シャーロック・ホームズの冒険 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫 ト 1-12)
- 作者: アーサー・コナン・ドイル,大久保康雄
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2015/04
- メディア: 新書
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シャーロック・ホームズの冒険 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫 ト 1-13)
- 作者: アーサー・コナン・ドイル,大久保康雄
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2015/04
- メディア: 新書
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映画やドラマの出来は非常に良いですね。僕は映画は一作、ドラマは一話か見たぐらいでぜんぜんついていけていないわけですけれども、ウマく現代的にアップデートをかけてエンタメ化している部分も原作の拡大解釈、延長線上にあるもので原作愛も感じられる。何より真っ当に面白いものだ。妙にワトソンとシャーロック・ホームズの関係が近すぎると思う部分もあれど、こうして短篇集である本書を読んでいると(随分前にホームズ物は一通り読んだから再読になる)、ああ、なんか別に原作もそう大差ねえなと思わせる名コンビっぷりだったので違和感も消えた。
本書『シャーロック・ホームズの冒険』は、長編ではなく短篇集である。上巻と下巻にそれぞれ6編ずつ短編が入っており、合計12編の短編が楽しめる。もちろんそれぞれ出来はまちまちだが(個人の好みもあるだろう)、コナン・ドイル自身が1927年に自選ベスト12作の1位『まだらの紐』と2位『赤毛連盟』のどちらも収録されているなど傑作揃いではある。僕としてはやっぱり『シャーロック・ホームズにとっては、彼女はいつも「あの女」だ。』という印象的な一文からはじまる『ボヘミア国王の醜聞』が最初に入っているのが印象深い。この短編の中でホームズは見事「あの女」──アイリーン・アドラーに出し抜かれる。だが「出し抜かれた」という事実以上に、決断力に優れリスクを厭わず大胆に行動する、魅力的なアイリーン・アドラーの描き方が強く印象に残る作品だ。
短編は連載として書かれていたこともあって、けっこうパターン化している。依頼人がホームズのところに不可思議な謎、事件を持ってきて、ホームズはこいつは面白くなってきたぜとばかりに事件に首をつっこんでいく。どれも30〜40ページぐらいなもんだから、スピーディに展開し、あれよあれよという間にホームズは事件の謎を解き明かし、最後にこれこれこういうことだったんだよ、とすっきりするオチがついて終わる。別に殺人事件だけではなく、「むかしちょっと遊んだ女と撮った写真を脅しに使われてるんだけどどうしよう」とか、「赤毛の人間を募集して凄く簡単な仕事を依頼されてやってたんだけど突然依頼主が消えたんだけどなんでだろう」とか、日常の事件が多い(比率を数えてないけど)。
時を経て古びる部分、古びない部分
長編が初めて書かれたのが1887年であり、まあ100年以上昔の小説であるにも関わらず今読んでも時の劣化をほとんど感じさせないのが凄い。僕はいまハヤカワ文庫補完計画全レビューという割合無茶な企画をやっていて、一応企画で共通した視点として「いま読んでも面白いのか」は常に盛り込もうと思っている。それで粛々と読んでいくと、小説は「古びる部分と古びない部分があるんだなあ」というのが実感として分かってきた。シャーロック・ホームズを例にとって現時点での考えを書き残してみようか。
まずストーリー、プロット、筋書き、これは太古の昔からパターンが決まっているのでそうそう古びるものではない。むしろ新しいものであっても古いといえるかもしれない。また、当時の常識や価値観、知識量が現代と大きく異なっている場合、それもまた古びてしまう部分だろう。シャーロック・ホームズには当然ながら携帯電話なんてないし、科学捜査だって今ほどは進歩していない。これについては、歴史小説として読むように移行していくから、そう問題ではないように思う。次にアイディアだが、これは古びる。というよりかは、斬新で面白いアイディアであればあるほど後世に続々とアップデートをかけ、洗練させるフォロワーが現れるので、フォロワー作品の方が現代的で面白い! とか、既に衝撃を他の作品で味わってしまっているために「ああ、このパターンか」と最初の衝撃が消えていることがある。『幼年期の終わり』を出たばかりの頃に読んだ人と、現代SFを読みあさった後で読んだ場合とでは衝撃が異なるだろう。
逆に滅びないのはなんだろうか? といえば、まずは描写そのものだ。たとえアイディア自体はのちのフォロワー達によってさんざん使い古されたとしても、演出の仕方、あるいは綿密な描写それ自体は唯一絶対のものとして面白さが立ち上ってくる。シャーロック・ホームズでいえば、ホームズが自身の場所にやってきた客(ワトソン含む)の服装や身体情報からその日何を食べてどんな思惑があってきたのか、職業まで当ててしまう観察能力がある。このアイディア自体はのちにパクられまくっているが、ホームズがゆったりとさも当然のようにそれを指摘していく描写(とその「もっともらしさ」)の部分はやはりシャーロック・ホームズシリーズがいまだに頂点だろうと思う(いや、しらんけど)。
そしてこれがホームズの場合でいえばもっとも「今なお受け継がれる価値」としての割合が大きいだろう「キャラクター」もまた古びないものだ。もちろん元祖ツンデレ等のような極度に類型化されたものはまた違うのだろうが、言ってしまえば「人間そのもの」の仕組み自体は何千年も変わらないので、これは古びない(部分が多い)。今読んでもシャーロック・ホームズというキャラクタは魅力として完成されている。どこか砕けていて、女性に敬意を払い、金や名誉にはこだわらず面白そうな事件こそに積極的に関与していく。決して完璧なだけではない、むしろそれを補ってあまりある(という表現はおかしいが)彼のダメさというか、抜けている部分までも含めて生き生きとえがかれている。
彼は、問題が未解決のまま胸につかえていると、何日でも、何週間でも、その問題をくりかえし考察し、事実の配列を変えてみたり、あらゆる観点から検討したりして、ついに真相をつきとめるか、あるいは解決するにはまだ材料不足だと自分で納得するまでは、休まずがんばりつづける男なのだ。この夜も、彼が徹夜を覚悟していることは、私にはすぐにわかった。彼は上衣とチョッキをぬぎ、大きな青い化粧着を着た。それから部屋じゅうをあちこち歩きまわって、ベッドからは枕を、ソファや肘掛椅子からはクッションを集めてきた。そして、これらの品を材料にして、東洋の寝椅子風のものをつくり、その上にあぐらをかいて、膝の前に一オンス入りの強い刻み煙草とマッチ箱をおいた。愛用のブライヤのパイプをくわえ、放心したように天井の一角を見すえ、鷲のように鋭い顔つきで、ものも言わず、身動きもせずに紫煙を吐きつづける彼の姿が、ほの暗いランプの光の中に見えた。そのうち、いつしか私は眠りに落ちた。
シャーロック・ホームズが何を言ったか、だけでなく何を、どのような姿勢で吸っているのかというそこまで含めてビシっとキャラクターとして成立している。もちろん謎の面白さとか、そこに理屈を通していく快感とか、面白い部分はいくらでもあるんだけど、やっぱりこのキャラクターの魅力があるからこそ時代を超えて受け継がれていくんだろうなあと思わせる短篇集だ。僕がいっても「はいはい」という感じになってしまうがホームズ専門家である解説の北原さんも『取り敢えずシャーロック・ホームズを一冊読んでみたい、という人には、『冒険』をオススメすることにしている』と言っているから、興味がある人はここを入り口にしてもいいと思うです。