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知能の高いヤツがバカなことをする理由──『知能のパラドックス』 by サトシ・カナザワ

知能のパラドックス

知能のパラドックス

「知能のパラドックス」と書名にもなっているとおり(原題はthe intelligence paradox)、知能が高いことが=賢い、素晴らしいことにはならない、知能が高いからこそバカなことをするヤツラが出てくる理屈を提示する一冊で、そのパラドックスはこれから説明していくとわかると思うが、かなり面白い。

知能のパラドックス仮説を正しいとするならば、背の高い人や社交的な人が、そうでない人より価値が高いとか優れていることとは別であるように、知能が高いことも低いこともそうした良いこともあれば悪いこともある単なるステータスの一つとして受け入れられるようになるだろう。ただ、その仮説を補強するように集められているデータとそこからひねり出された理屈の妥当性については疑りながら読むべきだ。

話の前提

それでは、知能のパラドックス仮説とは何かを説明する前に、その仮説が述べられる前に前提とされる「サバンナ原則」の説明からはじめよう。これは単純なもので、人間の脳は、祖先の環境に存在しなかったものや状況をよく理解できずに、うまく対応できないというだけのことをいっている。なぜなら、人間の脳は石器時代の頃の物で、現代のように毎日椅子に座ったりスマホをみたり、電車に乗ったり、運動しなかったりといったことに急には適応できないからだ。

つまるところ脳は適応が遅れて新しい環境に対して錯誤を起こしまくっている。それでも、なんとか辻褄をあわせながらみな生きているわけだ。ただ、脳が進化しているのか・していないのかについては様々な説があるだろう。我々の身体環境は狩猟採集生活の頃と変わっていないのだから、当時の生活をそっくりそのまま再現するべきだ(たとえば、牛乳を飲まないとか)と主張する人々がアメリカでは一時(今もかも知れない)ブームとなっていて、それに対しての警告の書が出ているぐらいでもある。huyukiitoichi.hatenadiary.jp

知能のパラドックス

そのサバンナの原則が知能とどう関係しているのか。本書では知能を、未曾有の干ばつや環境の変化、生死を左右する問題(食糧難、川の氾濫からくる各種対応)などへの解決能力を持つものが進化の過程で生存し、それが今日「一般知能」と呼ばれるものではないかと定義する。こうした一般知能はあくまでも特定の領域に対する心理メカニズム、突発的に起こる不測の事態に対する問題解決能力だといっている。

過去1万年の間に生活環境が激変し、我々が抱える問題は例外的で新しいものだらけのものとなった今、一般知能はかつてなく必要とされている(この一般知能の定義を一旦は受け入れるなら)。「人間の脳は1万年前のままあまり変わっていないが、高い一般知能を有する人間は新しい価値観・状況に対応することができる。逆にありふれた問題(恋愛、出産、昼型の生活など)については、苦手……というか、少なくとも得意ではない」このシンプルな理屈が知能のパラドックスの主題となる。

 この理論から、次のことが予想される。知能の高い人のほうが、知能の低い人よりうまく問題を解決できるとしたら、それは、進化の観点から見て例外的な、新しい問題に限られる。逆に言えば、私たちの祖先が日常的に解決する必要のあった、進化の観点から見てありふれた問題については、むしろ知能の高い人のほうが苦手である。

勿論「一般知能」の定義それ自体がただの仮説に過ぎないわけだから、知能の高い人間が例外的な状況に対する対応能力が高くそれ以外は苦手なんていうのは、仮説の上に仮説を積み上げていることを注意するべきだ。本書ではこのあと、この仮説が正しいと説得するようにして幾つもの「もっともらしい事例」を持ち出してくる。一つ一つのデータはなるほどなと思わせるものがあるが、その結びつきが怪しい物も多い。ちょっと紹介してみよう。

