2000年前の人間も現代の人間もやっていることや快感を得る手段はそう対して変わらない。恋をして家族をつくって子供を産んで時に争って未来に戸惑う。そうはいっても時代も場所も移り変わればそうした一つ一つの出来事はまったく形をかえて個々人に起こりうる。本作は1975年から始まる台湾を舞台にした青春物語と一言でいえばそうなるが、当時の台湾の文化圏とはいったいどのようなものだったのかを「こんなのモデルがいなけりゃ絶対書けないだろう」と思うところまで生き生きと描いている。何しろ著者は台湾生まれの日本育ちで言葉はどちらも堪能らしくこの小説にも著者が見聞きした実体験が多く含まれているようだ。日刊ゲンダイ|台湾が舞台の長編小説「流」を上梓 東山彰良氏に聞く
- 作者: 東山彰良
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2015/05/13
- メディア: 単行本
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ただこれもおおまかな流れの基底として流れているだけで、彼だって多感な17歳だから恋もするし、学校にも行くし、喧嘩もするし、時代もあるから兵役のことも考えなければならない。復讐ばかりしているわけにはいかないので、それらが全て作品内には盛り込まれていく。『流』というタイトルはまるで彼の人生を表しているようでもあるし、彼以上にもっと激しい人生を送った祖父のことを表しているようでもあるし、時代の荒波にもまれ続けて変転を続けた台湾のことを表しているようにも思う。結局、どれか特定のものを表しているわけではないのだろう。時代が大きく変わりつつある時に、国だろうが個人だろうが、その影響を免れえはしない。
エピソードのおもしろさ
とにかく平然と父や母は彼の事を鞭打ちにするし、祖父やらその兄弟分は死線をくぐり抜けて何十人も殺してきているような輩だから今のような常識がまったく通用しない。倫理観やルールの整備もまだまだな時代だ。それは主人公だって同じことで、地元でもなかなかの有名校にいたのに、幼なじみに説得され、他人の為に替え玉受験をしてやることになる。しかし呆気無くバレて、学校は退学になりバカな高校へ編入することに。誘ってきた幼なじみは既にヤクザの盃を受け、偽造の診断書によって徴兵逃れに成功しているような悪党だからバレたところで痛手はない。主人公は別段普通の男だから完全にとばっちりを喰らっている。
バカな高校に編入するだけですむんだったらいいじゃねえかと思うかもしれないが、これが昔の少年マガジンに連載していた喧嘩に明け暮れるヤンキー校みたいなところで、その高校の制服を着ているだけで喧嘩をふっかけられる、適当な難癖で喧嘩をふっかけられだれかがやられたらそいつの背後に控えているありとあらゆる勢力がしゃしゃり出てくる構造など「あーそれヤンキー漫画でみたわー、今日から俺はとかカメレオンで読んだわー」と思うほかない有様。覚悟を示すために自分の足に刀をぶっ刺すなどして男を示すと相手が引くなど、謎の覚悟のキメ合いが満載で、でも実際にそんな状況が(たぶん、きっと)あったんだろうなあと思うと笑えない状況だが笑えてくる。
本書はそうしたおもしろエピソードが満載だ。事故の時に主人公だけが目撃した女幽霊、その後なぜか彼の周囲には助けてというメッセージと同時にゴキブリが家に大発生する(意味がわからない)。すべて掃除するのにちりとりが5回一杯になったというほどに大量発生したゴキブリに「あわあわあわあわ!」と慌てまくる主人公があまりにも哀れで、それを呆気無く片付けていく祖母の強さよ。あまりにも大量発生したゴキブリを日本のゴキブリホイホイで一掃したと思ったがゴキブリが多すぎて──というシーンなど読んでいて背筋がぞっとした。
主人公の母親が、妹を連れて森を歩いていた時に遭遇した虎へ向かって「いまはやめて」と言ったら、虎が引き返していった話など、話の本筋には特に関係のなさそうなエピソードの一つ一つがとても現実にあったこととは思えない幻想的な雰囲気を積み上げていく。もちろん、それがあったかどうかなんて誰にもわからないのである。嘘だったなんてことはないにしても、思い込みだったり夢だったりということはいくらでもありうる。祖父も、何度も死線を狐火によって救われたと証言しているが、そういう体験がもっと身近で、受け入れやすい時代と環境だったのだろう。現実には起こりえないことが日常的な物事と融合して、違和感なく語られていくような作品のことを(たぶん)マジックリアリズムというが、台湾版マジックリアリズム小説とでもいうような不可思議さが日常と同居している。
エピソードはすべてが特異で面白いのだが、一つ一つ取り上げても仕方がないのでここいらでやめておこう。この後主人公は軍学校に所属したり、逃げ出したり、兵役についたり、はじめての彼女ができて夜の植物園でいちゃいちゃするために空きスペースを探して何周もしたりといろんなエピソードが続いていく。一読したところとりとめのなささえも感じるエピソード群だが、不思議と統一感を感じるのは、これらが当時の「時代を取り巻く空気そのもの」を描こうとしているからかもしれない。下記は、主人公が中国に祖父絡みで行った時に、祖父の兄弟分である馬爺爺と交わされた会話だが、当時の時代性を反映させている部分でぐっとくる。
どうして祖父と兄弟分になったのかと尋ねると、馬爺爺は餃子を口に放りこみながらこう答えた。
「ガキのころから知っとるし、まあ、おまえのじいさんとおったら食いっぱぐれることはなかったからなあ」
李爺爺や郭爺爺からさんざん聞かされて知っていたけれど、食うことと命をあずけることはおなじことなのだと、このときあらためて腑に落ちた。祖父たちは、いっしょに食うこと、ちゃんと食うことに大きな意味があった時代に生き、そのために命を張ったのだ。
恨みがあって、それに対する復讐の心があった、大きな悲恋と、そこからの時間をかけた回復があった。戦争があって、台湾は日本の統治から離れつらい時代がはじまった、彼と家族の人生は戦争や当時の環境や文化に大きく左右され、個人のエピソードと、歴史的な出来事が復層的に物語に厚みを加えていく。善悪の判断を超え、単純な歴史への諦観ともまた違った──「ただ、それは起こったことなんだ」という単純な事実が本書に言い知れない凄味を与えているように思う。
台湾の一時代を生きた家族を切り取った作品として、これ以上ない作品。一時間以上考えこんでみたが、僕にはこれ以上この作品を表す言葉が思いつくような気がしない。抜身で、当時の人々の人生がそのまま投入されているかのような圧倒的な生々しさに、読み終えた時に出てきた感想はただ一言、「圧巻」である。