主にライトノベル・レーベルで活躍する石川博品さんだが同人誌で出した四人姉妹百合物帳を星海社文庫から出したことが縁になったのか、星海社から続けて本を出すことになったようだ。それが本書『明日の狩りの詞の』。なんと宇宙人が地球にやってきた以後の世界で、外来宇宙生物のハンティングを描く近未来「青春狩猟」物語。 著者ブログによるとこれも既に書き上げたもののどこも拾い上げてくれなかったのを星海社が拾ってくれたパターンなので石川博品のおしゃべりブログ: 新作が発売されます 書き下ろしではなさそうなのだが、百合の次がSFと随分挑戦的なラインナップだ。
- 作者: 石川博品,まごまご
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/05/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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簡単なあらすじ
西暦2035年の東京近郊が舞台。惑星ヘロンからやってきた宇宙人たち。彼らは冬眠状態の自惑星生命体を詰め込んだ隕石を東京湾に叩き落とし、東京は一気に外来宇宙生物の巣へと変貌してしまう。当然ながら落下した場所から周囲30キロメートルは封鎖区域となっている。物語の主人公である西山リョートは、そんな封鎖区域の端っこで狩りを楽しんでいるちょっと特殊な高校生だ。ヘロン製の銃と、ヘロン製のロボットを携え、不登校高校生の久根ククミと共にしょっちゅう学校をサボって外来宇宙生物狩りに出る。真っ当なルートからは外れているかもしれないが、これはこれで一つの青春の形だ。
似た題材の作品群
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- 出版社/メーカー: KADOKAWA/エンターブレイン
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一方本書はまさに現実における「狩猟」のSF版だ。何しろ末尾の参考文献には実に30冊もの狩猟や料理、ワイズマンの『人類が消えた世界』まで多様な資料が挙げられている。獲物を追いかける描写だけでなく、捌くときの難点から、狩猟にはつきもののおまじないというか、ゲン担ぎというか、迷信まで含めてきっちりと書かれていくので単純に狩猟小説として読んでも面白い。下記はギンツバメと呼ばれる架空の生物(検索したところ同名の蝶が現実にはいるが、それとは別物)をさばいているところだが、手順が細かく描写されていてわくわくする。
肝臓は地球の生物と機能がちがうようだが、要するにレバーだ。食える方のバケツに入れるが、そこにくっついている胆嚢は食えない。食えないどころか、中に苦い胆汁がつまっていて、誤って皮を破ると苦いのが肉についてしまうので要注意だ。
腸と膀胱も扱いが難しい。中身が肉についたら食えなくなる。まず、体の外側から総排泄口の周囲にぐるりと切れ目を入れる。ギンツバメは地球の鳥と同じで穴がひとつしかない。哺乳動物であることは腹に乳首がついていることから推定できるので、そうするとカモノハシとかと同じ単孔類ってことになる。
だから近いといえばむしろ現実の狩猟生活を描いている山賊ダイアリーの方だ。イノシシの足跡を追い、罠を仕掛け、クマに怯え。うまくいかない時期が続いたり、逆に狩れすぎちゃって肉が食べきれないし配りきれないほどとれたりする。そしてうまくいった時はちゃーんと仕留めた動物を家に持って帰って、捌く! 狩猟における一つ一つのトライアンドエラーがきっちり書き込まれているのが面白い漫画がこの山賊ダイアリーという漫画といえるだろう。huyukiitoichi.hatenadiary.jp
話が別作品にそれてしまった。山賊ダイアリーと違って、本書ではこの世界には存在しない生物を狩る。六本足の生物がいれば狩り方は当然鹿やイノシシとは変わってくる。危険なものになると人間の声真似をしておびき寄せるなんかそういう妖怪いたよなみたいなのまで、様々に出現する。熊レベルに人間の命をおびやかす危険のある大物は、中心の方まで行かなければあまり存在しないようだが、それでもまだまだ未知の生き物だから、気が抜けるものでもない。
物語的に大きく動き出すのは、この中心へと「一狩り行こうぜ!」となった時。フロン人の一人が、大人になるための通過儀礼という名目でリョートに一狩り行こうぜ! と声をかける。主人公のリョートとコンビのククミ、それから狩猟の最中に出会ったフロン製の美少女アンドロイド二人組、宇宙人でチームを組み、東京の中心地に存在する大物に挑むことになるのだが──。
SFとしての『明日の狩りの詞の』
