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江口寿史の正直日記 (河出文庫) by 江口寿史

あー面白かった。

江口寿史の正直日記 (河出文庫)

江口寿史の正直日記 (河出文庫)

書いている人が誰かによらずに僕はけっこう日記が好きだ。読んだ本のことも音楽のことも映画のことも出てきて、つらかったことも嬉しかったことも全部でてくる。一人一人同じような生活をしているようでいて、その体験談はみなまったく異なっている。そうした日記を読むのが好きだし、自分でも書きたくてこのブログも説明文には「基本的に読書のこととか書く日記ブログです。」と書いている。ただ僕は自分がどこにいって何をしたといった情報を友人にすら知られたくないから、仕方なく毎日読んだ本のことを書いているのである。

自分の弱い部分をみせたくない、かっこつけたい、褒めてもらいたい、そういう自分の欲望それ自体は誰しも持っているものだろうが、日記の面白さは──日記に限った話ではないかもしれないが、弱ささかっこわるさまでさらけ出したところに出てくる。そういう意味で言えば、この『江口寿史の正直日記』はさらけ出しすぎである。締め切りが毎日のようにやってくるが全然描けない。やる気がのらないと描けない。仕事場にいっても描けない。16時間寝ても描けない。尊敬する先生から説教をされ続けて、彼自身感激までしても描くことが出来ない。

 あの1ページの漫画に1週間ビッチリかかってる訳ではもちろんない。実際かかる時間は5〜6時間くらいだ。じゃあとっととやりゃあいいんだけど、もうなんていうか、染みついているからね。ギリギリにならないとやる気になれん体質が。ふり返れば小学生の昔からだもの。年季が違うよ年季が。って、いばるトコじゃない。

ほんとだよ! いばるトコじゃないよ! もちろんそうはいっても殆どの場合は描けるのだが、それも締め切りギリギリだったり、あるいは大勢に迷惑をかけてなんとか描きあがったりする。殆どの場合は描けるといったがやっぱり嘘だった。かなりおとしている。全然ダメだ。しかも打ち切りが決まった漫画は求められていないんだと拗ねてガンガンおとしまくる。本書はそんななかなか描けない漫画家の代表格の一人江口寿史さんによる日記である。1999年から2002年まで自身のHPで書いたものが2005年に単行本になり、それが10年経って文庫化したことになる。変更点はどこかといえば、まず文庫版あとがきが追加され、山上たつひこ氏作画を担当した際のエッセイ漫画「金沢日記」の続編「金沢日記2」を描きおろしている。これがまあ、衝撃的な出来だ。

1999年頃のHPで書かれた日記というのはけっこういろんな人が出版しているのだが、どれも面白い。それはやっぱりあの頃は一部の人間しかネットをやっていなかったし、やっていてもただの日記を書くだけで今とは比べ物にならないほどハードルが高かった、というのもあるのだろう。ただの日記を書くのが異常なハイレベルな行いで、それを読む読者の数が少なかったとしてもその質と、その情報を求める人々の熱気は今とは比べ物にならないぐらい高かった。それで締め切りに間に合わない、描けない、といいつつ大量の日記を投稿しているんだからネットの使える編集者諸氏は当然戦々恐々としていただろう。それももう、15年前の話である。

それにしても江口寿史さんが名の売れたイラストレーターというのもあるのだろうがいろんな仕事をするものだなあ。1ページ漫画を描き、CDのジャケットを描き、本棚が紹介され、あとなんか本当に大量の細々とした仕事をこなしている。小説の表紙イラストも当然手がければ時にはアニメーションすら描かされる。で、描けない描けないとはいってもそれで遊び呆けてて描けないのならばまだしも徹夜を繰り返しているのだから悲惨だ。今日は2時間しか寝てない、今日は徹夜で作業、みたいなことが平然と何度も出てくる。かといって徹夜がへっちゃらなのかといえばそうでもなく、時には16時間寝てたりする。無茶苦茶な生活だ。

