基本読書

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文系の壁 (PHP新書) by 養老孟司

久々に新書。なんか五年ぐらい前と比べると今の新書はどれも大変うすっぺらくつまらない上に対談本含有率が高くなって(主観的な割合だが)げんなりなのだが、本書もまた対談本である。それでも何故買ったのかといえば対談相手の一人が森博嗣さんだったからだ(それだけ)。基本理系とされる人達との対談集で書名が『文系の壁』とくれば、理系らで集まって文系ってバカだよねープークスクスクスと笑い合う本なのかといえば、そんなわけはない。

どのような本なのかは巻頭言から多少引用する。『対談の背景は、いわゆる理科系の思考で、文科系とされる問題を考えたらどうなるだろうか、ということだった。理科と文科の違いなんて、べつに問題じゃない。そう思うこともあるが、そう思わないこともある。ではどういう場合にそれが問題になり、どういう場合には問題にならないのか。』

文系の壁 (PHP新書)

文系の壁 (PHP新書)

直接的に文系と理系が主題としてあがってくるのも主に最初の森博嗣さんぐらいで、後は純粋にそれぞれ専門家の方々の話をきいたり、養老先生がそれにツッコミを入れたり自説を披露したりしていく。取り上げられているのは四人で、その人選が特徴的だ。元工学部助教授で今は余生状態で物書きをやっている森博嗣さんは文理の人である。主要研究テーマが適応知性および社会的脳機能の解明であり現在はVRを体験できるシステム及び安価なアイテムの販売等を行なう事業家でもある藤井直敬さんと、現在smartnewsという人によって最適なニュースを毎日届けてくれるアプリを開発・運営する会社を設立した鈴木健さんはどちらも理系でありながらその能力を事業という形で直接的に役立たせている。

須田桃子さんは『捏造の科学者 STAP細胞事件』を書いた人。元々は物理学専攻で修士まで終えている科学ジャーナリストでこれまた単純な理系というわけでもない。『いわゆる理科系の思考で、文科系とされる問題を考えたらどうなるだろうか、ということだった。』をまさに体現するような人選だ。個人的には理系文系というわけかたはイマイチ基準がよくわからないし、あんまり有効じゃないよなと思う。数学ができれば理系なのかといえば数学ができるのはどのレベルかという話に当然なるし、そもそも医療系や生物系などいくらでも数学を使わずに日々を過ごしている「理系」ともくされているひとたちもいるわけでこれまた曖昧だ。

科学系(なぜ? Why)を問う、工学系(どうやって? How)目的達成手段を考える、言語系(世界を言葉で解釈する)ぐらいが個人的にはしっくりくる区分けか、あえて二つに分けるなら理系・文系ではなく「実証主義的か非実証主義的か」の方が実際的ではないか。それも別に誰にも当てはまるわけではないし。そもそも文系と理系を分けることに何か実務上の意味があると感じたことがない。ま、それはおいといて本書は本としてどうなのか。こういう何人もの対談本(インタビュー本)は当然ながら一人一人の知見に深く切り込むのではなくざっとサラってみせて興味を沸き立たせることがメインといっていい。全編とおして「ふーん、そんなもんなんだー」ていう感じだけど、森博嗣さん以外の人は僕は知らなかったし、その人達の話はめっぽう面白かったから収穫は大きい。森博嗣さんが語る内容は僕はほぼどこかで既に読んだことのある内容だからここでは殊更取り上げないが、他でいくつか面白かった話をピックアップしてみようか。

VRとSR

たとえば「ハコスコ」というVR体験装置を売っていて理化学研究所で研究も行っている藤井さんの事業的な発想がそもそも面白い。本格的なバーチャルリアリティ装置は作り込みも必要だし非常に高額になってしまう。しかしスマホのアプリでインストールしてもらい、あとは段ボールのケースを用意してそこにハメ込めばお手軽にVRが体験できるようにしたっていうのが凄い。そんなんでできるんだね。今後ゲームにも搭載され、その後も確実に普及が進むだろうが、その場合当然我々は複数の現実を生きることになる。でもそれって、別に我々の現状だって既にそうだよねっていうのは養老さんも繰り返し述べていることでもある。

