基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

ファンタジー×就活──『犬と魔法のファンタジー』 by 田中ロミオ

犬と魔法のファンタジー (ガガガ文庫 た 1-19)

犬と魔法のファンタジー (ガガガ文庫 た 1-19)

田中ロミオがファンタジーを書くという。

かねてよりの田中ロミオファンは誰もが「それが真っ当なファンタジーであるはずがない」と思ったはずだし、タイトルからして「犬と魔法のファンタジー」、俗にいうところの剣と魔法のファンタジーをナメくさったようなタイトルだ。実際出てきたものはファンタジー/異世界物、魔法が乱れ飛び特徴的な能力を持った主人公が敵と戦って女の子と仲良くなっちゃったりなんかする物とは随分かけ離れたものである。

異世界ではあるもののそこでは平和な時代が続き、一部の物好きしか冒険には出かけない。冒険のない異世界なんて炭酸の抜けたコーラのようなものだ。それならその世界の住人は何をするのかといえば企業に就職し真っ当に働いて日々の生活の糧を得る。大学の三年の後半から就活に明け暮れ祈られるたびに、140文字の短文を送信できる無料公益魔法ヒウィッヒヒーにつらい現実を吐露する。

主人公はちょっと身体がデカいことだけが特徴的な、何の取り柄もなく就活でお祈りされまくって自分でも意識しないまま涙が出てくるようなダメな大学生だしメインヒロインは周囲の男に色目を使いまくり自分を良いように見せようとする自己顕示欲の高いちょっと痛い女の子で「つ、つらい……人物造形、配置の時点でつらい……」という他ない座組だ。

ファンタジー世界で就活を書こう。

ファンタジー世界で就活を書こう。

どこかのタイミングで著者の田中ロミオ氏はそう考えたに違いなく、その結果がこの『犬と魔法のファンタジー』なのだろうが、読み始めの時点ではこれがどこ出てきた発想なのか皆目検討もつかない。つらくて悲しい就活を書こうとした時に現実そのままではあまりにもつらすぎると判断してのファンタジー世界なのかもしれないし、ファンタジー世界であまりやられていないことをやろうとした結果が就活だったのかもしれないといろいろと考えながら読み進める。

まあ、そんなことはどうでもいい。問題はそれは本当に面白いのかどうなのかというところだ。

就活関連の描写はこれでもかというほど書き込まれている。周囲の誰もが血相を変えて就活に打ち込んで、毎週のように開かれる合同説明会に着慣れない甲冑(本作はファンタジーなのだ)を着込んで駆けつける。就職をはなから諦めて就活にいそしむ人間をバカにするヤツも居れば、起業を志し就職活動のレクチャーを行なうような意識の高いヤツもいる。婉曲表現で不採用を告げる封筒には特にダメだった理由が書いてあるわけでもなくただお祈りが書いてあり、ラフな格好でOkと書かれた説明会に私服で行ってみれば周りの人間は全員甲冑を着込んでいる。

何度も何度も断られ。その上さらにどこを改善していいのかわからない出口のわからぬ迷宮は人の精神力を摩耗させる。高く飛び跳ねることのできるノミを、天井に制限のある環境でぶつからせ続けたらそのノミはそこまでしか飛び上がることができなくなったとする有名な話があるが就活はほとんどそれと同じだ。天井に突っかかるが、自分にはその天井=なぜダメだったのかが見えないのであまりに繰り返される否定は自分自身が単純にそこまでの人間なのだと極度の内省的状態へと追い込んでいく。

ファンタジーにする意味があるのか?

複雑怪奇な迷宮で人の尊厳というものを徹底的に破壊し尽くす就活が、エルフやドワーフや魔法がきっちり存在するこの世界ではこれでもかと書き込まれている。あまりに良く書き込まれているので、自分自身の就活体験を思い出してしまった。で、それはいいんだけど、「ファンタジーにする意味ある?」というのが最初の疑問点だ。まるで現実の就活の厳しさをそのまま物語にしたような──けっこうな話だが、だったらそれ、ファンタジーじゃなくてもよくない? と思ってしまう。その点はどうなのか?

結論から言えば、あんまり接続はよくないかな。もちろん話の核の部分にファンタジー成分が絡みついているし、スーツの代わりに鎧を着込んでいくとか、無料公益魔法ヒウィッヒヒーのように現実のWebサービスやら技術やらが軒並み魔法で置き換えられているのはちょこっと笑える。だけどあまりにも就活部分は現実の就活そのままだし、「ちょっと笑える」し「話にも、まあ絡んでる」ぐらいだとファンタジーである意味は薄い──この言い方は多少ズレているような気がするが、ようは「違和感がある」ぐらいの感じ。

現実を見据え/拡張せよ

そうはいっても、実は……という話をここからしようと思う。就活を続けていると、何度も何度も企業からお祈りメール・手紙が送られてくる。尊厳が傷つけられ自分なんてこの世に必要とされていない存在のように思えてくる。だって「現実」として、何度も何度も否定されているんだから。「現実」が「お前はいらない」と何度も言ってくるのだから。だが、実際には現実は見えている範囲の世界だけじゃない。就活市場での評価なんてものは、この広い世界のほんのごく一部の視野にすぎない。右に左に、上に下に視点を広げることで、見据えるべき現実はもっと広くなる。

もちろん、口で言うのは簡単だが実際に脇目もふらずにレースを走っている最中の人間にそんなことを言ったって仕方がない。必死にマラソンを走っている最中に横から「マラソンをやめちまって温泉でジャグジーを浴びるのもまた現実だ!」といったところで「うるせーー今マラソン走ってんのが見えねえのか!?」と反感を買うだけだろう。所詮そんなことはキレイ事ではあるのだが──それはそれとして、本作は物語としてきちんとそこに落とし所をつけてくれる。それもファンタジーとして至極真っ当な形で。

最初に『冒険のない異世界なんて炭酸の抜けたコーラのようなものだ。』と僕は書いたが。その意味で言うと、実は本書は真っ当にファンタジーをやっている。誰もが安寧の中に沈み、冒険に出ることを辞めてしまった世界で、主人公は時折、いやいやながらも冒険に引っぱり出される冒険組合の一員なのだ。誰もが冒険をしなくなってしまった世界だからこそ、逆に冒険の重要性・冒険の必要性が浮かび上がってくる。ハングリー精神・起業家精神などとしきりと若者を煽り立てる現実世界での物言いは「ウゼー」以外の感想が出てこないわけだが、冒険があって当たり前のものであるファンタジー世界であるからこそその消失は強く違和感となって物語をけん引する。

そして、冒険はいってみれば現実を拡張するものだ。歩んだことのない道を歩き、見たことのないものを見、聞いたこともないことを聞いて、知らない人達に出会う。主人公は何度も何度も祈られ、周囲の人間が自分を追い抜いて内定を取得していく相対評価社会で時には涙を流しながら堪え、時には冒険に出かけていく。「就活」という、ファンタジーとは真逆の現実感あふれるキーワードを扱いながらも、その実まっとうに本作はファンタジーの王道に挑んでいるといえるのかもしれない。

ちなみに01などの巻数表記がないことからもわかる通り、この一作でキレーに完結しているので長いものをだらだらと読みたくない人にもオススメだ。