基本読書

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泰平ヨンの未来学会議〔改訳版〕 by スタニスワフ・レム

ほとんど改行なく文章が敷き詰められ、状況は常に動き続け人間はカタストロフの渦へと突き落とされていく。

本書『泰平ヨンの未来学会議』は泰平ヨンを主人公としたシリーズの三作目にしてはじめての長編(場合によっては中編)にあたるが、ここから読んでも何の問題もない。ちなみになぜ突然改訳版が出たのかといえばご盛況なハヤカワ文庫補完計画の一環として──ではなく、本書を原作とした『コングレス未来学会議』という映画が近々公開するからそれにあわせての刊行になる。一人称の我輩が私になるなど、改訳とはいってもちょっと読み比べただけでも随分たくさん手が加えられており決定版にふさわしい出来。

最近はスタニスワフ・レム・コレクションシリーズで八年ぶりの新刊がでた『短編ベスト10』が出たり、原語であるポーランド語からの翻訳である『ソラリス』が文庫落ちするなどなぜかレムづいている。

泰平ヨンの未来学会議〔改訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

泰平ヨンの未来学会議〔改訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

スタニスワフ・レムというのが一般的にどのようなイメージなのかはよくわからないが本書で表出してくるのは無尽蔵に投入される笑ってしまうほど法螺話とそれを裏付ける気持ちの良い理屈。バカバカしいというほかない壮大なホラを吹きながらもあ、それはありうるかもしれぬとどこか思わせてくる二段構えでひとしきり笑い、唖然としながらも同時に感動が沸き起こってくるような爽快感に繋がっている。

簡単なあらすじ

物語はコスタリカで開かれるとどまるところを知らない人口増加を食い止めるための第八回世界未来学会議からはじまる。無理やり役目を押し付けられた泰平ヨンがコスタリカにいってみればそこはテロが日常茶飯事で外交官より未来学者の方が多く人口増加を食い止める意見も到底まともなものではありえない狂いに狂いきった環境だ。まあ泰平ヨンは別シリーズ作品にていつでもどこでもおかしな場所、おかしな文化に遭遇し続けているから今更おかしくはないのだがそれにしたって人口増加を抑制する手段の提案がひどい。

アメリカ代表団のノーマン・ユーハスが発言し、爆発的に激増する人口を食い止める七つの異なった対策を提案した。その方法とはつまり、広報活動と警察権力による禁欲、色情除去装置、強制的妻帯禁止、自慰奨励、男色の督励、およびそれに従わないものに関しては、去勢措置をとることだった。

アメリカ人に強い悪意がありそうだ。この発言を受けて傍聴席から会議場に火炎びんを投げ込む人間がいて手早く(予期していた)保安隊員たちが阻止=殺害を行なうなどまあ何もかもが手早く、どんどん混沌へ向かって物語は突き進んでいく。その後会議場には過激派のテロが発生し、それを制圧するために打ち込まれた誘愛弾や幻覚薬物によって泰平ヨンらはラリラリにラリっていってしまう。それだけならまだしも逃げ込んだ先の下水道でボコボコにされ、ボロボロになった身体をたまたま空いていた過激派の重要人物と入れ替えられ、目が覚めた病院では深刻な幻覚症状による処置の先送り──冬眠処置が有無をいわさず決定され眠りにつく。 無。

未来世界の描写

あらゆることがまったくよどみなく描写されていくのでかわいそうだとか思う暇もなくジェットコースター的に泰平ヨンは2039年の未来へとたどり着いてしまう。あれよあれよというまに進行してきてしまった本書の読みどころといえば、レムがいったい2039年という世界・社会をどのように描いてみせるのかというところだ。人口は295億を突破し国家と国境は存在するが、紛争はない。この時代では精神科文明が発達しており、よくわからないが動物から受け継いだ旧大脳と新大脳との矛盾が人類を引き裂いているのだという。

もちろん未来の描写はそれだけではなく、人々の身体には取り外し可能な腕が何本もついているし、ファッションも絶えずデザインと色を変える服とか「そんなんいらねーだろ」みたいなメチャクチャなガジェット・文化の描写で溢れかえっている。個人的に面白かったのがこの世界では金を借りるのがなんとなんの債務もともわない。借りたら利子もつかないし、別にいつまでに返さなければいけないこともない。そんな事をしたら誰も返さないし銀行は潰れてしまうではないかと泰平ヨンも驚くのだが、この世界では良心の呵責と労働意欲を目覚めさせる揮発性の物質がたっぷり染み込ませた手紙なりなんなりを送りつけることで対処しているのだという。

つまりルールを規定しないかわりに誰もが自発的に労働をして、自発的に金を返すように「仕向ける」社会なのだ。現代でいえばパターナリズムパターナリズム - Wikipediaに近いことが未来テクノロジーによって実現されているわけで、もちろんこれは「自由意志の剥奪では」といった議論に踏み込んでいくわけだがそれはこの世界でも微妙なところらしい。しかしこの「精神に干渉する」未来社会は大きな問題を他に呼び起こしている。泰平ヨンは幻覚を患ってこの未来世界へ送り込まれてきたわけだが、この世界では現実に満足できない人間は自発的に薬に溺れ幻想と誇大妄想にふけって日々を過ごしているのだ。

「夢というやつは、機会さえあれば必ず現実に勝ちます。つまり息子たちは精神文明の犠牲になったのです。だれもが、この文明がいかに魅惑的かということをよく知っています。いいですか、まったく絶望的な事件で弁護に立たなくてはならない場合を想像してみてください。幻の法定で勝訴するほうが楽にきまっています!」

精神をテクノロジーによって自由に改変できるようになったら──というのはレムの作品で度々立ち現れてくるテーマでもある。たとえば同じく泰平ヨンが出てくる『航星日記・第二十一回の旅』では、「二分星」という身体も意識も自由に改変できるようになった世界の不可思議な文化を体験していく。この世界の宗教は、わざわざ改宗を言葉で促さなくてもテクノロジーでぺろぺろぺろ〜んと一瞬で改宗させられてしまうので誰も説教なんてしない。そうはいっても改宗したくない側は反・改宗装置をつくって対抗するわけで、宗教をめぐる議論がなぜか科学的な技術力合戦になってしまう不条理さがある。この短編では宗教をメインに扱っているのでウルトラCのような解決策に落ち着くわけだが、本書はまた違う領域にたどり着いてみせる。

たとえば意識も身体の改変も幸福になるのも思うがままの世界になったとしたら──といった時に忘れられがちな「悪」に目をむけてみせるのだ。悪をなすことの快感を味わうこともまた「幸福」なのでは? オークになって女騎士をレイプしたくないのか? したいだろう? 誰もが幸福になるのは本当に幸福だといえるのか? バカにして、下にみる、不幸なやつらがいることでより幸福になるのでは? と。ここでは善人であることを強制されない、悪であることまで許容された世界。それはあまり描かれたことのない状況だろう。惜しげも無くネタバレをしているように見えるかもしれないが、実は無尽蔵に繰り出される未来社会学とでもいう内容のこれでもほんの一部だ。

めくるめく未来社会像と踊っていると物語は幻覚がもたらす社会の破滅的なカタストロフへと直面し読み終えてみればあー悪い夢をみたなと思いつつも笑いと未来への郷愁が残される、本書自体が短いながらも強烈な幻覚装置のようなものだ。最近はね、文庫といえどもやたらと分厚いからこういう薄い本を読むと安心する。

短篇ベスト10 (スタニスワフ・レム・コレクション)

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