外来宇宙生物とか、宇宙人とかが当たり前のようにいるので、理屈付けだったり未来社会の描写の部分がSFとして面白いわけではない(ところどころ凝ってて面白いけど)。ロボットは当たり前のように出てきて、フロン人含め彼らはごくごく普通の人間っぽい反応をかえす(ロボット・アンドロイドの中身は当然AIだが)。僕は普段だと「人間とは本質的に異なるはずのロボットや宇宙人になんで人間っぽい反応をさせるわけ? イミワカンナーイ」と嫌な気になることが多いのだが、今回は特に気にならなかった。それは一応分析するなら、意識がどうたらといったところはまったく問題として俎上に上がらないからだろう。全くなんの説明もなく非常に人間っぽく喜怒哀楽を表現し、くだらないギャグも飛ばす描写が書かれていくから、そういうもんなんだろうと納得してしまう。
逆に面白いのはこうした設定が主人公らの青春模様や人生設計を嫌でも狂わせて葛藤につながっていくこと。たとえばヘロンは地球側の混乱を避ける為に技術をすべて地球側に明かしているわけではない。自分たちの星に地球人がくることも許していない。しかしその技術を明かさない期間は五年後には終わることになっていて、当然ながら超技術が地球に入ってきたら幾つもの産業がなくなってしまうだろう。そんな時代に高校生をやっていて、大学を卒業する頃には産業のあり方が一変しているとしたら「目標を見据えてなにかやることになんか意味があるわけ?」と考えるのも仕方が無い。
そうはいっても未来はやってくるわけで。学校サボって狩りばっかやってるけど、将来プロのハンターにでもなるつもりなの? と先生にいわれ『楽しいことを真剣にやって何がいけないんだ』と思うものの返答としては「いやまあ、プロとかは……」という返答に収まらないわけにはいかない。現実でもプロのハンターなんていうのは一握りで殆どは趣味の部類だろう。「楽しいからやっているだけだ」で自分で稼いで生活している大人なら文句を言われる筋合いはないが、学生の時分では将来を決めそこに向けて勉強をすることを求められるものだ。それにしたってフロン人の技術もあるだろうし、将来が決められねえよな……というのが葛藤として「狩猟」のテーマにつながってくる。
「狩猟」なんてものはただでさえうまくいかないものだ。まず天気に作用されるし、そもそも自律的な意思を持って動き続けている生物を狩るのだから、そこには必然的に運の要素が絡んでくる。イノシシを取ろうと思って罠を仕掛けても、そこにはたぬきがかかっていたりする。腕立てを一日五十回しようといえば自分の努力次第でいくらでも出来るが、今日○○を狩ろうはいくら努力したところで達成されるかはわからない。それにしたって完全な運任せでもなく、警戒心の強い相手に、いかにして気付かれずに近寄るか、危険な生物を相手に、いかにしてハメられずに逃げるか、六本足の獲物を狩る時に、追い詰めるのは坂の上がいいのか坂下がいいのか。トライ・アンド・エラーを繰り返す中で、少しずつリョートも狩りのなんたるかを学習していくことになる。
木の下陰はひんやりしてるが、一日歩いた疲れが体の奥で埋み火みたいにとろとろ燃えている。口の中で融けるチョコレートがとても甘く感じられる。鳥のニオはのんきにひなたぼっこしている。岸から島まで三〇メートル。銃で狙えば楽に当てられる距離だが、射止めた獲物の回収は難しい。
世界は俺の尺に合わせて作られてはいなくて、いつももどかしいが、それでいい。何もかも平坦できっちり陳列され、何でも手に入れられるようにみせかけるのよりずっとわかりやすい。
「世界は俺の尺に合わせて作られてはいなくて、いつももどかしいが、それでいい。」という単純な事実に、狩猟をする上で彼は何度も直面することになる。それこそが狩猟の醍醐味、楽しさだといえるのかもしれない。もちろんそれだけではなく、狩猟というもののうまくいかなさを一つ一つ乗り越えて、勝利と戦利品──うまい肉を手に入れて帰った時に、やってやったぞ、というささやかな達成感と、一人では食べきることの出来ない肉を振る舞った周囲の人々の笑顔がそこにはうまれることになる。そこまで含めて本書には、存分に狩猟の醍醐味が敷き詰められている。
彼がどのように思い、行動しようがフロン人は五年後地球に技術を伝えるだろうし、社会は彼に学生としての当たり前の行動をとれと迫ってくる。狩猟とは違って、彼はなかなかそんな状況に「それでいい」とはいえないが、だからこそ狩猟を通して先の見えない、不確定な青春時代の葛藤をどう泳ぎきるのか──と繋がっていくようにも思う。まさに「青春狩猟」物語だ。
余談
ちなみに本書は話として一区切りついているものの、いくらでも話を続けられそうな構成になっているので続刊が楽しみ。石川ヒロインはわりと○○じゃね、とかいわゆる女の子喋りみたいなものを排したぶっきらぼうな喋りが多くて好きだが、メインヒロインのククミは狩猟をすることもあってダウンジャケットにスウェットパンツにニット帽という服装も含めて素晴らしい。イラストのまごまごさんも星海社の至道流星作品が立て続けに終わってしまって仕事の区切りがついてしまった感じなのでまた描き続けてもらいたいところだ(イラストが個人的に好き)。