんまり寝ていないというのは、一旦解消されてしまえばそれで終わりだ。そこからは余裕を持って線をひきなおす、あるいは資産運用をしてまっとうなスケジュールに戻せばいい。

だがなかなかそうもいかない。確かに一瞬は戻るかもしれないが、またどこかでヘマをして時間に余裕がなくなる、あるいは金がなくなるなど「欠乏」が起こると、またこのサイクルにハマりこんでいく。だから必要なのはヘマをしても大丈夫なだけのバッファ、余裕なのだ。何を当たり前のことを、毎日十キロ走ったら痩せます! 簡単でしょう? と言っているようなものだぞ、欠乏に陥らないためには欠乏に陥らない為の余裕をもてだなんてと思うが、まあでもそれしかないよね。絶対に遅れたくない待ち合わせがあるんだったら、歩いてでも間に合う時間に出るしかない。それでも自分が事故る危険性はあるわけだが。

もっとも余裕がありすぎると、それはそれでのんべんだらりとしてしまって作業効率が悪くなったり、金がありあまっていると効率の悪い使い方をするようになってしまう。だから求められているのは「無条件で大量の余裕を与えること」ではなく適切なタイミングで適切な分量の余裕を与えること、というえらく難しいバランスだ。それがすぐに出来るかといえばなかなか出来ないし、そもそもどのような対処があるのか、どんなことが「欠乏」するのかと一人で考えて対処するのもなかなか手間である。そういう意味で本書はめっぽう有用だ。処理能力がどのようなときに欠乏するのかを教えてくれるし、人が自分自身の能力や計画に対して「楽観的になる傾向がある」ことも教えてくれる。個人から組織に至るまでの具体的な対処法まで。

これを読みながら「余裕」について実体験含めて考えることもあった。僕は昨年はあんまり働かない年にしようと思って、仕事を調整して数ヶ月ぐらいぶらぶらと普段したことのないことをして、だらだらし尽くすという本当に無駄な時間を過ごしていた。それが今になって撒いた種が芽吹いてきているのを感じる。どれぐらい無駄なことをしていたかといえば、起きた後四時間ぐらい寝っ転がって犬をなでたまま過ごしていたり、毎日1時間以上散歩したり、プールにかよってみたり、面白くもないニコニコ生放送を垂れ流していたり、動画を片っ端からみていたり、ブログに力を入れてみたりとまあいろいろだ。

でもそのおかげかブログの質はその前と比べるとその時は高く出来たし、そこから仕事の依頼もきた(けどこれは質が上がったからというよりかは、前からの積み重ねによってだけど)。無駄にだらだらと実況動画を観ているうちに自分でも動画をつくってみたくなって今は自分でボイスロイドのSF入門動画なんかをつくっている。これなんかは、だらだらと過ごした日々があったからこそやろうと思ったもので、普通に仕事をしていたら見向きもしなかったはずだ。そして日が落ちていく17時ぐらいに、ぶらぶらと散歩をしながら夕陽と風で揺らぐ木々のコントラストを綺麗だなあと思いながら眺める日常が、「何があってもここに戻ってくればそれはまあ幸せかな」と心底実感させてくれるものだった。

そういう何があってもここに戻ってくれば自分は大丈夫だぞと思える場所の存在って、存外人間のことを強く、可能性を広くするものなのではないだろうか。仕事をしている時ってやっぱりそれが生活の中心になってしまうし、そこでの成否が大きく自分にダイレクトに返ってくる。だから失敗するとずいぶん落ち込むし、失敗しないまでもそこに懐疑があると本当にここにいてもいいのかな……と不安もつのってくる。でも本来はもっと広いレンジで可能性があって、たとえば一人でのんびり森のなかを歩くだけの生活でも、そこには確かに幸せがあるのだと気がつける人と、仕事にしか自分の可能性はないんだと思い込んでいる人では、生きることへの余裕が違うと思う。

時間にしろ貧乏にしろ何かが欠乏しているということは、そこに意識と労力を投入せざるを得ないということであって、それ以外の可能性を検討もしないで切り捨てていることにあたる。朝九時には会社の席にいないといけないのであれば、朝八時に起きて犬を一時間もふもふしている余裕ははなから切り捨てられているのだから。だからこそ時には、時間も金もあまり気にせずに、何にも追い立てられずに一見したところ無駄の極みでしかないことをやってみることで、思いがけない「次」に繋がるものなのだ。最後に自分語りになってしまったが、良いもんですよ、欠乏していない、豊かな状態って。お金はなかなかコントロールできないけど、時間ならなんとかなる人もいるのでは。

いつも「時間がない」あなたに:欠乏の行動経済学

いつも「時間がない」あなたに:欠乏の行動経済学

  • 作者: センディル・ムッライナタン,エルダー・シャフィール,大田直子
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2015/02/20
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