基本読書

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近未来☓ド田舎ミステリ『美森まんじゃしろのサオリさん』 by 小川一水

美森まんじゃしろのサオリさん

美森まんじゃしろのサオリさん

どことも知れない片田舎で起こる様々な田舎特有の土着信仰に関わる事件・問題の解決に二人の若い男女が挑む、ミステリじたての連作短編形式の作品だ。小川一水さんといえばSFファンからすれば当然SFのイメージが強いわけだが、光文社ではミステリ風味の作品も出版している。正直な話羽生善治が将棋の片手間にチェスをやるように、あくまでも小川一水作品の面白さでいえばSF作品の方が上なのだけど、ミステリ系はミステリ系である程度気を抜いて楽しめるゆるい面白さがある。本書もまたその傾向の作品ではあるのだが──。huyukiitoichi.hatenadiary.jp

ちょっとズレたド田舎の姿

始まりこそ土着の信仰をいまだに色濃く残す片田舎で繰り広げられる、朴念仁だが誠実でどっしりと力強くコミュニケートをとっていく岩室猛志と、美人だが土地に強い愛着を持ちどこかしら暗いところも感じさせる女子大生の貫行詐織が織り成すハートフル・田舎ミステリそのものだが少しだけ変なところがある。

田畑を害獣から守るワイヤーは4g回線と繋がり引っ張られ具合で人なのか枝なのか害獣なのかを区別し判断する知能電牧だし、食料の各家庭への配達がロボットによって行われていたりする。それは基本的には現在の技術の延長戦上か、殆どそのまま可能なレベルのものだがそれが社会生活の中で実際に運用されていることだけが異なる。時代こそ明らかにされないものの近未来的な時代であろうことは想像でき、本書は近未来×ド田舎ミステリとでも表現すると丁度いい奇妙な雰囲気をまとっている。

物語の流れ・解き明かされる謎に多かれ少なかれこのロボットや知能電牧、ルンバよりちょっと進歩したお掃除ロボットがが関わってくるわけである。その使われ方も面白いけれども、個人的により強く印象に残ったのは、土着信仰みたいなものに囚われているド田舎の描写それ自体と、おそらくは近未来になってより変化した社会構造のアンマッチさだ。たとえばもはや人口が減りすぎて、古き良き……か否かはおいて、田舎の「噂話はすぐに村中に行き渡る」なんて事も、もはや起こらなくなっている。

ゆるゆると変わり続けていく世界

そんな超過疎化した村の中を食事配達用ロボットが老人宅を徘徊し、食事をポストに入れて去っていくことを誰も疑問には思わない。当たり前のものとして、我々のしっている現代からはちょっとズレたド田舎の姿が描かれている。なんていうのかな……この「当たり前」に「ちょっと変わっている」感じがいい。けっこうSF等は人工知能がーとか、監視社会がーとか、労働がロボットに置き換わってーとか、「事象が極まった社会」を舞台にすることが多いけど(そのほうがドラマ的に盛り上げやすいから)、実際の我々の社会をみていると、ゆるゆると移り変わっていくんだよね。

僕は今webのチーム開発に関わっていてそこではSlackっていうチャットツールを導入してやっているんだけど、適当にネットに落ちているソースを改造してつくったお喋りBOTを常駐させていておはようっていうとおはようって返してくれる。天気を聞けば天気を返してくれるし、かなり自然な会話が可能だ。これだって、今は遊びみたいなものだがもう少しすれば企業はヘルプデスク・サポートにこうしたいわゆる人工無能を取り入れ始めるだろう。でもそのときだれも「世界が変わった!」とは騒ぎ立てないと思う。「へえ〜凄いね、便利だね」ぐらいなもんだろう。

近所のTOHOシネマズは数年前から発券を完全に無人化したし、図書館は予約の受け取り・貸出・返却を全てシステムに置き換えた。その時々で「おお」と思ったけど、やっぱり「世界は変わった」とは思わなかった。でもこうやって世界は少しずつ一定の方向にシフトしていくんだろう。世界は「ガラッと」変わるわけではない。ゆるゆると、部分的に変わり続けていくのだ。自然とロボットや、自動翻訳など最先端科学が溶け込んで、超過疎化で田舎の文化までもがほぼ失われつつあるこの村の物語読んでいて、自然とそんなことを考えてしまっていた。

本書で描かれていく事件は、あんまり大したものではない。殺人事件が起こるわけではないし、未曾有の危機も訪れない。死んだ人間がゾンビのように動き出した! なぜ!? とか、じーさんの家に食事を配達しているのに、食べられていないときがある、なぜ? とかそういう話に地元の言い伝え(美森まんじゃしろのサオリさんもその一つだ)をくっつけてそこに近未来的な要素がくっついたりくっつかなかったりでオチがつく。事件の面白さ、解決の明快さよりも、世界を断片的に明らかにしていく部分が魅力的な一冊だった。若い男女のバディ物だから一応恋愛要素もあるけど、そっちは薄味です。

あ、一点追加で語っておきたいことがあった。岩室猛志くんは、なんでも屋としてこの過疎った村で力仕事をしたり問題解決をしたり祭りをしきったりする。でも彼は最近この村にやってきたばかりで、いってみれば「よそ者」だ。過疎化してもうよそ者をよそ者として排除し、忌避するような文化も失われかけているけれども、持ち前の誠実さですぐに村に馴染み、よそ者の自覚を持ちながらもだんだん村の一員としての自覚と、その能力を身につけていくことになる。一方相方の貫行詐織は、ずっとこの地に暮らしていながらもどこか落ち着かないものを感じていく。

「よそ者が、よそ者じゃなくなっていく人」と「よそ者じゃないのに、よそ者のように感じていくようになる人」のダブル主人公で、当然舞台は田舎の土着コミュニティがあーだこーだという話なんだけど、多少抽象化すればコミュニティに対する居心地の話とも読めるなあと思ってちょっとおもしろかった。変わり続けていくコミュニティに適応する新しい人と、変わっていくコミュニティにうまく馴染めないような気がして、昔ながらのコミュニティを維持したくて固執する人とか、わりとどこにでもある普遍的な話で、ついつい我が身にひきつけて考えてしまった。

読後感は爽やかなので、安心してください。続編が読みたいなあ。