基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

アデスタを吹く冷たい風 by トマス・フラナガン

不思議な読み味を残す短篇集。ざらざらとしてはいるものの心地よい味が長く残る感じ。冬が終わりかけのロシアのような。解説によれば本書は1998年及び2993年のハヤカワ・ミステリの復刊希望アンケートで二度にわたって票をいちばん集めたらしい。それほどまでに票を集めたにも関わらず復刊されないもんなんだなあ……(復刊されてまた絶版になったのかもしれないが)とは思うものの、今回はじめて文庫化ということにあいなったようだ。7篇の短篇はどれも執筆時期はかなり昔だ。表題作『アデスタを吹く冷たい風』は1952年。

アデスタを吹く冷たい風 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

アデスタを吹く冷たい風 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

テナント少佐

ちなみに7篇中4篇はあまり正常には機能していない、イメージ的には昔のソ連からロシアへの転換期のような雰囲気を残す架空の国のテナント証左を主人公としている。イメージ的には〜となんとも曖昧な言い方になってしまっているが僕がソ連やらロシアの政治体制に別に詳しくないからあくまでも「僕が抱いているおそロシア的なイメージ」、ようは民主主義ではなく、国家の中枢がいい感じに腐敗していて汚職が横行し国は貧しているようなのという意味で使っているからだ。『「この国では、愛国心にも、それぞれ別個の根拠がある。それを聞いて歩くのが、おれは好きなのさ。いわばおれの道楽だが──まあ、それはあとだ、電話してくれ、少尉」』

さて、このテナントだがどういう人物だか、1篇読んだだけではいまいちよくわからない。4篇どれもで、国家の治安と制度を守る自身の役割に忠実である(1篇は怪しいが)。やり方こそ荒っぽいものの(密輸の捜査中に、樽の中に武器が隠されていないか調べるために銃を打ち込んでみせる。酒が溢れでた。)密輸を調べたり殺人事件を調査したりして、見事に解決に導いてみせる。たとえその命令元が腐った政治的主体だったとしても、職務に忠実な男だ。ちなみに4篇中2篇が密輸を扱った作品で(『アデスタを吹く冷たい風』、『国のしきたり』)、残り2篇が殺人事件を扱った作品だ(『獅子のたてがみ』、『良心の問題』)。

一人称ではないのでテナントの心のうちは殆ど出てこない。ただ行動と、時たま語られる彼自身の考えを聞いていくうちに、なんとなくその人格が表に現れてくるようになっている。1篇読んだだけでは冷徹な国家の狗なのか、はたまた腹に一物抱えた狂犬なのかがわからないが、2篇読むと「お、こいつも実は自分なりの良心ってもんがあるのかな」と思い、4篇読み終える頃にはこの無骨でとてつもなく器用なんだけれども不器用な男が随分と好きになっている。この男は決して表立って自身の抱える良心を出したりはしない。国家に反発するわけでもなければ、それを裏でグチグチというわけでもない。ただ自分の通したいスジがあるときは、雁字搦めになった指示系統を逆手にとる形で、うまいこと状況をコントロールしてみせる。

腐った権力構造に対して力づくで対向する、正義感をむき出しにして戦う物語は爽快であるかもしれない。しかし実際の処我々が生活している実情にあっては上がわかっていなかったとしても我々はその上をなだめすかすか、だまくらかすか、あるいはもう諦めて唯々諾々と従うか、そうした柔軟な対応が求められるものだ。テナント少佐はわかりやすい形のヒーロー、名探偵といったおもむきこそないものの、権力構造の中でいかにして現実的に目的を通すのかをうまいことやってのける。器用なんだけれども不器用といったのは、そうしたやり口においてはなかなかうまくやってのけるものの、彼自身の出世や評価を考えたらそんなことをそもそもやらないほうが利口だ、ということだ。

傲慢で無遠慮で無口、ただしやるべき時は迅速にやってのけ、頭もキレる。キャラクター小説というわけではないが、そういう面でも非常に面白い話だ。同時に、謎自体もどれも興味深いものだが(一本道で中韓に検閲箇所があるだけの場所でどのようにして銃を密輸するのか『アデスタを吹く冷たい風』、なぜテナントの部下は標的を間違えて暗殺したのか『獅子のたてがみ』)それに関わるこの抑圧的な社会で職務に励む人々の葛藤や硬直性が引き出される部分が独特の読み味を形つくっているように思う。汚職にまみれた警備員だったり、国家体制に忠実で実によくルールを厳守するけれどもルールの穴をつかれると弱い大尉だったり。

それ以外の短編

ずっとテナント少佐がらみの話をしてきたけれどもそれ以外の3篇も、舞台もキャラクタも違うとはいえ読み味が変わるわけではない。『もし君が陪審員なら』は、妻の殺害容疑のかかっている男の弁護士が語る話で、本人はずっと自宅にいたといっているのだが三人の証言者が彼を殺害現場近くで見かけたといっている。じゃあそいつが殺したんだとなれば話は簡単だが、もし君が陪審員だったとしてそんな簡単に一人の人間の生き死にを決めていいのかね? ぜんぜん見当違いかもしれないのに? と。まあ、それを問いかけてくるだけの短編ともいえるのだが、「ほんとうに、それで大丈夫なのかね?」と語りかけてくる様が不気味で自分のことのように考えてしまう。

『うまくいったようだわね』は夫を撃ち殺した女性が、夫の親友で顧問弁護士の男を呼び出すシーンから始まる。これがなかなかおもしろいのは、女性が慌ててはいるものの一切悪びれずになんとか隠蔽し、なかったことにしようと積極的に動きまわるところだろう。長年連れ添った相手が死んで悲しいわ──なんて雰囲気は一切なく、あらあらまあまあ、殺ってしまったけれどどうしましょう、とただただ落ち着いている。呼び出された顧問弁護士はこわれるがままに、罪に問われないためにはどうしたらいいのかを助言するのだが──、「うまくいったようだわね」の台詞が発せられる箇所が実に興味深く印象に残るシーンで語られる。映像が頭に染みわたるようだ。

飛び抜けた傑作短篇集というわけでもないと思うが、どれも他にない余韻を残すという意味で読んでいてとても楽しい短編群だ。あと表紙が凄く良い。