もちろん仕事に追い詰められているだけではない。漫画を読めば感想を書き、映画を見れば感想を書いている。AIBOが発売されればその時の衝撃を語っていて懐かしくなるし、9.11の衝撃を語っているところは当時の自分を思い出したりもする。2000年頃の日記なんて面白いのか? と思うかもしれないけれど、ぜんぜんおもしろい。過ぎ去ってしまえば、5分前も15年前もそう大差ない、同じく過去と思い出になってしまうのだろう。特に僕が好きだったのは時折出てくる奥さんと子供さんのお話。いつまでたっても仕事場から帰ってこない日々が続くと、奥さんが(結婚当時19歳の元アイドルなんだから凄い)仕事場までやってきて、しかも気づかれそうになると慌てて逃げるとかなんだかかわいい。

 嫁である。俺が仕事場に泊まり込む日が続くと、仕事場で何をしているのか不安になるらしく、たまにこうして抜き打ちで様子を見にくるのだ。それならそれで、何も逃げ帰らなくてもいいと思うんだが。ひと声かければいいではないか。さっそく家に電話してみたら、「エッヘッへ。起きたからあわてちゃった」だって。おかしな奴だ。時間を見たらまだ朝7時だった。

正直言って江口さんはまああまり真っ当じゃない。気が乗らないとかけない、締め切りに全然間に合わない、完全にプロ失格だ。2002年には江口さんを週刊連載漫画家に復帰させようとするプロジェクトが始動し、原作がガンガン送られてくるのだが、まったくその進捗がない。あまりにも遅い。原作を送ってきてくれている相手は大ベテランである。『君は精神的にちょっとオカシイんじゃないか?』『君はジャンプでデビューした時の若造のまま歳くっちゃったんだよ。』と散々に説教されている。ただしこれは「君はここで立ち上がらなければ一生そのままだ」という激励でもあるわけだが。結局、その連載はあっけなくぽしゃる。

本当に大丈夫なのか? と思うのだけど、それでも家族との仲はご覧のように良好なようなので、それだけで安心してしまう。奥さんとは仲が良さそうで、江口さんも奥さんのことをよくおもっているのが伝わってくる。娘さんにもしたわれており、たびたびラーメンを食べにいく日記がほほえましい。単行本時にはあえて割愛したという、第二子出産のエピソードも、我先にとかけつけ、10歳にしてはじめてお姉さんになってしまったお子さんの心情やら、その気遣いやら、一つ一つがぐっとくる。たとえ仕事がうまくいっていなかったとしても、家族にはめぐまれていて、それは一つの救いだと思う。

当時は10歳だった長女も、現在は23歳のOLなのだという。江口さんも、もう59歳だ。59歳。時計がなくても時は過ぎる。僕も歳をとったが、僕以外の人間もみな歳をとっているのだ。あたりまえだけど、なんだか感慨深いものがある。まあ、歳をとったからといって別に何かが大きく変わるかといえば──変わるものもあれば、変わらないものもある。江口さんはあまり変わらないようだ。『組む相手が変わっただけで、おれのやってる事は10年経っても全く同じなのだ。なんと成長のない。山上氏に「心底あきれた」と言われて当然だ。』

それでも2015年版のあとがきでなお、『おれはこれまでどんなに漫画を描かなくても自分の事を漫画家じゃないと思ったことは一度もないのだ。』と宣言してみせる。力強いが、まあ。2002年以後の日記を収録しようとしたらページ数が増えすぎて断念してしまったようなので、なんとかこれが売れて続編も出して欲しい。そしたらそれをぽつぽつと漫画にしてくれてもいい。

別にこの本を読んだからといって何かがあるわけではない。しかしここには一人の人間の描けない漫画家の生き様みたいなものが克明に刻みつけられているし、読んでいるととにかくその人柄が伝わってくる。仕事相手としては最悪だが、日記を読む分には面白い人だ。