藤井 あと、これはケンカの仲裁にも使える。たいていのケンカが起こる理由は、同じイベントを違う方向から見てるために、同じことが違うふうに見えているからじゃないかと思うんです。だから、同じイベントを複数の視点から記録しておいて、それぞれの立場から見てみれば、「俺が緑だと思っていたものをおまえは赤だと言ってたけど、反対側から見たら確かに赤だね」と納得できるかもしれない。そうすると、「あ、世の中ってこの程度なんだ、いい加減なんだ」とわかる。

でも勿論殆どの場合我々は現実は一つだと考えていて、なぜかというと現実が二つも三つもあると言い出したらしっちゃかめっちゃかになってしまうからだ。考えるコストもかかる。だから現実が二つも三つも許容されうる為には、世界はもっと豊かにならなければならない。宇宙に人間が行く時には服装から体重、行動まで全てに厳格性が適用されなければならないけれども、晴れの日のビーチなら別にどんな服装でいようが何も問題にならないように、選択肢がいくらでも担保されていることが豊かさだと。

新しい投票制度や貨幣制度について

あと鈴木健さんの話も刺激的で面白いものだ。殆どは『なめらかな社会とその敵』と一時期各所で話題に上がっていた本(高いから読んでない)の著者で、同時に天才的なプログラマで今大人気smartnewsの設立者でもあるとちょっと出来過ぎな人。smartnewsはHONZが掲載されるようになったのとこのブログもたぶんはてな経由で載って人が(一回載ると数千人単位で人がくる)くるようになったので一応アプリは落としていた。まさか『なめらかな社会とその敵』を書いた人が設立した会社だとは知らなかった。対象としているのは政治や経済。たとえばより適切な投票システム、経済ではより適切な貨幣システムはなにかという問いかけに、純粋に工学的な=プログラム的なやり方で誰もが納得する実装はどのような形なのかを提案していく内容で、もう完璧にエンジニアの発想。

たとえば投票システムで問題になるのは「死票」だという。たとえば5人の投票で3人の票を集めた人間が当選を果たしたら、あとの2人の意見は消えてなくなってしまう。またある意見に賛成か反対かといっても、その人の中でも6・4で賛成が6ですといったらその人の中の4の反対部分は消えてなくなる。このような割り切れない一票を割れるようにして、0.6票と0.4票で投票できるようにすればいい。あるいは、5人の投票で3人の票を集めた人と2人の票を集めた人を二人共当選させてしまって、当選した人間の発言の重み付けを票数でやればいいとする。

これは、理屈としては非常に正しいのでは? と思う。実際に動くかどうかは別だが。本人がエンジニアだから、試しに動かしてみて、ダメだったらバグを直すようにして調整していけばいいというような発想があるんだろうなとは思う。新しい貨幣システムについても触れられているが、どちらにせよ情報が少なすぎて「面白そうな発想だな」とは思ってもその実現可能性についてはよくわからないというのが正直なところ。話自体も「そうはいっても投票システムがうまくいったとしても、政治はなんにも変わらないけどね、行政システムが変わらないと」といって「行政システムも完全自動化できるようにすればいいじゃん」と話が続いていくのだがなんでも自動化したがるエンジニアの極致みたいな話なので面白いが以下略。

STAP細胞

最後にジャーナリストの須田桃子さんだが、STAP細胞関連で初単行本を出しているだけあって話題もSTAP細胞及び理研について。たとえば自分で状況を整えて、仮説を立て、その仮説が立証されるか否かといった実験をやると、今回のSTAP事件のような錯誤が起こってしまうこともある。ある程度のバイアスが研究者の方にかかっている(Aという結果が出て欲しい)から、その結果にそぐわない現象を無意識的に見落としてしまうのだ。この対談で盛り上がるのは「だから実験って困難なんだよ(バイアスがかかるから)」ってことで、それはまあその通りだなと思いますね。

おわりに

養老孟司さんの本は『唯脳論』に感動した。バカの壁などの〜〜壁シリーズは対して面白くないし「ふーん」以外の感想が出てこなかった。本作も薄っぺらい対談本なのはその通りだが、四人の人選はいいしそれぞれのトピックは読みどころのある、良い塩梅だ。