基本読書

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「作戦検討型」能力バトル物の極北──『悲録伝』

物語シリーズが『終物語』なんていういかにも終わります的な書名が出てきたにも終わらず、『続・終物語』が出ても尚終わらなかった時に「ああ、この世に絶対なんてものはないんだし、西尾維新はその類まれな執筆速度と引き換えに神は物語を終わらせる能力をロストさせてしまったのだ。エネルギーは拡散し物事はすべてトレードオフ、それこそは自然の摂理也」と思ったものだったがそれにしたってこの悲痛伝から始まる四国編がここまで長引くとはいったい誰が想像できただろうか。読み終えた時にどんな感想よりも真っ先に「ようやく終わった……」「本当に終わった……??」と疑心暗鬼になるほど終わらない物語とはいったいなんなんだ。

いきなりこの記事から読み出している人間の為に一応説明しておくと、この『悲録伝』は悲業伝より始まる西尾維新さんによる伝説シリーズの最新刊である。これまで出てきた作品についても一応一冊ずつ書いてはいる。僕も暇人である。どういう話かといえば、突然地球が悲鳴をあげて人類が3分の1も死んじまってなんか地球人そっくりな地球のバグみたいなのが出てたまに悲鳴が起きて人類はまた死ぬし、なんか近いうちにまた凄いのがくるらしいよみたいなのがあってなんとかして地球を倒さねば、生きねばみたいな話だ。
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そしてこの『悲録伝』において、悲痛伝から延々延々延々と続いていた四国・魔法少女編が終わったのであった。魔法少女編とは何かといえば、軽く説明しておこう。この世界は科学の力において火を操る能力者とかそんなようなやつらが能力バトルを繰り返しているような世界観なのだが、それの魔法版、を四国で、デスゲームをやろうというまあそれだけの話を延々とやっているわけだ。魔法少女はもちろん少女であり、魔法のステッキを持っており、魔法が服もふりふりのものを着込んで空を飛んだり気配を消したり死人を生き返らせたりする、それぞれ固有の能力がある。それがある日四国に誰も入れないし、誰も出てこなくなってしまった。主人公の空々空が侵入を試みると、そこはルールに抵触すると即死が待つ上に魔法少女が跳びまわり殺したり殺されたりを繰り返しているデス・ゲームな世界観であった──。とかそんなかんじよ。

それがようやく五巻を費やして終わったわけであって──いやあ、長かった。長かったけど、確かに面白かった。これはそうまとめざるをえない。ここでいったん四国・魔法少女編について総括でも書いておきましょうか。ネタバレもできるだけしないように。

この四国・魔法少女編を一言であらわすなら西尾維新版能力バトル物の極北──といったあたりになるだろうと思う。能力バトル物と一言でいってもそこには様々なパターンがある。時を止める、あるいは場所を入れ替えるなどのロジックを中心とした能力バトル物もあれば、ただ火が出るとか水が出せるなどのシンプルなものもある。自分からぺらぺらと能力を解説してしまうような物もあれば、相手の能力は「いったいぜんたいなんなのか」を推測し、その成否が自身の生存をわけるかのような能力バトル物もある。

そのそれぞれに魅力があるわけだけれども、さっき書いたように本作が突き詰めている、極北とはなんなのかと言えば「作戦検討する能力バトル物」の部分だろう。何しろ本作も中程まできたところで自虐的に語られるようにとにかく作戦検討が長い。長すぎると言ってもいいぐらいだ。

こうして、長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い、議事録が。
文字数にして十二万文字を超える、二段組の単行本にして二百ページに迫る──チーム空々の最初で最後のミーティングが、遂に終了したのだった。

でもまあこんな暴挙ができるのも今をときめき、輝く西尾維新あってのことだろう。他の作家がやったら問答無用で削られてしまうか、そもそも面白く書けない。で、僕は能力バトル物の中でもこの「作戦検討」が大好きだ。実際のバトルなんかどうでもいいぐらいには、この「作戦検討」の部分が好きだといってもいい。それは現実にはありえない状況を元に組み立てる思考実験のようなものであり、相手の能力とは何なのかを推測し、こちらの手持ちの戦力を慎重に検討しながらどのような組み合わせパターンがあり得るかを検討していくパズルのようなものだ。そこには多くの不確定要素がからむ。もちろんだ。

何しろ地形効果もあれば気候変動もあり、さらにいえばチェスや将棋のようにお互いのコマが全部見えた状態で戦うわけではない。相手に突如援軍が現れるかもしれないしこちらに突如援軍が現れるかもしれない。交渉次第では相手の戦力をこちら側に引き寄せられるかもしれないし、あるいは敵の仲違いを誘発できるかもしれないし、その逆にこちら側で目的の不一致からくる仲間割れが発生する危険性もある──そうした不確定ゲーム極まりない状況下から一筋の巧妙、戦略を決め自身の生存確率をあげるためにあーでもないこーでもないと考えるのが能力バトル物の「作戦検討」であるべきだ、あってほしい。そしてもちろんこれはボードゲームでもなければテレビゲームでもないのだから「勝利条件」すら自分で決めてもいいのであり、それがまたゲーム性を根底から覆していくことになる。

勝負は始まる前には終わっているとむかしのえらいひとは言ったが──、そうであるならば、勝負の本当に面白い部分はまさにその「始まる前」の部分にあるのではなかろうか。もちろん、戦闘描写が面白い小説もたくさんあることはたしかにせよ。それに作戦検討の面白さは、「よし、これでいけるんじゃないの?」とちょっとした楽観を手にしたあと、それが笑っちゃうぐらい簡単に覆されていくところにもある。能力バトル物と一言でいっても、そこはなかなか奥が深いものだ。引用したところからもわかる通り、本作は延々と考え続け、勝利条件を設定し、敵戦力と味方戦力を仔細に分析し、扇動、囮、不和の誘発、自軍の離散の阻止とチーム戦能力バトル物における当然想定し対処されうる事態に隅から隅まで思考の渦を広げてくれている。西尾維新版能力バトルの極致と書いたが、これこそまさに僕が求めていた「作戦検討をはちゃめちゃに重視した能力バトル物」である。

読み終えた時は「ようやく終わってくれた……」という感想が真っ先に出てきてしまうぐらい長かったが、でもそれと同時に読みたかったものが現出してくれた喜びも同時に沸き起こってきている。素晴らしい、ブラボーである。よくぞやってくれた!だが一方で──やっぱり長すぎるよ!? どう考えても長過ぎる! めちゃくちゃ楽しませてもらったけど、こんなに長くちゃ人には薦められん。それでもいい! そんな能力バトル物が読みたかった! なんて人がいれば──これはもう運命の出会いというものだろう。

悲録伝 (講談社ノベルス)

悲録伝 (講談社ノベルス)