たとえばかつてはポルノなんてなかったから、性的に興奮した男女のリアルな写真を架空のものだとは現代人の脳は理解できない。そうだとすると、ポルノを現実と混同して異常な性行為を現実で行ったり、キレイなアイドルを現実でも手に入れられると錯覚するようになるのではないか。それにたいして本書では現実の女性とポルノ女優を混同する傾向は知能の低い(平均値より標準偏差一つ以上低い)男性に限られ知能が平均並みか平均以上の男性には当てはまらないと実験で出たといっている。

ようは知能の高い人間は新しい価値観・状況=ポルノやアイドルの偶像を偶像として理解することに対応することができて、知能の低い人間はそうではない=ポルノやアイドルを現実のものと混同してしまう、ということだ。それだけ読むと「こいつは知能の低い人間をバカにしてんのか? ああ?」と思うところだが、この本の面白いのは知能の低いやつはバカなんだとこき下ろしているのではなく、知能が高いやつがバカなことをする理由もこの知能のパラドックスで説明しているところだ。

知能の高いヤツがバカなことをする理由

知能の高い人間は進化の観点から見てごく普通の問題を解決する時でも、自分の知能を見せびらかす為であったり、そもそも常識的な手段をとることができなかったりで常識外れの方法を考える=バカげた理屈ややり方をでっちあげることがある。高い知能を有するであろう文芸評論家などが、客観的な価値基準の存在しない文芸に対してやたらと複雑なだけで意味不明な理論を考えだすように。

知能が高いことは例外的な問題解決能力・例外的な事態への適応能力が高いことと=であって、一般的な事柄に対応する時全般などでは賢いわけではない。その例としてリチャード・ドーキンスをさらっと挙げているのには笑ってしまった。『リチャード・ドーキンスのような人物がきわめて高い知能を備えながら、きわめて愚かでもあり、常識を欠いている理由もわかる。』

さまざまなデータ

もちろんポルノ以外でも本書ではたくさんのデータと、知能の高い人間が新しい環境に適応し知能の古い人間は適応できず、逆に知能の高い人間が進化的に常識とされる行動(恋愛、結婚、出産や朝起きること)が不得意であることも同時に提示していく。

保守主義者より自由主義者の方が知能が高い割合が多く(アメリカの若者で非常にリベラルとカテゴライズされる層のIQ106に比べて、非常に保守的はIQ94)、信仰心と知能も関係している(信仰心まったくなしが子供時代の平均知能103、信仰心が厚いの平均知能97)。親になりたい願望に対していいえと答えた女性の子供時代平均IQは105.5だが、子供を欲しがる女性の平均IQは99.9だ(男性は前者104.3、後者100.0)。

中には、どうも信じられないデータと理屈付けもある。もちろんデータは信じる/信じないの類のものではない。統計分析の場合慎重に関連する環境要因を排除した上で仔細検討すべきものだが(それは充分になされていると殆どの調査では主張される)、それが充分なのかどうか本書の情報だけでは判断不可能だ。参考文献まで当たればもう少し詳しく検証できるかもしれないが、今回はそこまではしていない。

仮にすべてのデータと結論へ向けての理屈付けが正しかったとしても、「夜型の生活はかつては存在しなかった=新しい価値観・習慣である=故に知能の高い人間は夜型の人間が多い、逆に古くからの価値観・習慣に適応している知能の低い人間は昼型が多い」というような強引な知能のパラドックス仮説を補強するような理屈は「そりゃそうかもしれないけど、そんなのわからんでしょ」以外の感想が出てこない。

おわりに

知能が高いことは、背の高い低いと同じように利益も不利益も同時にもたらすことのある単なる一つの特性に過ぎないという主張と例外的な状況・価値観に対する適応能力が高い代わりに進化上当たり前のことへの適応能力は低いとする仮説、それ自体はおもしろいけれど、随分怪しい本であると思う。読む人は、うのみにするのではなく注意深く読んで欲しい。

追記。参考文献にあたる暇はなかったけど一応reviewをあさってみたらやっぱり批判的な論調のものが目立つ。そのあともいろいろ調べていたらこの人、かなり色物っぽいなあ。紹介するのがそもそも早まった感。
The Intelligence Paradox: Why the Intelligent Choice Isn't Always the Smart One | Times Higher Education