基本読書

基本的に読書のこととか書く日記ブログです。

揃えも揃えたり五十人──『この作家この10冊』

この作家この10冊

この作家この10冊

月刊誌「本の雑誌」で続いている、「作家の10冊」というコーナーから50回分を収録した一冊になる。扱われている作家には「ミステリ作家」といったジャンル縛りがあるわけではなく、しょっぱなは五十音順で綾辻行人さんの10冊(綾辻行人さんが選んだ10冊ではなく、杉江松恋さんが選んだ綾辻行人作品10作、である。念のため)であるし、ちょこちょこ後ろをみていくとお橋本治さんだとか、村上春樹さんだとかがざっくばらんに名を連ねている。

目次が重要だろうからAmazonから引っ張って本記事の一番下に載せておく(長いから)。「あの作家がいねえじゃねえか!!」という憤りは発生するかもしれないが(たとえば、森博嗣さんとか)そうはいっても日本にはたくさん作家がおりますからな。本書が売れれば(売れなくても? 連載は続いているわけだし。)第二弾、第三弾と続いていくのではないだろうか。

本書が面白いのはやはり「10冊」と縛りを与えている点にあるのだろう。そもそも10冊しか本を出していない作家であるのならば悩む必要もないが、たいていは二倍、三倍の本を出している作家らであり、さらにはエッセイ、ノンフィクションまで含めると「何をどう、選定するのか」がそのまま書き手の「作家像」、ひいては批評的意味合いをおびてくるものである。たとえば、堺三保さんの書いた小松左京の10冊はネットに公開されているからちょうどよく引き合いに出させてもらうが、「小松左京」の10冊にも関わらず4冊がなんとノンフィクションをセレクトしている。⇛小松左京の10冊|堺 三保|note

おいおい、小松左京さんは小説家なんだぜぇ、と思ってしまうのだが『「これまでに書いてきたものは、長篇が十七作、中・短篇が二六九作、ショートショートが一九九作。小説の単行本だけで六十二冊、このほかエッセイ・評論・ルポなどの単行本が六十八冊にのぼる」とある。つまり、分量だけで見れば、小松左京は短篇とノンフィクションの作家だと言えなくもないのだ。』ということで、確かに数字を見せつけられるとノンフィクションを割合的に含めないのもおかしな話に思えてくる。なるほどなあと納得させられるのである。

このように、「選定された10冊」の縛りがある為に、既に作品をあらかた読んでいる作家についても「へえ、なるほどね、そういうチョイスをするんだ(自分が選ぶんだったらそうはならんな)」と思ったり、逆に「そうそう」と深く頷いたりする。400ページを超えていてけっこう分厚いのだが、何も頭から順番に読んでいかずとも、自分の気になる作家──たとえば伊坂幸太郎の項目だけを読んで、また気が向いた時に別の項目を読むでもいい。あるいは適当にぱらぱらとめくりながら、目についた作家を読むのでもいい。

こういう本が家に一冊あると安心する。

綾辻行人の10冊(杉江松恋)、鮎川哲也の10冊(若林踏)、有川浩の10冊(櫻井美怜)、泡坂妻夫の10冊(酒井貞道)、伊坂幸太郎の10冊(草彅主税)、五木寛之の10冊(黒田信一)、江國香織の10冊(倉本さおり)、逢坂剛の10冊(西上心太)、大江健三郎の10冊(瀧本多加志)、大沢在昌の10冊(宇田川拓也)、小川洋子の10冊(間室道子)、恩田陸の10冊(三橋暁)、開高健の10冊(坪松博之)、角田光代の10冊(藤田香織)、片岡義男の10冊(條一浩)、金井美恵子の10冊(大谷能生)、唐十郎の10冊(壹岐真也)、川上弘美の10冊(平野敬三)、北原亞以子の10冊(大矢博子)、北森鴻の10冊(古幡瑞穂)、倉阪鬼一郎の10冊(千街晶之)、小松左京の10冊(堺三保)、今野敏の10冊(関口苑生)、佐々木譲の10冊(村上貴史)、佐藤雅美の10冊(土屋和夫)、重松清の10冊(内田剛)、篠田節子の10冊(牧眞司)、島田荘司の10冊(伊坂幸太郎)、志水辰夫の10冊(北上次郎)、高橋源一郎の10冊(永江朗)、中上健次の10冊(榎本文昌)、梨木香歩の10冊(佐久間文子)、西村京太郎の10冊(小森収)、西村寿行の10冊(水鏡子)、貫井徳郎の10冊(内田俊明)、橋本治の10冊(入江敦彦)、馳星周の10冊(霜月蒼)、東野圭吾の10冊(大矢博子)、姫野カオルコの10冊(小野小夜)、古井由吉の10冊(秋葉直哉)、星新一の10冊(浅羽通明)、松本清張の10冊(香山二三郎)、宮部みゆきの10冊(吉田伸子)、宮本輝の10冊(堀本裕樹)、村上春樹の10冊(新元良一)、山田詠美の10冊(清水和子)、結城昌治の10冊(池上冬樹)、夢枕獏の10冊(松原隆一郎)、連城三紀彦の10冊(香山二三郎)、渡辺淳一の10冊(菊池仁)